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東ドイツの旅
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詳細
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ハンザ同盟の中核都市として繁栄し、「ハンザの女王」と呼ばれていました。 この街は塩などの交易で財を成した商人たちの手で造り上げられた港町です。 1464年〜78年の建造で、かっては港の防衛に 現在は市歴史博物館として使われています。 この門を良く見ると、手前に傾いていますが、これは手前側の壁が厚くなっており その重みで手前側に実際に傾いているそうです。 門の裏側 13世紀に皇帝から自冶権を得ると同時に建設を開始し、当時はゴシック様式で建設 されたが、16世紀にルネサンス様式で増築されています。 市庁舎のルネサンス階段 此処にはドイツで最大のパイプオルガンがあります。 この教会内には戦災で焼け落ちた鐘がそのままの状態で保存されていました。 少年時代のトーマスはここを頻繁に訪れており、マンの一族はリューベックの豪商でした。 この家を舞台に商人一族の興亡を描いた名作「ブッテンブローク家の人々」で トーマス・マンはノーベル文学賞を受賞しました。 現在は記念館として公開されています。 広場でサックスを吹く街頭音楽家。後ろに見えるのがマリエン教会 市庁舎前広場
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ベルリンに次ぐドイツで2番目に大きい都会、ハンブルグは、ヨーロッパ有数の港町でもあります。 13〜15世紀、ハンザ同盟都市の中心的存在として繁栄した街でもあります。 尖塔部分 市庁舎の中庭 市庁舎の他には聖ミヒャエリス教会も見学しましたが 中は撮影禁止だし、外観は工事中で足場だらけだったので写真は撮っていません。 【ハンブルグの思い出】 ハンブルグには過去に何回か来ていますが、最初に来たのは35年位前の独身時代です。 ハンブルグには有名な歓楽街、レーパーバーンがあります。 当時は、初めてのハンブルグだし、独身ということもあって、早速この街の探索に行きました。 此処にはオランダのアムステルダムと並ぶ有名な「飾り窓」があるのです。 「飾り窓」とは何か説明しなくても皆さんご存知ですよね! そうです、窓の向こうには綺麗な女性が座っており、通りから眺めながら 「どの子がいいかな〜?」と探す場所です。 ハンブルグの「飾り窓」は有名ですが、実は当時のドイツのほとんど大きな町には この「飾り窓」がありました。 私はドイツ中旅して沢山見てきました。 現在はどのようになっているかは知りませんが、ハンブルグの「飾り窓」は 現在でもありましたね。(今回は流石に見に行きませんでしたが、現地ガイドが、 今でも健在ですと説明していました) 「飾り窓」の女性を眺めた後は歓楽街で「ストリップショー」の見物。 ここでのストリップは大勢の観客がお酒を飲みながら見守る明るい舞台の上では 何と男女の性行為が次から次へと・・本当に明るい雰囲気なので、あまりエロチック には感じませんでしたね。 以上が私が最初にハンブルグへ来た時の思い出です。 |

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1714年から123年間に渡り、イギリス国王を兼任したハノーファー選帝候ゆかりの地。 現在はドイツ北部を代表する商業都市となっています。 此処まで来るともう旧東ドイツ領内ではなく西ドイツに入っています。 【ハノーファー・メッセ(見本市)の思い出】 私が在職中、その会社もこのハノーファーメッセに参加していました。 開催時期は春先でしたので、お正月明け早々からこのメッセに向けての 新製品開発が始まり 当時技術部門に属していた私も夜遅くまで頑張ったのを覚えています。 そして、その製品を持ってこのハノーファーに乗り込み、売り込みをしました。 ですからハノーファーへは何回も来ていますが、観光をした覚えはありません。 メッセ会場はハノーファー市の郊外にあり、その時期になると世界中から大勢の 人が来ますので、泊まる所はホテルなんてとんでもなく 市内には沢山の臨時民宿所ができ、そこが宿泊地となるのですが ハノーファー市内の民宿ならまだましで、郊外の都市の民宿にになると 毎日通うのに相当な時間がかかり大変でした。 ということで、私にとっては懐かしい30年前の思い出です。 現在のメッセ時の宿泊状況は当時とは変わっていると思いますが それでも簡単にホテルに泊まれるとは思われません。 エギディエン教会 写真手前の地面に赤いラインが見えますが、このラインに沿って歩くと およそ2時間で36箇所の見所が結ばれています。 旧市庁舎 裏側から見たところです。 市庁舎の浦には綺麗な池がありました。 池の辺では学生さんが勉強をしていました。
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