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ひろしの旅日記
ブログの更新はお休みしてますが、又再会します。

書庫【昔のヨーロッパの旅】

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ブリストル

私は昔、ヨーロッパには度々出かけていますが、その内半分は仕事関係でした。

私の本来の仕事は会社の技術部に属していて、ある製品の開発設計を行っていました。

そしてその製品は国内でも売られていましたが、沢山輸出もされていました。

ですから海外には沢山の代理店があったのです。

私の海外での仕事は、その製品のメンテナンス(修理)をするための技術講習が目的でした。

今回はそんな海外出張の写真の中からイギリスのブリストルへ行った時の写真を紹介しましょう。

ブリストルはイギリスのウエールズ州にある街です。

ロンドンのパディントン駅から電車に乗り2時間位だったでしょうか?

ブリストルと言えばこのサスペンションブリッジが有名です
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有る日の夜、社長宅でご馳走になりました。
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中央の赤い法被を着ているのが社長で、実はこの法被は社長が日本に来た時に保津川下りを楽しみ

その時に買った法被です。

私以外の二人の日本人は当時の我社のヨーロッパ駐在員で、一緒に講習を受けました。

ちなみに社長の隣の男性は街の教会の牧師さん。

こんな席にゲストとして呼ぶのは普通のことだそうです。


実はこの社長には二人の息子さんがおられるのですが、長男さんは私がNYに居た時

私と同じ事務所で働いていました。奥さんも可愛い人で良く遊びに行きましたし

英語も色々教えてもらいました。


そして二男さんは日本の私の会社に1年位研修に来ていましたが、長男とは全く異なる性格で遊び人

彼の面倒は私が見ていたのですが、仕事が終わると一緒に飲みに行こうと誘って来ます。

そんなこんなで社長の息子二人とはよく知っている仲なので社長は大歓迎をしてくれました。


この後は同じくイギリスのマンチェスターやリバプールにも行きましたが写真は殆どありません。

ただリバプールの駅で撮った写真が一枚残っていました。

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アンカレッジ

アンカレッジ経由北極ルート

昔のヨーロッパへの旅と言えば必ずアラスカのアンカレッジ経由でヨーロッパ各地へ向かいました。

その時の懐かしい写真が見つかりましたので紹介します。

アンカレッジ空港免税店

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羽田→アンカレッジ間は7時間半位だったでしょうか。

ちょっとここで一服出来るのは本当にありがたかったです。

空港内は日本からの便が次々到着するので日本人でごった返していました。

アンカレッジの免税店は特にお酒類の価格が安いので、ヨーロッパから帰りの便は

アンカレッジ空港に到着すると一斉に免税店のお酒売り場に日本人が殺到し大変な混雑。

皆さん3本づつお酒を買って再び飛行機に乗りますので、飛行機が重たくなるのではと心配(笑)。

マッキンリー山

アンカレッジを飛び立って暫くして左手に見えてくるのが北米で最高峰のマッキンリー山(6194m)です。
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この写真はウイキペディアより拝借したものです
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晴れておれば機内アナウンスも有る位有名ですよね。

マッキンリーと言えば日本の探検家植村直己さんが遭難し亡くなられた山です。

遺体は今でも発見されていませんので、どこかに眠っておられるものと思います。


グリーンランド島

飛行機はアラスカを過ぎ北極海の上を超えると、ヨーロッパの行き先によっては

グリーンランド島の上をかすめて通ります。北極海の写真は以前に紹介しましたので

グリーンランド島の写真を紹介します。

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海外へ行けば皆さんはどのようなお土産を買って帰りますか?

昔私がヨーロッパへ仕事で良く出かけていた頃は、海外で見る子供達の可愛い服装が気に入って

色々な国で時間があればその国の子供用の民族衣装を買って帰ったものです。

下の写真は確かドイツのニュールンベルグで買った衣装です。

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このように民族衣装を買って帰っては子供に着せて遊びに行ったりして写真を撮って楽しんでいました。

この他にも何枚か写真があるはずですが、子供が結婚と同時に自分のアルバムを持って行ったのか?

見つかりません(未だしっかり探していませんが)


時は移りこの娘も今や2児の母親です

ということで孫娘にも同じように民族衣装を買ってきていたのですが

娘はさっぱり孫に着せようとしません。

娘の家に見に行くとハンガーの隅に架けられたままです・・・

理由を聞くと、寸法が大きいのでもうちょっと大きくなってから・・・と言って

もう何年も経っています。

あれだけ自分は喜んでいたのに・・・(と親の私が思っているだけかな?)

おじいさんとなった今、私は寂しい限りです。

ということで今では全く孫の民族衣装は買って帰りません。

親の心、子知らずかな?・・・それとも私のわがままか?
フィンランドへは昔仕事で4回ほど行きました。

この写真は確か最初に行った1973年頃の写真だと思います。


空港近くにあったインターコンチネンタルホテル、最初は此処に泊まりました
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ヘルシンキの街並み
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国会議事堂
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【フィンランド一口メモ】
フィンランドは、スエーデンとロシアに挟まれてその歴史も複雑な道を辿ってきました。

12世紀から13世紀にかけてフィンランドは、スエーデン領となりました。

1809年スエーデンとロシアの戦いの結果スエーデンは敗れ、フィンランドはロシア帝国の所領となりました。

その後1917年になって初めてフィンランドは独立した国家になりました。


【ヘルシンキで感じたこと】

上記の歴史的な背景からか知りませんが、都会の若者は主としてスエーデン語を話していました。

御店に行っても最初にスエーデン語で話しかけられ、相手が分からないとフィンランド語で話します。

無論私にはスエーデン語もフィンランド語も分かりませんが、仕事で行った先の会社の人に教えてもらいました。

そしてテレビのニュースでも最初にスエーデン語で話して、その後もう一度同じ映像でフィンランド語で話しています。

ところが、これが田舎へ行くとフィンランド語しか話せない人が多いと聞きました。

確かに仕事でヘルシンキから130km程離れた田舎町へも行きましたが、此処では全てフィンランド語で会話してました。


白夜体験

全くの百夜ではありませんが、夜は11時頃まで明るくなかなか眠れません。

そして夜中の4時前にふと目が覚めて外を見るとホテルの前の道路にはサンサンと日が照っておりますが

夜中ですから誰一人歩いていない不思議な光景を見ました。



フィンランドではこの他に有名なサウナ体験や、ビールと牛乳が美味しかったので良く飲んだこなど

色々な思い出がありますが、記憶がうろ覚えになっていますのでちょっと記事には難しいかな?

ということで楽しい思い出が一杯あるフィンランドでした。
私がNYの駐在員をしていた頃、ヨーロッパにもドイツとイギリスに駐在員が居ました。

ある時この3箇所の駐在員がドイツに集結する機会があり

その時の休日にドイツの駐在員が持っていたワーゲンに乗り込み、有名なライン川下りの

ルートを車で回り古城を色々見物してきました。

その時の写真から有名な「ローレライの岩」の前で休憩した時の写真を紹介します。

後ろに見えるのが「ローレライの岩」です
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途中道端でさくらんぼとイチゴが売られてましたので買って食べました
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