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【昔の中南米旅行】
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広いパンパ平原を横断してアンデス山脈の麓にあるメンドーサという街に来ましたが 最初にメンドーサという街を少し紹介しておきます。 メンドーサという街は地中海性気候に属し温暖で(私が行った時は暑かった)少雨 ぶどうの栽培が盛んで、アルゼンチンで作られるワインの殆どがここで生産されています。 さて私がメンドーサに着いたのは12時少し前、とりあえず昼食を取るために車を 駐車場に入れてレストランへ行きました。 そして駐車場へ戻ったのが12時半頃、しかし何と駐車場の門が閉まってます。 そお言えば周りのお店のシャッターも殆ど下りており、通行人もわずか・・・ 困り果てて駐車場の前で立ってると若いお兄ちゃんが通りがかり、お互い下手な英語で 会話したところ、どうも午後4時まで駐車場は開かないようです。ウッソー! 後で分かったことですが、メンドーサの勤務時間は 朝8時〜12時、ここで一旦帰宅。この時殆どのお店も閉店。 夕方4時に再び出社して午後8時まで勤務。となっているようです。 つまりメンドーサは日中非常に暑いので皆帰宅してお昼寝の時間なのです。 仕方が無いので私も木陰で昼寝をし、午後4時に無事車をゲット! すこし郊外を走ってみました。 アンデス山脈の麓の部分が綺麗です 暫く郊外を見物の後、市内の小さなホテルにチェックインして、夕食はここで食べました。 夕食を食べている時ホテルのオーナーらしき人がやってきて私に色々分かりにくい英語で質問をしてきます。 何処から来たの・・・、日本です。 この街で日本人を見たのは初めてだ、何しに来たの・・・・観光よ。 オーナー???・・・この街に観光客なんて殆どいないよ。 こんな会話から始まって延々と彼の質問は続くのですが、とんでもない展開になっていきます。 折角日本人がわざわざこの街まで来たんだ、是非ともアンデス山脈観光をして帰りなさいとオーナーは強く勧めてきました。 此処からチリの国境までは200km。この間のアンデス山脈は非常に綺麗で是非とも見て帰れと言うのです。 しかも国境には大きなキリスト像が立っており、片足はアルゼンチン、片足はチリ。 でもこの間は砂利道で片側は谷になっており非常に危険だとの事。 ちょっと興味がありますが、これは私には無理です、と何回も断わったのですが 何とオーナーは、よし!ワシが良いドライバーを紹介してやると言って何処かへ電話。 暫くすると30台半ばの青年がやってきました。 聞くと、何と彼はこの町の警察の部長さん。運転の名人だとのこと。 ということで、とうとう明日この青年とアンデス見物のドライブに行くことになったのですが、この後私は一生忘れられないハプニングに遭遇することになります。 次回をお楽しみに。 去年私がある旅行で知り合ったお友達と旅先のバスの中で色々話していたら 何と彼はこのメンドーサからチリのサンチャゴへ抜けるルートのツアーに参加した と聞きました。何と今ではツアーができているんだとビックリしました。 非常にマニアックな旅行社が出していると言うことでた。 確かに40年近く前の状態とは道の状態も相当変わっている思いますので 道さえ良ければ観光地としては最高だと思います。 |

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アルゼンチンのブエノスアイレス市自体は2日もあれば主な所は大体見物できます。 (注)ブエノスアイレスという街の名の意味を少し説明しますと ブエノ=good、アイレス=風、ですから、良い風の街ということになります。 その名の通りこの街にはラプラタ河からの心地よい風が吹いています。 しかし名物のステーキを食べなくてこの国を去ることは出来ません。 後5日間何処かへ行って時間を過ごすことになるのですが、私はとんでもないことを 考えたのです。ブエノスアイレスの横に広がる大パンパ平原を横断したい 高校では地理を選択しましたので、パンパ平原のことは知ってました。 そこでレンタカーを借りて横断に挑戦しました(はっきり言って、今だから言えますが こんな無謀なことはしてはいけません。全ては私の安全に対する無知からです。反省) ブエノスアイレスから真っ直ぐ西へ、アンデス山脈の麓の町メンドサまで片道1500km。 往復3000kmを3日間でドライブする旅です。 真っ直ぐな道路の遥か向こうに青くかすんでいるのが本当の地平線です パンパ平原に入ると辺りは牛、牛、牛、牛肉の輸出国であることがわかります これだけ牛がいるのに国民が食べられないなんて・・・ 当時高速専用道路なんて無く、一般道を時速100km位で走るのですが、危険が一杯 夜になると牛車がゆっくり歩いてますので、ヘッドライトに入った時にはみるみる 近づいて、ぶつかる寸前でハンドルを切る動作が何回続いたことか・・ しかし真っ暗な空にははっきりと南十字星が見え、別世界です。 変化の無いパンパ平原を走って2日目にしてようやく小さな山が見えてきました。 そして2日目の昼前にメンドサ州に入りました。 さてこの先私には色々なパプニングが起こるのですが、次回のお楽しみに。
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タンゴにはアルゼインチンのブエノスアイレス近郊で生まれたものを アルゼンチン・タンゴと呼び、 このタンゴがヨーロッパに渡って変化したものをコンチネンタル・タンゴと呼んでいます。 ということで早速本場のタンゴが聞きたくて出かけました。 ガイドブックによるとタンゴの発祥はラ・ボカというブエノスアイレスの港に近い ボカ地区だと言うことで、最初にボカ地区へ行きました。 ボカ地区にはタンゴの名曲「カミニート」で知られる、「カミニート通り」があります。 ここはわずか50m位の短い通りで家々の壁は派手な色で塗られていました。 夕刻ボカ地区の適当なお店に入ったのですが、ここは若者の酒場と化しており タンゴとは全く無縁でしたが、それはそれでアルゼンチンの若者とビールで乾杯を繰り返して大いに盛り上がって楽しかったです。 明くる日ホテルで聞いてみると、タンゴを聴く店はボカ地区には無いとの事。 普通は小さなお店で食事の後タンゴを聞くというのが一般的と聞かされ 紹介してもらったのがこのお店です。 中々雰囲気の良いお店で、バンドネオンの独特の響きが郷愁を誘いました。
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さて前回の何となく陰気であったウルグアのモンテビデオを早々に引き上げ お話したように日本製のYS−11型機に乗り、ラプラタ河を飛び越えて対岸の アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに向かいました。 飛行機から見たブエノスアイレス近郊、綺麗な街並みです 革命の日を記念して7月9日大通りと呼ばれる道幅140mもある世界一広い通り と、ここまで撮った所でカメラの調子がおかしくなり後は絵葉書で紹介します。 さてアルゼンチンに来て1つ驚いたことがあります。 街全体は非常にヨーロッパ風の綺麗な街なのですが、当時は南米各国共大不況。 ブラジル同様アルゼンチンもデノミを繰り返して何とかインフレに対処していました。 ところがいかんせん、外貨不足は国の大きな問題ででした。 そして当時アルゼンチン政府が取っていた大胆な外貨対策にびっくりしました。 そこで政府は外貨不足を補う為に国民に牛肉を食べるのを自粛してもらい その分を輸出に回して外貨を獲得していたのです。 システムはこうです。 国民には1週間措きに牛肉無し週間を設け、その週はスーパーは勿論レストランでも 牛肉の提供は出来ないというシステムです。 そして間の悪いことに、私がアルゼンチンに着いたその日から牛肉無し週は始まり 丸1週間はチキンと魚ばかり食べていました。 そして1週間が過ぎ、はれて牛肉が食べられる週になりましたので早速レストランへ 噂のステーキを食べに行ったのですが、そこで又ビックリです。 出てきたステーキの大きいこと・・まるでレンガです。 無論味は大変美味しく、必死で食べましたがとても私一人では食べ切れません。 それでも何とか頑張ったのですが、とうとう少し残してしまいレストランを出たのですが その時の店内のアルゼンチン人の私を見る目は今でも忘れません。 何と言う勿体無いことを・・・と言う目です。 そうです、必死にお国の為に我慢して食べるのを止めていた牛肉を残すなんて・・・ という目付きでした。 以上がアルゼンチンで私が最初に体験した驚きです。 ピンクハウスと呼ばれる大統領官邸
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