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ひろしの旅日記
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書庫ブルガリア・ルーマニアの旅

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           【プロヴディブの夜の散策】
リラの僧院の観光を終え、この日はプロヴディブという街に泊まりました。
夕食を終えた後、ホテルが街の中心部にあったので散策に出かけました。
 
ホテルの前の中央広場にある変わった形をした噴水
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中央広場の世からアレクサンダル・バティンベルグ通りと言う歩行使者天国
になった通りがあるのでそこを歩いてみました。
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ヴァイオリン弾きのおじさんがいたのでポケットのコインをあげました。
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通りの突き当たりの所にはローマ時代の円形劇場の遺跡が保存されています。通りは此処を避けてトンネルになってます。
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遺跡の向こうには綺麗なミナレットを持つ14世紀オスマン朝のジャマヤ・ジャーミヤイスラム寺院が見えます。
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小雨が降り出したのでここから引き返しました。
中央広場から見た私が泊まったホテルです。
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            【黄金に輝くイコノスタス】
リラの僧院、聖母誕生教会のアーケード部分のフレスコ画は十分堪能しました
しかし撮影禁止の教会内部はやはり気になりますよね。
 
そこで売店で小さな日本語のガイドブックを買ってきましたので
少しだけ内部の様子を紹介します。
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教会内部はアーケード部分同様、フレスコ画で埋め尽くされています。
本当に暗い教会内部は小さな窓から差し込む光線と
ローソクの明かりだけが頼りです。
全体の様子は下の写真のような感じです。
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              【イコノスタスとは】
教会の中で一番注目されるのはイコノスタスです。
それではイコノスタスについて少し説明しておきます。
(上の写真で下のほうに写っているのがイコノスタスです)
 
教会内に入ると正面奥に見える数多くのイコンで飾られた壁をイコノスタスと言います。
ブルガリアを始めロシア、ルーマニアなど正教会を含む東方正教会の教会では無くてはならないものなのです。
東方正教会系の教会では至聖所(祭壇)の前にイコノスタスが置かれているため、通常至聖所へ入ることも中を見ることもできません。
イコノスタスは祭壇と会衆席とを分ける仕切りなのです。
聖母誕生教会のイコノスタスは幅が10mもある木製の立派なもので、繊細な彫刻が施され
表面には金箔が施されています。
そしてその壁には一定の秩序をもって数多くのイコンが飾られています。
ブルガリア木彫芸術の最高傑作とも言われているもので、その製作には5年を要しました。
 
それでは黄金に輝くイコノスタスをご覧ください。
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聖母誕生教会の壁画

          【聖母誕生教会のフレスコ画】
リラの僧院の中でも一番の見所は何と言っても聖母誕生教会です。
 
広場の真ん中に建つ教会に早速行ってみましょう。
 
内部は何時ものように撮影禁止ですが、心配いりません・・・
 
入口は左の内部が真っ暗な所ですが、その手前のアーケードにも
びっしりとフレスコ画が描かれており、この部分は撮影が可能です。
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それではアーケードに描かれたフレスコ画を紹介していきましょう。
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これ等のフレスコ画は無論大火の後の復興時に描かれたもので
主にはゾクラフ家の画家たちとその弟子によって描かれました。
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壁画について色々説明してくれる現地ガイドのブラッドさん
日本語がお上手で、普段は英語でのガイドをしていますが、日本人が来ると
日本語のガイドになります。
彼以外にも多くの日本からのツアー客には現地ガイドが付きますが
皆さん日本語が本当にお上手でした。
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                【フレリヨの塔】
リラの修道院は元々は現在の位置から3km程東にあったのですが
12世紀後半に荒廃していました。
14世紀半ばに当時の地方封建王フレリヨの多大な寄付により現在の位置に再建されました
しかし14世紀末になってオスマン人が修道院への襲撃や破壊を始めたので
「フレリヨの塔」はフレリヨ家と修道士の防御用に建てられたものです。
1833年の大火では奇跡的にもこの塔だけは被害を免れました。
現在フレリヨの塔の1階はお土産屋さんになっており、上には鐘楼があります。
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リラの僧院へ

ボヤナ教会の見物を終わった後はリナの僧院へ向かいました。
 
リナの僧院はブルガリア正教会の総本山ともいうべき僧院(修道院)です。
 
ブルガリアで最も人気のある観光名所です、楽しみです。
 
ソフィアからリラ迄はおよそ120km。ブルガリアの南西部にあります。
 
 
                【コウノトリの里】
リラへ向かう道の途中にはコウノトリが沢山住む村があります。
ちょっと下車して見物しました。
家々の煙突の上に巣が作られコウノトリが住んでいます。
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お店の看板にもコウノトリが使われていました。
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コウノトリは日本では絶滅寸前の鳥として大切に育てられていますが
外国では結構普通に街中で見ることが出来ます。
昨年モロッコへ行った時も旧市街のあちこちにコウノトリの巣がありました。
 
 
村で出会った子供達
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            【名物、鱒(マス)料理】
僧院近くのリラ村に入ってきました。ここで昼食です。
ここでの名物は、すぐ近くを流れるリラ川でとれる鱒料理です。
何時ものように料理を食べ始めてから写真を撮りましたので
お見苦しく、半身が既に食べ終わっています。(美味しかったですよ)
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            【リラの僧院】(世界遺産)
僧院の歴史は10世紀にさかのぼります。
イヴァン・リルスキという僧が隠遁の地としてこの場所を選びました。
そして小さな寺院を建立、それがやがて中世の宗教と文化の中心となっていきました。
 
リラの僧院が現在の姿になったのは、1300年代のこと。
当時、第二次ブルガリア帝国の保護・支援を受けた僧院は、宗教的な面としてはもちろんのこと、建築文化としても、芸術文化としても、盛況を極めました。
 
しかし14世紀の末、僧院の最盛期は終焉を迎えました。
ブルガリアはオスマン・トルコに征服され、第二次ブルガリア帝国が滅びてしまうからです。
 
しかし、このオスマン・トルコの支配時代における、リラの僧院の立場がなかなか興味深い。
地域によってはブルガリア語書物に関する禁制・イスラム教への改宗などを強要したオスマン・
トルコ政権だったが、リラの僧院は特別な扱いとされ、 僧院内では、キリスト教信仰が許可
され、ブルガリア語書物の読み書きも自由に行えました。
 
このため、500年間にもわたる他国家・他宗教の支配にさらされたにも関わらず、ブルガリア
正教の文化は途絶えず、リラの僧院は、貴重な文化を後世に残す役目を果たました。
 
1833年、僧院は大火に見舞われ建物殆どは破壊され、ブルガリア国民は失意のどん底に
しかし直ぐにブルガリア全土からボランティアが集結、寄付も集まり復興開始。
建築家アレクシ・リレツの指導の下に修復が行われました。
 
ブルガリア復興期の建築物の最初の傑作の一つとみなされている修道院複合建築物は、
1983年にユネスコの世界遺産に登録されました。
 
僧院入口の門です。
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沢山の日本人ツアー客が来ており、門の前は日本人だらけ。
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現地ガイドのブラッドさんによれば、バラ祭りの時期に来る観光客の9割は日本人。
その後日本人観光客は減るが、年間を通しても日本人観光客は全体の5割を占めると言ってました。
どおりでどのお店の人もカタコトの日本語を話していました。
今ブルガリアは日本人ブームなのです。琴欧州も頑張っていますね。
 
 
門を入ると先ず目につくのが広場の真ん中に建つ「聖母誕生教会」
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そしてその周りを取り囲むように立つ僧院
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次回に続きます。
        【ボヤナ教会のフレスコ画(世界遺産)
それでは早速教会内部のフレスコ画を紹介いたしましょう。
内部は撮影禁止ですから、買った写真集からのコピーです。
教会内部は窓が殆ど無く小さな電球の明かりで鑑賞します。
これ等の絵の殆どは1259年に描かれたもの(創立者の碑文が壁に書かれているので分かります)です。
とても75年前に描かれたものとは思えないくらい綺麗に残っています。
 
それでは最初に目に飛び込んでくる全体の印象はこんな感じです。
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最先端部(一番古い部分)には小さな窓が一つあります。
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ボヤナ教会には240点もの絵像が残されていますが、
その内の何点かを紹介します。
               【キリストの変容】
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                 【全能であるキリスト】
教会前部のドーム(丸屋根)には全能であるキリストの像が描かれています。
その下には天使と4人の福音書記者の像が描かれています。
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                   【最後の晩餐】
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          【カロヤン長官とデシスラバ夫婦】
この肖像画は教会内でも最も関心を集める画像です。
カロヤン長官は教会の2回目の増設時に大財源を寄付し、優れた画家を招き
壁画を描かせた創設者です。
カロヤン長官が手に教会の模型を持ち、それを聖ニコラに捧げる場面が描かれています。
デシスバラ夫人の表情に富む顔つきの洗練された描写が見事です。
この肖像画は残された歴史人物の偶像の中でも最古のものと言われています。
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この壁画の作者は一体誰なのか?2008年初頭までは謎とされていました。
しかしボヤナ教会の2006〜2008年の外の北壁の修復中に、下地塗りの中に
作者が「自分がこの絵を描いた」という落書きを発見。
その後の調査で、間違いなくこの人物だということが判明しました。それは
二人のブルガリア人の画家で、バシリーとデイミタルです。

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