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ひろしの旅日記
ブログの更新はお休みしてますが、又再会します。

書庫中央アジア5カ国の旅

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ウズベキスタンのサマルカンド市内の観光を終え、今日は首都のタシケントへ移動します。
 
複雑な国境線
サマルカンドからタシケントへは1本の幹線道路が有り、この道を真っ直ぐ走れば
3時間位でタシケントへ到着します。
しかし、この道路の真ん中辺りに何とカザフスタンの領土が一部入りこんでおり
入出国の手続きをする必要がありますので、バスはそこを避けるように大きく迂回してタシケントへ向かいます。
おかげで朝8時にサマルカンドを出発したバスは午後1時にタシケントに到着。
タシケントは最初に日本から到着した街ですが、観光はしないでそのまま移動しましたので最後の観光地となりました。
 
              【タシケントの日本人墓地】
最初に訪れたのはタシケントにある日本人墓地です。
第二大戦直後、中国東北地方(旧満州)、樺太や北方領土にいた日本兵はソ連により強制的にシベリアへ送られ長年労働を強いられました。
厳しい環境の下、命を落とすものが少なくなかったのです。
山崎豊子の「不毛地帯」を読むとその凄まじさが表現されています。
シベリアへ送られた日本人は75万人と言われていますが、1説には200万人以上とも言われています。
私のように旧満州からの引き揚げを経験した者にとってはこの件に関し書きたいことは山ほどありますが、今回は簡単に済ませます。
 
シベリアへ送られた日本兵の一部は中央アジアにも送り込まれ、過酷な労働と環境の為に亡くなられた方が多数おられ、墓地があちこちに点在しています。
タシケントの日本人墓地は市内にありますので、日本からのツアーが有る場合は大体参拝しているようです。
市内のムスリム墓地を入って行くと一番奥に日本人墓地はあります。
 
ムスリム墓地が並ぶ道を奥へと歩いて行きます。
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一番奥に綺麗に整備された日本人墓地はありました。
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到着した時には一人の現地人がほうきで清掃をしていました。
聞けば地元のボラティアの方だととのこと。
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我々が到着した時にはトラピクスさん一行が先に来られておりお参りをされてました
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私達も少しばかりの花束と日本から持参した御線香を手向けお参りしました
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お墓を見た時私にはぐっとこみあげる物が有り
思わず幼少の頃、毎日ラジオから流れていた「異国の丘」を思い出しました。
♪今日も暮れゆく異国の丘に〜、友よ辛かろ、切なかろ〜♪
我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ〜帰る日が来る 春が来る♪
 
今でも歌詞は完璧に覚えています。
 
 
この墓地には80名の方が葬られ、名前と出身地が刻まれた碑がありました。
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墓地の一番奥には各地で亡くなられた方の地名と人数が書かれた碑があり
お墓には日本から送られた桜の木が植えられていました。
この墓地はたまたま日本人観光客が沢山来る街に近かったので綺麗に整備されていましたが、シベリア各地には荒れ果てたお墓が沢山あると聞きます。
悲しいことです。
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最後のバザール

お正月など関係無く、今年最初の記事を書きます。
今年も旅記事が多くなると思いますが、どうかよろしくお願いします。
 
さて現在は中央アジア5各国大周遊の旅の終盤、最後の訪問国タジキスタンに来ています。
遺跡見物も終わりましたので、お決まりのバザール見物です。
 
             【ペンジケントのバザール】
バザール見物もそろそろ飽きてきましたね、でもこれが最後の見物です。
 
ペンケントのバザールは特に他と変わった所は無いですが、有名な品としては
蜂蜜とお塩かな?皆さん買っておられましたが写真は無いです。
バザールの雰囲気はこんな感じです。
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中央アジアは乾燥しているのでスイカが美味しくて毎回食事の度に出てきます。
でも種が多くて食べ難いです。
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皆さん、この→の品は何だと思いますか?
大きなペットボトルに入った黒ずんだ液体は綿花オイル(食用)です。
綿花の木から採れますので、中央アジアでは良く使われています。
でもこの油を使った食事を食べると日本人はよく下痢をすると言われてます。
一流の旅行会社ならレストランやホテルに綿花オイルは使わないで下さいと
通達しているはずですが、果たして・・・?
ちなみに下痢をしても日本の「正露○」はあまり効きません。
現地ガイドが持っている薬が効果があるようです。
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これは巣箱から採り出した蜂蜜の塊だと思うのですが、ビニール袋の中にミツバチが入ったまま売ってます(笑)
おばさんにそれを言うと笑いながら紙をかぶせて我々に見えないようにしました。
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バザール見物も疲れてきましたので、例によって人物写真で楽しみました。
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バザール見物の後再び国境を越えてウズベキスタンのサマルカンドへ帰りました。
明日はいよいよ最後の都市、ウズベキスタンの首都タシケントです。
 

ペンジケント遺跡

大晦日だというのに暇ですから今日も記事を書きます。
現在はタジスキスタンという国のペンジケント遺跡に来ています。
 
       【ソグド人の古代都市遺跡、ペンジケント】
ペンジケント遺跡は,5世紀〜8世紀の間,シルクロードの交易商人として活躍したソグド人が住んでいた古代都市の遺跡です。
8世紀にアラブ人の襲撃に遭い,住民はペンジケントを放棄し,他所へ逃げ、
その後,この地にはだれも立ち入らなかったため,ソグド人の古代遺跡として原形を留めた状態で最近まで保存されたので’中央アジアのポンペイ’と呼ばれています。
 
当時のペンジケントの町は広さ20ヘクタール余りで、三方を城壁で囲まれていたそうで、発見されるまでは小高い丘だと考えられていました。
1933年,ある羊飼いがゾクド語で書かれた書類を発見したのがきっかけで,この古代ゾグド人都市遺跡が見つけ出されました。
そこで1950年代からロシアの研究者が発掘調査を始め,いろいろ重要な発見がなされたました。
特に色鮮やかな貴重な壁画はロシアのエルミタージュ美術館に保存されています。
 
 
これが当時の街の概略図です。
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建物の多くは日干しレンガで造られていたため、今は殆ど痕跡を留めていません。
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一部にはこのように粘土を塗って保存してますが、再び調査をする時には外側の粘土を取って調べるそうです。
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ロシア研究者の調査結果では,遺跡は住居地区,商業地区,宮廷,ネクロポリス(墓地),ゾロアスター教寺院のエリアに分かれ,5000人ほどが暮らしていたようだ
下の写真は住居の跡だそうです。
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これは鳥葬をおこなっていたことで有名なゾロアスター教(拝火教)の寺院の跡。
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ペンジケント遺跡は丘の上にあって,向こうにはトゥルケスタン山脈が見え,下を見ると金の川を意味するというザラシャン川が流れ,現代のペンジケントの町が広がっています。人口は6万人です。
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最後に、余談になりますが、ガイドさんの説明では、アラブ人の襲来によりこの地を追われたソグド人の中には東へ東へと逃げてとうとう日本の奈良へ辿り着き、
奈良時代の文化を支えたのだとか。(どうもこれは本当のようです)
 
 
この旅の記事は今年中に終わりませんでしたので
新年からも引き続き書いて行きます。
 
どうか皆様良い新年をお迎えください。

ルダーキ記念博物館

現在はタジキスタン観光に来ています。
 
        【ルダーキ記念博物館(1948年建造)】
ペンジケントの街にある小さな博物館ですが、結構見る物はありました。
主には前回書きましたサラズム遺跡や次回に報告しますペンジケント遺跡からの発掘物を展示しています。
その他にこの辺りで生息した動物の剥製やタジキスタンの民族用品、そして博物館の名前にもなっているルダーキ氏関連の資料や肖像画等が展示されています。
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ルダーキさんの紹介
ルダーキはタジキスタンでは大変有名な歴史的な人物で、9〜10世紀のサーマーン朝時代に活躍し,イラン古典文学の父と言われ詩人としても有名です。
下の銅像は博物館の前の公園にあります。
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それでは展示物の一部を紹介しましょう。
この石斧はサラズム遺跡発見の手掛かりとなった、アシュラリおじさんが畑の耕作中に発見した石斧です(1977年)。
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ゾロアスター教が使っていた鳥葬用の骨壷
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若い女性の骨が発見された時に埋葬されていた装飾品
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ソグド人は客間を壁画で飾っていたことがわかっています。
商才に長けた民族だけにお金持ちも多く来客も多かったのでしょう。
ペンジケント遺跡からも多くの立派な壁画が出土しています。しかしその殆どは
ロシアのエルミタージュ博物館にあり、ここにはほんの一部しかありません。
 
下の写真は少し残ったオリジナルの壁画です。
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こちらの壁画は模写で物凄く長いのでほんの一部を紹介します。
本物はエルミタージュにあります。
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これは7〜8世ごろの銅の矢じりです。
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ウズベキスタンのサマルカンド観光も前回で終了し、いよいよ今回のツアーでは
最後の訪問国となるタジキスタンへ向かいました。
タジキスタンは日本の国土の40%位の面積で、人口は700万人。
中央アジア5カ国の中では地下資源に恵まれないので最も貧しい国です。
 
さて、サマルカンドからタジキスタンへ向かうと言っても、実はとても近いのです。
下の地図を見ても分かるように、タジキスタンの有名な遺跡、パンジケント(ペンジケント)まではわずか60kmしかありません。
サマルカンドから国境までは車で1時間位です。
ですからタジキスタン訪問は日帰り観光となります。
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先ずウズベキスタンの出国ゲートで手続きをしていると係員から
このゲートは10月末で閉鎖されるよと聞かされました。
我々が国境を通過したのは10月27日ですから、4日後には閉鎖です。
今回の閉鎖はウズベキスタン側からの一方的な通告らしいです。
ターニアさんの説明によると、以前からタジキスタンがアムダリア川に作った大きな貯水ダムで両国がもめていたから、それが原因では?ということらしいです。
この国境が閉鎖されると日本からタジキスタンへのツアーは無くなるだろうから
早速今夜日本に連絡すると添乗員は言っていました。
 
さて、タジキスタンへの入国は団体ビザ申請で、1時間ほどで終了。
迎えには小さなマイクロバス2台が来ていました。
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バスが走り出すと辺りは牧歌的な風景が広がります。
タバコ畑もあちこちで見られました。
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    【今年、世界遺産に登録されたばかりのサラズム遺跡】
バスが少し走ると今年7月に世界遺産に登録されたばかりのサラズム遺跡に到着
サラズムとは“地の始まり”の意で、山岳地帯から平原へ出る場所を表しています。
ここは紀元前4000〜3000年頃に作られた5つの異なる集落の遺跡が残っています。
この遺跡の発見は新しく、1977年にこの地を耕していたおじいさんが石器の鍬を発見したことから注目され発掘が始まり、今でも作業は続いています。
出土する土器片の装飾や形状からパキスタンやイラン方面とも交流が有ったことが判明しています。
住居は道区画で整然と仕切られ、日干しレンガの家は大抵2〜3部屋ある裕福な商人の家と思われます。
1985年には、20歳位の女性の骨と共に沢山の装飾品が出土しました。
このサラズム遺跡の場所は、ゾロアスター教の発祥の地ではないかとの説も出ています。これからの発掘調査によってまた新しい歴史が発見されるかもしれません。
(この遺跡に関しては「地球の歩き方」には書かれていませんので、ガイドの話をメモして書きました)
 
もう一つこの遺跡が珍しいのは、5000年も前の遺跡でありながら非常に地表の浅い部分から発見されたということです。
普通、遺跡は何代もの時代が積み重なっており、5000年も前の遺跡を発掘しようとしたら相当地下深く掘らなければいけないそうです。
 
それでは遺跡を紹介しましょう。発掘調査が終わった場所から保存の為に最近屋根を付けたそうです。
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