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今日はブータンの昔首都であったプナカへの日帰り観光の日です。
早朝にホテルを出発してプナカへ向かいました。
途中、休憩した村で見かけた露店ではヤクの乾燥チーズやリンゴが売られていました。
プナカへ向かう途中に標高3150mのドチュラ峠を越えます。
此処には2004年に108基のチョルテン(仏塔)がありますが、これは第4代国王夫人国王と国民の為に造ったと言われています。
しかしペマさんの説明によると、仏塔が出来る前年の2003年にこの場所でアッサムゲリラ軍国外追撃作戦が行われ国王も参戦しました。
この時の戦死者に対しての仏塔が建てられたのだそうです。
ブータンにもつい最近戦争があったのですね。
ここには沢山のルンタがあることでも有名です。
この峠でのもう一つの見所は、お天気さえ良ければ遠くに7000m級のヒマラヤ山脈が見える場所なのですが、霧が多く発生する場所としても有名です。
と言う事で、我々にはヒマラヤの山々ではなく霧がお出迎えしてくれました。
ドチュラ峠を越え暫く行くとロペサ村に入ってきました。
ここには段々畑がありますので撮影ストップ。
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バングラデシュ・ブータンの旅
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ティンプーでの1日目の観光が終わり午後6時頃ホテルに入りました。
少しホテルの様子を紹介します。
こちらが我々が泊まったホテルです。
フロントです。
中は吹き抜けになっており回廊の回りに部屋があります。
ホテルはメインストリートにも近いのですが、今回はホテルの周りの様子だけ紹介して後日メインストリートの様子を紹介します。
看板が面白いですね。
近所の八百屋さんです。
[ペマさんが日本語ガイドになった理由]
今回は我々のガイドであるペマさんがどのような経過で日本語ガイドになったのかを紹介します。このお話はティンプーへ移動中のバスの中で紹介してくださったものですが、結構長いお話で全てを覚えている訳ではありませんが、大体のあらすじを紹介します。
ブータンが政府の管理のもと観光に力を入れようとした時にガイドの数が絶対的に不足していました。英語のガイドは問題ありませんがその他の言語のガイドがいません。そこで各国から先生を派遣してもらいました。日本からはJICAの人がやってきました。そこでペマさんはフランス語、日本語、中国語の3つを同時に勉強しました。講習期間はわずか5ヶ月間です。
5ヶ月の講習が終わると早速フランス人のガイドの仕事が入ってきました。
しかしその時のペマさんは簡単な日常の挨拶程度しか話せませんでした。
上の者からは、「後はお客さんから教えてもらいなさい」でした。
でもペマさんは当時はフランス語か英語のガイドになろうと思っていました。
何故なら、当時は日本人の観光客は少なく仕事が無いからです。
さてフランス人のガイドをしたのですが何も喋れませんので挨拶をした後は黙っていました。フランス人の添乗員さんはある程度事情は分かっていたのでしょう、主なところは添乗員さんが説明されていました。
このようなことが何回か続いたある時、突然に日本人のガイドの仕事が入ってきました。当然ペマさんは簡単な日本語の挨拶しか話せませんからこの時も黙っていました。すると日本人の添乗員さんがすらすらと説明を始めました。
このようにして日本人のツアーも終わろうとした最終日、ある日本人のご夫婦がペマさんの所に来て「日本に来て勉強してみませんか、費用は全てもってあげますよ」と言われたのです。
ペマさんはビックリしたのですが、お世話になることに決めたそうです。
飛行機に乗るのも、海外へ行くのも初めてのペマさんはブータンの民族衣装である「ゴ」を着て日本へ行ったそうです。
日本には3ヶ月間滞在したそうですが、その全てが旅行だったそうです。
北海道から沖縄まで主な所は殆ど行ったそうです。
無論日本語勉強の為ですから電車やバスに乗っての一人旅でした。
この時受けたカルチャーショックと日本人の親切さには本当に感動したそうです。切符を買おうと案内板を見ていると直ぐにやってきて親切に説明してくれるし、電車に乗れば「ゴ」の衣装が珍しいのでしょう、直ぐに座席を譲ってくれました。お陰で沢山の日本人の方とお話が出来て本当に勉強になったそうです。
3ヶ月の後、大変お世話になった日本人ご夫婦とお別れしてブータンへ帰ってみると何と日本人観光ブームが到来していました。
そこからはもう休む暇も無い位毎日が日本人ガイドに明け暮れてすっかりフランス語も忘れ、今では完全な日本人専用ガイドとなっています。
以上がペマさんから聞いた大体のあらすじです。
凄いお話ですね。
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ティンプーにも当然ゾンがありますから見学に行きましょう。ゾンとは以前にも説明しましたが行政機関と僧院が一緒になった城郭のような建物です。
ティンプーのゾンは午後5時まで役所の人が仕事をしてますので5時以降でないと見学はできません。
駐車場に着くと目の前に鉄柵で囲まれたゾンの建物が見えてきました。
ちなみにこの駐車場には官僚の高級な車がずらりと並んでいました。やはりこおいう国は公務員が一番裕福なようですね。
鉄柵の間から中を撮ると綺麗な芝生が敷き詰められていました。
午後5時と同時に入口の門が開けられ大勢の観光客が一斉に中に入っていきました。
ゾンの前の道路右手には国会議事堂が見えます。
ちなみに議事堂の横には木陰で見にくいですが小さな国王の宮殿もあります。
守衛さんが警護すこちらの入口から入ります。
入口では手荷物検査が行われます。
横手では綺麗な桜も咲いていました。
中庭に入りました。皆さん一斉に周りの建物を撮っています。
欧米からの大勢の観光客が来ていました。
この中庭では秋にツェチュ祭りが催されます。パロのお祭りは春で、大変人気が出ているのに刺激されてティンプーのツェチュ祭りも最近は盛大になったと聞いてます。もしブータン旅行をお考えの方は春か秋のお祭りに合わせて旅行されることをお勧めします。
僧院も見物しましたが、僧侶の人の姿は殆ど観ませんでした。
冬の間はプナカのゾンに移動しているそうです。
約1時間ほど見物して帰りました。
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ブータンにはターキンという珍しい動物がいて、ブータンの国獣に指定されています。保護区がありますので早速見に行きました。
ガイドは、ここは動物園だと言うのですが、ターキンと鹿しか飼われていず、とても動物園とは言えません。広く網で囲われた地域にターキンが10頭ほどいるのですが、余りにも広い地域なので網の隙間から望遠で撮ってみました。
牛とヤギの中間くらいの大きさで非常に珍しいどうぶつだそうです。
ターキンを見物した後、この辺りは高台になっていてティンプーの街並みが見渡せましたので撮ってみました。
ティンプーはブータンの首都なのですが人口は僅か10万人位です。
[一口メモ ブータンでは英語がよく通じる]
ブータンではチベット語系のゾンカ語が公用語となっていますが、ネパール語と英語もよく使われています。その背景にはブータンが1949年までイギリスの保護国であったことも要因の一つでしょうが、ゾンカ語が1980年代に公用語として定められた新しい言葉で、仏教に関する語彙は多いのですが教科書を作成するには語彙に乏しいのです。
もう一つの大きな要因はブータン人の教員が不足しており、インドから大量の英語が話せる教員を採用しています。ですからブータンでは小学校から大学まで国語の時間(ゾンカ語)以外は全て英語で授業が行われています。
このような背景があるためにブータンでは殆どの人が英語を話せます。 |
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ブータンの首都ティンプーにやってきました。
最初に訪れたのはメモリアル・チョルテンです。
[メモリアル・チョルテン(第3代国王記念仏塔)]
1972年にナイロビで客死した第3代国王が生前に建立を発がんしたのがこのチョルテン(仏塔)です。第4代国王がその意思を引き継ぎ1974年に完成しました。今ではティンプー市民にとって大切なチョルテンとなっています。
こちらの入口から中に入りましょう。
大きな仏塔が広場の真ん中に建っています。
大きなマニ車もありますね、回しておきましょう。
ここでは仏塔の周りを時計回りに回って願い事を唱えます。
忙しい人は最低3回は回らないといけませんが、暇な人は一日中何回となく回っているそうです。ほら、沢山の人が回ってますね。
こちらのおばさん達は暇なのでお弁当持参でやってきて休憩しては又回るそうです。
違う角度から見た仏塔
こちらの建物では沢山のロウソクが灯されていました。
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