|
パロ空港が見えてきました、パロ市に到着です。
パロ空港はブータンで唯一の国際空港で、周囲を山に囲まれていますので世界一パイロットに厳しい空港として知られています。
基本的に離着陸は有視界飛行を行っていますので日の出から日没までしか利用することは出来ません。後日展望台からの全体像の眺めを紹介します。
パロ市内のレストランで昼食です。
周りの景色はこんな感じで、建物が独特ですね。
マイクロバスがあちこちに留まってますから沢山の観光客が着ているのですね。今日はパロのお祭りの日ですから昼食後は我々もお祭り見物に向かいます。
皆さん、ブータン独特の民族衣装を着ています。
男性が着ているのは「ゴ」、女性が着ているのは「キラ」と言います。
【ブータン一口メモ お金のお話】
ブータンは北は中国、南はインドと両大国に挟まれた小さな国。
特にインドとは歴史上色々と関係がありました。
その為かどうかは知りませんが、ブータンの通過ヌルタムはインドのルピーと完全に1:1で連動しています。
つまりブータンの100ヌルタム=インドの100ルピーです。
そしてインドルピーはブータンの殆どのお店で使えます。
逆にブータンのヌルタムはインドでは使えませんし再両替も非常に不利。
ということでブータンへ行く場合はヌルタムへの両替は最小にしておき、インドのルピーを持って行きましょう。
ちなみにクレジットカードは未だ普及しておらず殆どのお店で使えません。
私はインドから入国しましたのでインドルピーを相当額余していましたのでビールを飲むときに便利に使わせて頂きました。 |
バングラデシュ・ブータンの旅
-
詳細
コメント(8)
|
昨日はブータンに入国し、国境のすぐ近くのホテルで1泊しました。
今日はとりあえず半日かけてパロという街まで移動します。
ホテルを出発すると直ぐに山道です。一応道路は舗装されているので乗り心地は悪くないのですが、くねくねと曲がる山道には酔ってしまいそうです。
しかも道幅が狭いのでマイクロバスでもすれ違うのがやっとですから大型バスなどとても走れません(見かけません)。
最近になって観光に力を入れ始めたブータンはあちこちで道幅の拡張工事をしていますが全て人力で行っているので時間が掛かりそうです。
周りに人家が全くないのでパロに着くまで2回のトイレ休憩を取りましたが、全て青空トイレで、道路脇に車が止められる場所を見つけてはトイレ休憩としました。
こおしてバスで移動している時はガイドのペマさんがブータンについて色々お話を聞かせてくれましたので記事の合間に順次紹介していきたいと思います。
[ブータンは大きく変わった]
今回はペマさんの子供の頃のお話をしましょう。
ペマさんは現在28歳で独身ですから、子供の頃と言ってほんの20年前のお話です。
ペマさんは標高4000mの山奥で生まれ裸足で生活していました。そしてヤクという動物を飼っており、動物といえばヤクしか知りませんでした。
ペマさんが8歳になったときお父さんが学校に行ったほうが良いと言って11歳になる従兄弟も連れて山を降りパロの街へ連れて行かれました。
パロでは大きな木の下に小さな小屋を建ててくれ、そこが二人の住処になったのです、無論電気も水道もありません。小屋を作るとお父さんは再び山に帰って行きました。そしてこの小屋で従兄弟と二人の生活が始まりました。
学校から帰ってくると明るいうちに勉強をし、暗くなると寝るという生活です。
週末になると11歳の従兄弟が何かしらの仕事を見つけてきてペマさんはそれを手伝い僅かの現金を手に入れましたがとても食料を買える金額ではありません。食料は夜中に二人で付近の畑に盗みに行きました。
1回で大体2週間分のキャベツなどの食料を得て、それを僅かばかりの現金で買った油で炒めて食べていたそうです。
ブータンの夏は比較的涼しいので夏休みは2週間ほどしかありません。
学校から両親のいる家までは歩いて3日かかりました。道端で野宿をしながら必死で帰りました。家が見える山の上に来ると思わずオ〜イと叫びます、するとお母さんからも返事がありました。嬉しくて必死で山を1時間かけて駆け下ります。家では暖かい紅茶を沸かして出迎えてくれました。
短い夏休みは直ぐに終わります。再び3日かけて学校へ戻りました。
あれから僅か20年、今弟は靴下が破れたと言っては文句を言いますが、私は靴下など履いたことなかったとケンカになるそうです。
ペマさんのお話はもっと長いのですが要約するとこんな感じです。
ブータンは現在も大きく変わろうとしています。あと10年もすれば、10年前はこんなんだったよというお話が出てくるかも知れませんね。
ペマさんからは沢山のお話を聞きましたので今後の記事の中に入れていきたいと思います。 |
|
今日からいよいよブータン観光の始まりです。
ホテルに迎えに来てくれたのは日本語ガイドのペマさん(左端)とドライバーさんで、後ろに写っている緑のマイクロバスで移動します。
日本語ガイドのペマさんですが、日本のテレビに出たことがありますので、ひょっとしたら見られた方もおられるのではないでしょうか。
昨年(2012年)の7月に放送された「世界弾丸トラベラー」であのローラがブータンに来て、そのガイドを努めました。
ローラと言えばお父さんがバングラデシュ人で小さい時にバングラデシュに住んでましたからインドからバングラデシュにかけて広く使われているベンガル語を話せることで有名ですね。
ペマさんはそれまで日本の芸能人のことは全く知らなかったそうです(きっとローラの自由奔放ぶりに驚いたことでしょうね)
YouTubeにその時の様子が上がってますので見て頂けるとブータンの大体の様子が分かると思います。そして私の旅日記でも彼女が行った所は全て案内します。映像は2部に分かれていて合計は20分くらいです。
映像の右下にある「全画面表示」のボタンを押してもらうと大きく見えて楽しめると思います。
ローラ in ブータン第一部
ローラ in ブータン第2部
ブータンと言えば今や観光立国、一番多いのはやはりアメリカ人らしいです。
でも2011年にブータンの国王夫妻が日本に来られてからは日本でも急に人気が出て、とうとう2012年度は何と日本人がブータンに来る観光客の第一位になり、その数は年間7000人だそうです。
果たして今年は何人の日本人がブータンに来るのかな?
お陰でガイドのペマさんもこのところずっと休みがなく大変忙しいそうです。
ちなみにペマさんは現在28歳の独身です。
添乗員さんの話によりますと、十数年前初めてブータンツアーを企画したY社さんはその後西遊さんも始め、この2社しかツアーが無かったそうです。
それでも2社を合わせても年間100名程度のお客さんしか来なかったそうで、ホテルもパロとテンプーに1軒ずつしか無かった時代です。
しかし今は観光ブーム、あちこちでホテルの建設ラッシュ、はっきり言ってしちゃかめっちゃかの状態が今のブータンです。
後数年もすれば昔ののどかなブータンの風景は無くなってしまうのでは無いかと思います。
ペマさんからバスの移動中、色々面白いお話を聞きましたのでこの後順に紹介していきたいと思います。
(今日は孫の運動会の日で大変忙しく、この記事も早朝に書きました。写真が準備できてなく少ないですがお許し下さい)
|
|
今日はダージリンからブータンへの大移動の日、長いバスの旅になりそうです。
途中は寝ながら過ごしましたのであまり写真は撮っていません。
思い出しながらの私の下手な説明で想像してください。
今日は移動日なので何時もの4WDではなくマイクロバスです。でもこのマイクロバスでもダージリンでは大きな車になりますからすれ違うのが大変です。
朝の7時半にホテルを出発しましたが、タイガーヒルでヒマラヤ鑑賞をした帰りの一団と会ってしまい大渋滞。こんな時は警察では無く運転手仲間で取り仕切る人が出てきて各々の車に支持をしてちょっとずつ移動しながら通過します。
まあその運転の見事さは素晴らしいものです。ちなみに車の免許はちょっとした手続きと支払いだけでもらえて、実地試験やペーパーテストはありません。
ようやくダージリンの街を抜け出すと山道に入り、くねくね道が続きます。
道の左右にはテイスタ川が何度も見えますが、バングラデシュでも見ましたね。そしてこの山道ではあちこちで小さながけ崩れが発生しており、その度に交通規制が行われますのであちこちで渋滞です。
コロネーション橋を渡ります。この橋は1930年に建造された歴史ある橋で、トイ・トレインと共にイギリス統治時代に造られたものです。撮影タイム!
山道が終わると平地に降りて来たのか暑くなりました。
そしてこの辺りでも沢山の茶畑が目につきます。この辺りで作られているのはアッサムティーと呼ばれるもので、ミルクティーに適しているそうです。
お昼時になりましたので小さな村のレストランに入りました。レストランと言っても我々が入ると一杯になるような小さなお店。お父さんが料理をし、お母さんと子供達が一生懸命飲み物などの注文を受け手伝っていました。
出たものは焼きそば、野菜カレー、豆カレー、チャイ等で美味しかったです。
記念にお母さんの写真を1枚。
昼食後は暫く良い道を走りましたが途中からは物凄いガタガタ道。
この辺りにはシャルダパラ動物保護区があり、像やサイ、ヒョウなどが生息しているそうです。
ブータンの国境までもう少しという所で突然大きなヒョウが降ってきました。
赤ちゃんのこぶし位の大きさでしょうか。フロントガラスが割れそうなので慌てて避難、30分位で嵐は過ぎて行きました。
午後3時半ごろインド側国境ジャイガオンに到着。薄暗い事務所でゆっくりではあるがスムーズに通過。続いてブータン側のプンツオリンのゲートが見えてきましたが何故かバスはそのまま通過、ゲート前のホテル、ドゥルクに到着。
何でもこのホテルに滞在する人はホテルで待機している間にガイドがパスポートを集めてまとめて手続してくれました。我々はその間ゆっくりロビーでティーでも飲みながら待っています。
ホテルから見た国境のゲート。手前がブータン側で向こうがインドです。
こんなに近いのです。
あくる日の朝、改めてホテル周辺を撮ってみました。
入り口前の壁画も何となくブータンらしい。
ホテル前の道路
山の上から朝日が出てきました。今日からブータンの旅の始まりです。
|
|
登山学校を見物した後近くに紅茶園と工場があるので見学しました。
ダージリンと言えばダージリンティーで有名な紅茶の栽培地ですね。
ダージリンの人口の60%は紅茶園や工場で働いているようです。
遠くから見た紅茶園ですがよくわかりませんね。
こちらが近くで見た紅茶園、急斜面にありますね。
働いているのは殆どがネパール人で、ダージリンの人口の8割を占めているそうです。貧しい小さな小屋が沢山並んでいました。
紅茶工場ですが、この日は日曜で誰も働いていなく工場だけを見学しましたが、撮影はできませんでした。お茶の葉を選別して乾燥する装置が並んでいました。
この後我々の希望により紅茶のお店にも行き沢山テイスティングもしました。
でもダージリンで売っているのはお茶の葉っぱだけで、ティーパックは売ってません。もしティパックタイプがお好きならインドの都会で買えば沢山あります。
私も帰りのコルカタのスーパーで買って帰りました。
[チベットキャンプ]
ここは中国チベット自治区から逃亡してきた難民の人達が自活できるように作られた施設で、1959年にギャロ・テンドウーという女性が設立しました。
ダライラマ13世が1920年代にこの地に逃亡していたことがあったので、この場所が選ばれたそうです。
以上でダージリンでの見物は全て終わり、明日はブータンへ向かって移動です。 |




