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アナヌリ教会を見物した後は軍用道路をひたすら北に走り、ロシアとの国境の町カズベキへ向かいます。アナヌリからカズベキ迄は38kmですが、アナヌリからは道路が悪くなりガタガタ道、途中からは狭い地道になりますので2時間位時間がかかります。
しかしその途中はコーカサス山脈の山麓をくねくねと曲がった道で登っていきますので車窓からはここがグルジア?と思えるような景色が広がります。
ガイドのタムナさんは「グリジアのスイス」と言っても過言では無いでしょうか?
と言われましたが、その通りだと思いました。
バスはアナヌリの1000mから2500m近くまで上がって行きます。
それではグルジアのスイスの景色をお楽しみください。
バスの車内から揺れなが必死で撮ってますので多少窓の映り込みがあります。
小さな村が見えますね。
正面奥には滝がありました。
山の上にぽつんと立っている小さな教会が絵になりますね。
クダウリ村に着きました。正面のスーパーでトイレ休憩です。
この村は標高2200m、ソ連時代からスキーリゾートとして栄え、今でも多くのヨーロッパ人が来ているそうです。冬には辺り一面が雪景色になり、スキー場があちこちにあるそうです。
真夏の今でも結構な観光客が避暑に来ており、周りには沢山のホテルが立ち並んでいました。
クダウリ村を後にすると道は完全な地道となりガタガタと揺れます。
グルジア政府も観光に力を入れているので、あちこちで道路工事が行われていました。きっと数年後に来ればスイスイと走れるのでは無いでしょうか。
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コーカサス3か国への旅
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アナヌリ教会の見物を終え外へ出てくるとガイドさんが湖をバックに教会全体が写せるポイントがあるので、そこから写真を撮ってきて下さいと言われました。
そこは走ってきた軍用道路に架かる橋の上からでした。
ここから撮った絵葉書はグルジアの人気の絵葉書だそうです。
この橋の上からですね。
橋へ向かう途中からでも綺麗な景色が撮れます。
橋の上に到着しました。
この構図も良いのですが、右下のトタン屋根の小屋が気になりますね。
実はここは公衆トイレで、今回のコーカサスの旅行中最悪のトイレでした。
こんな所でするくらいなら青空トイレの方がましだと、トイレの裏に回ってみると沢山のチリ紙が・・・やっぱりね。
ということで私が選んだのはこの構図
後ほど絵葉書も買いましたが、ほぼ私の写真と同じようですね。
こちらが絵葉書です。
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アナヌリ教会については前回の記事で紹介してますので参考にしてください。
教会から見たシンヴァリ湖(ダム湖)は非常に美しいです。
教会の中に入って見物しましょう。
女性はスカーフを被ることを忘れずに。この教会では無料のスカーフが何枚か置いてありましたが枚数が少ないので前のグループが全部使うと見物を終わって出てくるまで待たなくてはいけません。
内部は撮影可能です。入口を入るとこんな感じです。
イコノスタシス(障壁)が美しく、描かれているのはグルジアの守護聖人、聖ゲオルギウスだそうです。
壁や柱には所々にフレスコ画が残っていますが、多くのフレスコ画は18世紀の火災で消失し、又ソ連時代に白く塗りつぶされたそうです。
今残っているのは修復されたものだそうです。
天井のドームには明かり取りの窓が沢山空いていました。
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ムツヘタ観光も終わり次なる目的地へ向かうのにグルジア軍用道路といういかめしい名前のついた道路を走ります。
この道路はグルジアへ観光に行けば必ず通るという重要な観光道路となっていますが、その経過を簡単に説明しておきます。
【グルジア軍用道路】
この道路は古来からヨーロッパと西アジアを結ぶ唯一の陸路としてシルクロードを行き交う隊商達に利用されてきました。
19世紀初頭にグルジアの地を治めていたカルトゥリ−カヘティ王国が南のペルシャからの侵略に悩まされ、北のロシア帝国の庇護を受けたことと、ロシアが中近東へ進出したい思惑が一致しこの道路の整備が始まりました。
道路の整備は1799年から始まり、ロシアが軍用目的で整備したことから「軍用道路」と呼ばれるようになりました。
グルジア軍用道路は、トビリシからロシア連邦の北オセチア共和国の首都ウラジカフカスまで続く南北全長約210kmの道のことを指すします。
その後鉄道が敷かれ、今では軍事目的の役割は無くなり、グルジアの主要な観光地を結ぶ観光道路となっています。
この道路はコーカサスの絶景を見れる道路としても有名で、文豪プーシキンも感動したと言われています。
その軍用道路ですが、片側1車線の狭い道路です。
軍用道路を暫く走るとジンヴァリ湖畔に建つアナヌリ教会が見えてきましたので下車して観光です。
【アナヌリ教会】
アナヌリ教会は他のグルジアの教会と同じように要塞としての役割もありました。城塞の中には2つの教会があり、山側(道路側)がイエスキリストに捧げた教会、湖畔側が聖母マリアに捧げた教会です。
湖畔側の教会は1689年建立。教会内部には見ごたえのあるイコノスタシス(障壁)があります。大部分のフレスコ画は18世紀の火事により損傷を受けていますが、南側の壁には少しフレスコ画が残っています。また外部の壁には保存状態の良い浮彫細工の装飾が残っています。
山側の教会は17世紀初頭に創建され、湖畔側の教会より古いものです。
ジンヴァリ貯水湖(ダム湖)は1970年代に建設された人造湖。この貯水湖を造るにあたり、十数カ所の集落が湖底に沈んだそうです。
それではアナヌリ教会を見に行きましょう。
城壁に沿って歩くと入口があります。
城壁と教会の間は非常に狭いです。 こちらが教会の外側です。
入口の壁には綺麗な浮き彫りの彫刻がありました。
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現在はグルジア観光のハイライトの一つムツヘタに来ています。
それでは城壁の門を潜って中へ入りましょう。
右側に門があり、左にドーム型の鐘楼があります。
門のベンチでは現地のお年寄りがのんびりと座っていました。
門をくぐると目の前にグルジア正教の大本山、スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂が現れます。大変呼びにくい名前ですがスヴェティ・ツホヴェリとは「生きている柱」という意味です。
【スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂】
この大聖堂にはキリストが磔になった時に着ていた聖衣の一部が埋葬されているそうです。それは以下のような伝説に基づくものです。
キリストがエルサレムで処刑された時にムツヘタ出身のグルジア・ユダヤ人のエリアスが居合わせ、キリストの着衣の一部をムツヘタへ持ち帰りました。
彼がこの衣を姉に見せたところ、姉は喜びの余り衣類を掴んだまま亡くなってしまい衣類が取れなくなってしまいました。
仕方なく姉と共にキリストの衣類も現在の大聖堂がある場所に埋葬したところ、その場所に杉の木が生えてきました。その樹液が人々の病を癒すようになり(現在でも教会の前の売店で聖なる油が販売されています)、4世紀に入って聖女ニノがこの地に教会を建てることを決め、生えた杉の木で木造の教会を建てました。それが現在のスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂の始まりです。教会が建てられた場所は当時のイベリア王国の王宮の中庭に当たる場所で、現在の建物は11世紀に石造りで再建されたものです。
スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂には西暦337年にキリスト教を国教と定めた(これは世界で3番目)王エミリアンとその妻ナナのお墓もあります。
それでは内部を見物に行きましょう。
こちらは入口の上にあったフレスコ画です。
内部の様子ですが、もうビックリです。素晴らしいフレスコ画で埋め尽くされていました。無論、撮影は禁止です。
今まで地味な教会ばかりを見てきた精でしょうか、外観からは想像できない素晴らしさです。
城壁の内部には王宮があったのですが今は無く、所々に基礎の部分が残っていました。
素晴らしいスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂でした。
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