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いよいよイランの旅も最終段階に来ました。
帰国の為にマシャド空港へ向かう途中に、フルドゥーシー廟に立ち寄りました。フェルドゥーシー(934ー1025年)はイランの3大詩人の一人と言われ、イラン国民からは大変親しまれ尊敬されている詩人です。
【フェルドゥーシー廟】
古代イランはイラン人により統治、支配してきました。この時使われていた言葉は「古代ペルシャ語」という言葉です。
ところが7世紀に入るとアラブ人が次第に勢力を強め、イランもアラブ人の支配下に入り、この時代は約200年間続きました。当然イランはイスラム化し、行政、宗教、文化、学術語はアラビア語が使われるようになりました。
9世紀前半頃からアラブの勢力が徐々に弱まるにつれ、イラン東部で民族王朝が樹立され、ペルシャ詩人が次第に現われるようになり、やがて宮廷詩人制度も復活され、ペルシャ文芸が復活するようになりました。
10世紀後半に、先駆的な詩人たちの後を継いで,イラン建国からササン朝滅亡に至る神話,伝説,歴史をテーマに作詩に着手し,30余年をかけて約6万句に及ぶ大民族叙事詩「シャー・ナーメ(王の書)」を完成させたのがイラン最大の民族詩人フェルドゥーシーです。 フェルドゥーシーはイランの歴史を6万の詩の形で残すと共に、アラビア文字によるペルシャ語を確実にこの国のものとしたことで、大きな功績を残したとイラン人に評価されているのです。つまり彼はペルシャ語を新しい形で守ったのです(近世ペルシャ語)。しかし「シャー・ナーメ」は当時の王からは評価されず、フェルドゥーシーは失意の内にこの世を去りました。 それでは見物に行きましょう。入り口を入ると目の前に大きな池があり、その向こうにフェルドゥーシーのお墓があります。
霊廟は昔のゾロアスター教の神殿風に造られています。
彼のお墓はこの霊廟の地下に安置されていますので下へ降りていきす。
これが大理石で出来たフェルドゥーシーのお墓です。
以前に紹介しましたハーフェイズ廟もそうですが、イラン人は詩人が大好きで、ガイドのアリさんは長々と説明を始めますので途中で飽きてきました。
地下室の彼のお墓の周りには彼の叙事詩の中に出てくる「ロスタム」という騎士が英雄のように描かれているのですが、そのロスタムの戦いの様子を描いたレリーフが飾られていました。
私は退屈なのでこちらのお嬢さんの写真でも撮っていました。
以上で今回の12日間のイランの旅の報告を終わります。
イランと言えば怖い国、堅苦しい国、というイメージを持っておられる方も多いと思いますが、この国ほど行って見てイメージと違った国はありません。一度行って見られる価値は十分あると思います。
この後はマシャド空港からカタール航空でドーハへ向かい、ドーハから関空へ帰りました。
余談になりますが、飛行機がマシャド空港を飛び立ったと同時に女性はスカフを取り、私はCAさんにそっとビールはありますか?と聞いたらにっこり笑って持ってきてくれました(万歳!)
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イランへの旅
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イマーム・レザー廟を見学した後、レザーバザールへ行きました。
実は今日1日の見物が終わりますと今夜の便で日本へ帰国の途につきます。
ですから今の内に残っているイランのお金を全部使ってしまおうという訳です。
向かったレザーバザールは600mの長いバザールが2本平行に走っているので双子のバザールとも呼ばれています。
売っているものは衣料品やお菓子、サフランなどの香料が主です。
バスの車窓から撮ったマシャドの街の光景
バザールに到着しました。向かいの建物に二つの通路があってバザールとなっています。この辺りは大変混雑していますので素早くバスを降りなくてはいけません。
入り口の周りの街の様子。
それでは自由時間ですから各自バラバラでバザールへ
私のイランのお金を整理しますと、お札の収集の為に日本へ持って帰るお札を除くと5ドル分位のイランのお金があります。
果たして何が帰るかと歩いているとお菓子屋さんがありました。
奥の方では量り売りの飴やチョコレートが沢山ありました。
どれ位買えるか見当がつかないので、お金を見せてお菓子が買えるか聞いてみると、買えるから3種類選べとのこと。
適当に3種類のお菓子を指さすと計りだしました。それを見てビックリです!とんでもなく量が多いのです。1種類ずつビニール袋に入れてくれ、3種類をまとめると、何と私の空のリュックが殆ど一杯になりました。
残念ながらその時の写真は撮ってませんが、改めて物価の安いのには驚きです。ちなみに、このお菓子の日本での処分が困るなと思ってましたが、孫達に大人気、あっという間に分捕られました。
この後旅友のおばさん二人と合流、バザールを歩いていると街角にソフトクリーム屋さんを発見、しかしもうイランのお金は無いし(バザールでは米ドルは殆ど使えない)と思っていたら、おばさんの一人が、私は未だ小銭を持っているので皆で食べましょうと言ってソフトクリームを買いました。
とっても美味しかったのですが、その後が問題。
何とそのおばさんの持っていたお金はソフトクリーム1本分位のお金でした。さあ困った、どうしようと騒いでいると紳士風のイラン人がさっと近づいてきて、1ドル札は持ってますか?と聞く。私が1ドル札を渡すと彼はイランのお金をお店の人に払ってくれました、両替してくれたのです。
本当にイランの人は親切な人が多いですね。
これで皆さんイランのお金は使い果たし、もう一か所見物してから帰国となります。 |
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イラン第2の都市マシャドにやってきました。
マシャドはイラン(正式名はイラン・イスラム共和国)にとってはある意味、首都テヘランよりも重要な街かも知れません。
マシャドにはイスラム教シーア派の最も重要な「イマーム・レザー廟」があり巡礼地となっているからです。
特にイランのお正月(春分の日)である年末年始(3月20日から4月3日)の15日間はノールーズ機関と言って役所、学校、企業はお休みで、この間にイラン各地から巡礼者が押し寄せ街は大混雑となります。
無論、宿泊施設も足らないですから道路の両端には延々とテントが並びすべてのモスクは公衆トイレと化すのです。
【イマーム・レザー廟】
イスラムの12イマーム派、第8代イマーム(指導者)である、イマーム・レザー(正式名はアリー)を祀った廟で、レザーとは「神の意に叶う」という意味のあだ名だそうです。
イマーム・レザー(765〜818年)は818年に急死(一説には暗殺)、マシャドに聖廟を建て葬られました。その後マシャドはイランにおける最大の聖地となり発展してきました。現在のような大規模な廟になったのは16世紀に入ってからのサファビー朝時代に入ってからだそうです。
それではイマーム・レザー廟の見学に出かけましょう。
レザー廟はお正月だけでなく、いつでも巡礼者で一杯です。昨日のマシャド行の飛行機の中も黒いチャドルを被った人で一杯、全て巡礼者だそうです。
レザー廟の見学には観光客と言えども全ての女性はチャドルを着なくては入れません。これはイランの旅行社が用意してくれて女性はこれを着たのですが何故か黒色では無かったです。それから入り口での手荷物検査が非常に厳しいです。ですからガイドは全ての手荷物はバスの中に置いて置くように言われました。荷物はちゃんと管理するとのことでした。
レザー廟の前に着きました。前は工事中でここから記念の写真を撮り、撮り終えたらカメラを一旦バスの中に置きに行ってから出発です。
入り口で専任のガイドさんと合流、後について入って行きました。
中は12万5千平方キロと言いますからとてつもなく広いです。中には広い広場がいくつもあり中心部には金のドームと霊廟があるのですが、ここには入れません。我々が最初に連れて行かれたのは社務所のような広い部屋。
そこで色々な来場記念品を頂きました。中にはDVDや英語で書かれたガイドブック、それと絵葉書集がありました。
中では写真が撮れないので絵葉書は大変助かりました。
レザー廟は大変綺麗で立派な建物ですから絵葉書で少しばかり紹介しておきますが、他にも沢山ありました。
記念品をもらった後はガイドについて広場の中をあちこち歩き回りました。広場の中は真っ黒なチャドルを着た人一杯で、何か異様な感じがしました。
その雰囲気はなかなかお伝えできませんが、もらったガイドブックの中に写真がありましたので紹介します。写真集をデジカメで撮りましたので分かり辛いと思いますが、中央から下にかけて真っ黒なのが巡礼者です。
以上、簡単ですがイマーム・レザー廟の雰囲気を味わって下さい。 |
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33アーチ橋から少し下流に下がった所にハージュ橋があります。
【ハージュ橋】
33アーチ橋と同じくザーヤンテ川に架かる橋で、アッパース2世が1650年から建設を始め、1666年に完成しました。橋は2層構造になっており、上層側も下層側も歩くことが出来ます。橋の長さは133m、アーチは23あります。下層部分のアーチには水門もあり、ダムの役目もしていたようです。ハージュ橋はその外観が大変綺麗なので市民の憩いの場所ともなっているようで、「ハージュ橋で会いましょう」という言葉も古い詩には詠われています。
ハージュ橋に着きました。ちょっと小さいですが綺麗な橋です。
歩道の幅は12mあります。
下側も歩けるようになってます。
歩道の横からは綺麗な川を眺められますが、残念ながら今は枯川です。
橋の中央には八角形に突き出たテラスがありますが、夏になるとアッパース二世はここで涼を取りながら宴会を開いていました。この当時はイスラム教でもお酒はOKだったようですね。
橋の袂には変わったライオン像があります。元々はお墓にあったそうですが、なぜかここに置かれてます。ライオンの口には何と人間の顔が掘られています。そしてこのライオン像はピカピカに光ってますよね。
日本のガイドブックに、この像にまたがると良いことがあると書いてあるため日本人が来ると必ずまたがるそうです。実際そんな話はイランでは聞いたことが無いそうです、困ったものです。
夕方遅くハージュ橋に着いたのでそろそろライトアップされてきました。
下のアーチの部分にはトンネル状の空間があるので沢山の人が涼んでいました。市民の憩いの場所なのですね。
この女性が座禅を組んでいい雰囲気だったので写真を撮ろうとしたら、いきなり目を開いてピースですって、ちょっと残念な写真になりました。
ハージュ橋を見物した後は夕食のレストランへ向かい、その後飛行機でイラン第二の都市マシャドへ向かいました。マシャドはイランの東の外れにある街ですからトルクメニスタンの国境に近いです。
このマシャドはある意味首都のテヘランより重要な街ですが、果たしてそこには何があるのでしょうか?
イラン旅行記もいよいよ最終段階に入ってきました。 |
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街の中心を南北に流れるザーヤンテ川には美しい橋が架かっています。
この橋のライトアップされた夜景も綺麗と言うことで以前に紹介さて頂きましたが、今回は夕方に再訪しその美しさを見物しました。
【33アーチ橋(スイー・オ・セ橋)】
スイー・オ・セとは聖なる数字33のことで、その名の通り33の橋脚があります。この橋は市内を流れるザーヤンテ川に架けられた長さ300mの綺麗な橋で、アッパース1世の命により1602年に完成しました。
アッパース1世がイスファハンに新市街地を造り、又旧市街地もザーヤンテ川の南側にあり、北側には何も無い土地でした。そこで川の北側に多くのアルメニア人を移住させ、彼らが信じるキリスト教を保護する代わりに此処でアルメニア人が商業活動を担いイスファハンを発展させたのです。
(アルメニア人はユダヤ人、インド人、華僑と並ぶ世界4大商売上手な民族と言われています。)
そして北側に住んだアルメニア人が南側の新市街へ行き来し易いように、この33アーチ橋が造られました。
この橋は昔は車も走ったそうですが、現在は歩行者専用道路となっています。そして心配なのは下を流れるザーヤンテ川ですが、数年前から全く水が流れなくなり枯川となってしまったそうで、イランの人達は心配しています。原因ははっきり分からないそうです。
夕日に照らされた綺麗な33アーチ橋です。ご覧のように下の川には全く水がありません。ちなみに数年前の写真をネットで見ましたが、綺麗な水が流れていました。残念なことです。
橋の幅は14mあり、多くの人が渡っていて今は遊歩道になってますね。
橋の両側には細い通路があり、所々に外へ出れます。ここで夕日を鑑賞しながら仲良くお話をする姿が見られました。
下の川には水が無いので人が自由に行き来できます。
アーチ橋の間を入って行くと真ん中にもトンネルがありました。
橋の上から見た夕日です。
この後は33アーチ橋から少し離れた所にもう1か所綺麗な橋がありますので、それを見に行きました。 |


