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ひろしの旅日記
ブログの更新はお休みしてますが、又再会します。

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現在はペルセポリス遺跡を見物中です。
 
丘の上の王墓から遺跡の全景を見た後は再び遺跡に戻って、まだ見ていない場所を少し急ぎ足で見物しました。
 
【クセルクセス1世の宮殿】
 
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【ダレイオス1世の宮殿(タチャル)】
ここが一番沢山の建物が残っています。
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宮殿南側のレリーフも綺麗に残ってますね。
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ぐるっと回って謁見の間を見ています。レリーフがあった階段とは反対側で、こちらからは残された柱を間近から見ることが出来ます。
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謁見の間を過ぎると最初に入ったクセルクセツ門の横側にかえってきました。これでペルセポリス遺跡を1周してきたことになります。
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以上でペルセポリス遺跡の見学は終わりました。
現在はペルセポリス遺跡を見物中です。
 
【アパダーナ(謁見の間)】
前回の記事でアパダーナ(謁見の間)へ通じる階段の横のレリーフを紹介しましたが、謁見の間はこのようになっています。
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ここまで見物したところで、ちょっと横道にそれまして、山裾にある王墓に立ち寄りました。ここからはペルセポリス遺跡の全景が眺められます。
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【アルタクセルクセツ2世の墓】
アルタクセルクセス2世はアケメネス朝ペルシア後期の王で、最も長く王位にあった人物です(在位:紀元前404年〜358年)。
墓は山の斜面を削るようにして造らています。
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墓の上のレリーフは、中央にゾロアスター教のアフラ・マズダ神が描かれており、左の王は王権の象徴である弓を手にしています。
王座を支えているのは属国の兵士達で、如何にもペルシャ的な構図です。
ちなみに、ゾロアスター教の最高神、アフラ・アツダは英語でAhura mazdaと書くので、日本の自動車メーカー、マツダがMAZDAと書いて社名にしていることは有名ですね。
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柵の中のお墓らしい所を覗いてみましたが、何もありませんでした。
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王墓の前からペルセポリス遺跡を眺めてみましょう。
遺跡の北側の部分ですが、一番手前の土台だけの部分は兵舎です。
中央奥に小さくクセルクセツ門が見え、右手の空き地のように見える所が未完の像があった所です。
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遺跡の中央部分で短い柱と門がある所が百柱の間で、その奥の屋根のあるところがアパダーナ階段のレリーフのあった場所です。
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柱の跡が綺麗に並んでいるこの場所が「宝庫」の跡です。
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この後はペルセポリス遺跡の残りの部分を見物します。
 
現在はペルセポリス遺跡の観光中です。
 
いよいよペルセポリス遺跡の中でも一番のハイライト、アパダーナ階段のレリーフの場所に来ました。此処だけは屋根が付けられています。
 
【アパダーナ階段のレリーフ】
アパダーナ(謁見の間)は周りより少し高い位置にありますので、4m程の階段を登っていきます。その階段の東側側面には見事なレリーフが残っていますので、ペルセポリス遺跡の一番の見所となっています。
2500年前のアケメネス朝ペルシャは広大な範囲を統治した巨大国家で、その中には28の属国を統治していました。
毎年お正月には(ゾロアスター教のお正月は春分の日、つまり今の暦の3月21日です)各国からペルセポリスへ貢ぎ物を持って使者が参上します。
その時の様子を細かく描いたのがこのレリーフです。
 
これがアパダーナ階段です。
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このレリーフにははっきりと23の国々の人々の様子が描かれており、
その配置は以下の様になっています。これを見ただけでもペルシャがどれだけ広大な範囲を支配していたかが分かります。
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初めは私はこの見取り図に従って順に写真を撮っていたのですが、しまいにゴチャゴチャになり分からなくなってしまいました。
そこで適当に何枚かを紹介したいと思います。
 
この辺りのレリーフはちょっと汚れてますね。
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所々に糸杉の絵柄が入ってますが、これは国と国の境目を表しています。
これだけ貢ぎ物があれば宝物庫がいるはずですね。
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下段の方は昔手で触れたのでしょう、黒くなっていますね。
今は触れないように囲いがあります。
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このレリーフの前は何時行っても混み合っています。
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現在はペルセポリス遺跡を見物中です。
 
前回の記事で百柱の間の南北の門に描かれているレリーフを紹介しましたが、百柱の間にはもう一つ西の門もあり、そこのレリーフを紹介します。
 
【百柱の間 西門】
こちらが西の門です。
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西門に描かれているのは王がライオンと戦って短剣を突きつけている様子が描かれています。王の力を誇示しているのでしょうね。
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百柱の間の全景をもう一度見て下さい。
左の小高い丘に石を積み重ねたものが見えますね。あれは王墓なのですが、あそこから眺めるとペルセポリス遺跡の全景が眺められますので後ほどあの丘を上って遺跡の全景を紹介します。
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遺跡の見物は通路が作られており、その順に従って見物しています。
 
【宝庫】
百柱の間の南側一体に広がった地域で、今は柱の跡しかありません。
ここは宝庫と呼ばれる所で、各地からの貢ぎ物や略奪したものを保管していた場所ですが、今は何もありませんね。
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さて、次なる場所はアパダーナ宮殿へ繋がる階段なのですが、ここがペルセポリス遺跡で最大の見所と言っても良いでしょう。
ここでは沢山の写真を撮りましたので次回の記事で紹介したと思います。
今回はこの後遺跡を回ってますと何回となく目にする「牛に襲いかかるライオン」のレリーフを紹介します。
これは牛は冬を表しライオンは春を表すそうで、もうすぐ春が来るという意味になるのでしょうかね。ゾロアスター教の新年は春分の日(3月21日)なので、これは新年を祝うレリーフということなのでしょうか。
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百柱の間

現在はペルセポリス遺跡を見物中です。
 
【百柱の間 北門】
未完成の門から直角に道を南へ曲がると百柱の間に行き着きます。
この部屋は会議や謁見の間として使われたそうで、先ず高さが14mもある北門の壁に行き着きます。この壁には綺麗なレリーフが残っているので見ていきましょう。一番上には王が王座に座り謁見している様子が描かれており、その下には1段に10人×5段で50人の家臣が王座を支えている様子が描かれています。
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1段をアップで見るとやはり顔の部分が削られていますね。
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一番下の段は手で触れたので黒く変色しています。現在はガラス板で囲われていますので触ることは出来ません。
ところで、この兵士達の履物を見て下さい、何か見覚えはありませんか?
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そうです、あのスポーツ用品メーカー、アディダスのロゴマークはこのレリーフをヒントに作られたそうです。
 
 
百柱の間ですが、柱の破片がゴロゴロと転がっています。
アレクサンドロス大王によって破壊された跡ですね。
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【百柱の間 南門】
これは百柱の間、南門ですが、こちらにも玉座の王が描かれています。
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一番下段はガラス板越しに撮ってます。
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ひろし
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