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現在はセルビアに入国し、ズラティボールという綺麗な避暑地に1泊しました。今日はバスで1時間ほど移動しモクラゴラ村へ向います。モクラゴラにはシャルガン8(エイト)というミニ列車が走っています。
【シャルガン8(エイト)鉄道】
この鉄道はかつてベオグラードとサラエボを結んでいた鉄道の一部を1999年に復元したもので、82型蒸気機関車が息を呑むような断崖を通り(現在はジーゼル車に変わってます)、20ものトンネルを抜け、昔通りに復元された木造の客車を引いて13.5kmを走っています。モクラゴラと終点のシャルガンの駅舎も、1925年の開業当時そのままに復元されました。
この鉄道は760mmの狭軌鉄道で、この地方は山地が多くループ状に鉄道を建設したため、遠くから線路を見ると8の字を描いていることからこの名が付けられました。
モクラゴラに着きました。可愛い列車が待っています。
駅舎も綺麗に再現されています。
駅舎の裏には100年ほど前の古民家が再現されて展示されています。
駅舎の隣にはレストランもあり、2時間半の列車の旅を終わって再び此処へ帰ってきますので、このレストランで昼食となります。
機関車は現在ジーゼル車となっていますが蒸気機関車も展示されていますので後程紹介します。
客車は1両毎に形態が異なっているので未だ誰も居ない車両を撮りました。
沢山の子供達が先生に連れられてやってきました。中学生かな?
おばちゃん駅長が合図をしていよいよ出発です。
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バルカン半島6か国の旅
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ヴィシュグラード見物を終えバスで少し移動するとセルビアに入国します。
今回のバルカン半島6か国の旅もとうとう最後のセルビアまで来ました。
【セルビア共和国】
面積は北海道とほぼ同じ大きさで、人口は712万人。
首都はベオグラード(156万人)で、言語はセルビア語。
通貨はディナールで、宗教はセルビア正教。
【ズラティボール】
セルビアに入国して直ぐの所にズラティボールという避暑地がありますので、今日はここで宿泊です。黄金色(ズラティ)の松(ボール)」という意味のこの地方は、かつて快適な気候とロマンチックな雰囲気を求めるセルビア貴族のお気に入りの場所でした。今では近代的な避暑地として、また冬はスキー場として、セルビアでもっとも人気のあるリゾートの1つです。
私達が泊まったホテルとその周辺を少し紹介しておきます。
こちらがフロントがある可愛い三角形の屋根の建屋とフロントです。
こちらが宿泊棟です。
ホテルの周辺を紹介します。リゾート地らしく松林の中にホテルが点在してます。
写真はあくる日の朝の散歩で撮ったもので、夜には雨が降っていたので下が濡れてますし人気も少ないですが昼間は大勢の人が楽しんでいました。
リゾート地の真ん中に広場があり、子供達が沢山遊んでいました。
広場の横にはショッピング街があり、有名ブランドのお店が沢山あります。
昨夜来た時は大勢の人で混んでいる中、両替屋さんがこの中にありましたのでセルビアの通貨に両替しました。朝は流石に人気が無いですね。
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サラエボの観光が終わり次に向かったのはセルビアとの国境に近いヴィシェグラードという街です。ここには世界遺産に登録されたソコルル・メフメト・パシャ橋があります。
【ソコルル・メフメト・パシャ橋(世界遺産)】
この橋は今から400年ほど前の16世紀の終わりのオスマントルコ帝国時代にトルコの有名な建築家のミマール・スイナンが手掛けたもので、モスタルで見たスタリ・モスト橋も彼の作品です。
橋の名前は、この橋の建築を命じた大宰相ソコルル・メフメト・パシャに由来します。全長は179,5m、幅6,3m、水面からの高さは15,4mで、11のアーチからなっています。完成は1577年です。
バスを降り市内を流れるドリナ川沿いに歩いて行くと橋が見えてきました。
橋は先のボスニア紛争の際に相当な損傷を受けたので修復中だから渡れないかもしれないと事前に聞いていたのですが、何とか渡ることができました。
橋の上から眺めるヴィシェグラードの街は大変綺麗です。
かってはこの橋の上は民族に関係無くコーヒーを飲みながら語らう場となっていたそうです。しかしボスニア紛争の内戦時にはセルビア人はイスラム系住民を橋から突き落とすと言う大量虐殺の場となってしまいました。
橋の中央のテラスになっている部分にはイスラムのお祈りの際にメッカの方向を示すミフラーブがありました。テラスの近くには露店もありました。
橋を渡り切った反対側から見た橋。中央にミフラーブが見えます。
この橋を語る時に忘れてはならない人物がいます。
ボスニア出身のノーベル賞作家イヴァン・アンドリッチです。彼はこの橋の近くに住み、この橋を舞台に民族交流を数多く描いた作家です。その代表作が「ドリナの橋」で、これで彼はノーベル文学賞を受賞しました。
しかし彼の死後ボスニアでは内戦が勃発し悲しい事態となってしまいました。
アンドリッチの生家は今でも橋の近くに残ってますが、現在は北欧の人の手に渡っているそうで、ボスニア政府は何とかこの家を買い取って博物館にしたいと思っているのですがなかなか譲ってくれないそうです。ネームプレートだけが貼ってありました。
橋を渡った左手にもアンドリッチの記念碑があり、内戦時に壊されたそうですが最近ようやく修復が出来たそうです。
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