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ひろしの旅日記
ブログの更新はお休みしてますが、又再会します。

書庫バルト3国とポーランドの旅

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リトアニアのヴィリニュス観光も終わり今日はポーランドのワルシャワまでの8時間半に及ぶ長いバス移動です。
ヴィリニュスからワルシャワ迄はお隣のベラルーシを抜ける直線道路もあるのですが、我々は迂回しますので長い移動時間となってしまいます。
 
途中のトイレ休憩のお店で添乗員さんが、美味しいお菓子を見つけたので後で分けますねとこのバウムクーヘンに似たお菓子を買ってくれました。
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そして次のカフェでの休憩の際に細かく切り分けて配ってくれました。
期待通りの美味しいお菓子(ケーキ)でした。
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ポーランドに入って直ぐの所で昼食です。
最初に出てきたこのスープは変わった色と味がします。名前は忘れましたが、不味くもなく、そうかと言って美味しくもなかったです。
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やはり私にはこちらの方が美味しいです。
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メインのこの料理も美味しかったと言う記憶が無いのでまずまずの味だったのでしょう(笑)
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【ポーランド共和国】
ポーランドに入りましたので簡単に紹介しておきます。
面積は日本のおよそ5分の4です。人口は3823万人。言語はポーランド語
首都はワルシャワ(172万人)、宗教はキリスト教(カトリック)
通貨はズロチで1ズロチ=約33円でした。
 
夕刻にワルシャワに着きました。小雨が降っています。
長いバス移動でしたが早速ワルシャワ観光の始まりです。
最初に行ったのはポーランドが生んだ有名な作曲家のショパン博物館です。
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内部の様子につきましては次回に報告します。

杉原千畝記念碑

現在はリトアニアのヴィリニュス市内を見物中です。
 
日本人にとってリトアニアと言えば杉原千畝(すぎはらちうね)を忘れてはいけません。彼の勤務先でカウナスの日本領事館が有名ですが、ここヴィリニュスにも彼の記念碑がありますので紹介しておきましょう。
 
その前に杉原千畝について簡単に説明しておきます。
 
日本の外交官で、第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に領事代理として赴任していたのですが、その際、ナチスドイツの迫害によってポーランドその他の国から逃れてきた多くのユダヤ人難民のために大量の日本通過ビザ(査証)を本国外務省の訓令に反して発給し、およそ6000人(推定)もの人々を救ったのが杉原です。
杉原ビザを発給してもらったユダヤ人たちはシベリア鉄道でウラジオストックへ行き、そこから日本の敦賀を経由して神戸へ。杉原が発給したのは日本通過ビザですから彼らは日本を経由してアメリカ、イスラエル、香港、上海租界等へと出国して行ったのです。
杉原は海外では「日本のシンドラー」として大変尊敬されていますが、彼が日本に帰国した時は日本政府からは訓令に反したとして不遇な晩年を過ごしました。その後日本政府によって完全に名誉が回復されたのは2000年になってからのことです。
 
市内を流れるネリス川沿いの桜の木公園に杉原千畝記念碑はひっそりと建っていました。背後にはヴィリニュス新市街のビルが立ち並んでいました
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この記念碑は杉原の出身校である早稲田大学が創立100年を記念して、
2001年に寄贈したものです。2007年5月26日には天皇、皇后両陛下も訪問されました。
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記念碑には杉原が発給した「命のビザ」と呼ばれる手書きのビザのコピーが印刷されていました。
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以上でヴィリニュス市内観光は終りましたのでホテルにチェックイン
泊まったホテルはパークインホテルです。
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こちらはホテルで頂いた夕食のメインですが、どんな味だったかは忘れました。
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明日は次なる国、ポーランドへ移動です。
 

夜明けの門

現在はリトアニアの首都ヴィリニュスの旧市街を見物しています。
 
【夜明けの門(暁の門)】
かってヴィリニュスの旧市街は城壁で囲まれており、10の城門があったのですが現在残っているのはこの夜明けの門だけになっています。
16世紀初頭に建造されたルネッサンス様式の白い門です。
 
夜明けの門です。
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門の上に白い騎馬像のレリーフがありますが、これはリトアニアの紋章だそうです。
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夜明けの門は内側が重要だそうで、門を潜って内側へ入りました。
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門の2階には1671年に設けられた小さな礼拝所があり、そこに祀られた聖母マリアのイコンが様々な願い事を叶えてくれると言われています。
このイコンは1363年にアルキルダス公がクリミヤに遠征した際に持ち帰ったと言われています。ヨハネ・パウロ2世も此処へ来てお祈りをした大変ありがたいイコンだそうです。
 
この部分に礼拝所があります。
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イコンは下からでも見えると言うことでチャンスを待ちますが、前の子供が邪魔です。
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ついに見えました、聖母マリアのイコンです。
夜明けの門を潜って下の道来た地元の人は必ず一旦ここで足を止め軽く十字を切ってお祈りをしてから歩いて行きます。凄く慕われているのですね。
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夜明けの門を見て再び市内を散策していたら再び「人間の鎖」の一行に出会いました。何でこうまで熱心に・・?
ここで地元のガイドがこそっと教えてくれました。
今バルト3国は大変ロシアを恐れています。我々がバルト3国を訪れた時はロシアとウクライナがもめている時期でした。バルトの人々は、もしロシアがキゲンをそこねたらたちまちバルト3国を占領してしまうと本気で心配しているのです。
ですから独立時を思い出して人間の鎖で団結を固めているそうです。我々日本人にとっては”そんなバカな”と思うかも知れませんが今迄幾度となく大国に占領されてきた歴史を持つ小国にとっては真剣な悩みなのでしょう。
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聖アンナ教会

現在はリトアニアの首都ヴィリニュスの旧市街を観光しています。
 
【聖アンナ教会】
最初の教会は13世紀の初頭に創建されましたが、木造であった為に1419年の火事で焼失。現在の姿に近い教会に再建されたのは1501年です。
教会の建築には33種類の煉瓦が使われゴシック建築の秀作と言われています。1812年にナポレオンがロシアへ向かう途中にヴィリニュスに立ち寄り、この教会を見て一目惚れし、「我が手に収めてフランスへ持ち帰りたい」と言ったという話が残っています。
 
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中へ入って見ましょう。教会の横から入ります。
後ろに見える教会は「ベルナルディン教会」です。
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大聖堂

現在はリトアニアの首都ヴィリニュスの旧市街を観光しています。
ゲディニナスの城から旧市街を一望した後は旧市街観光です。
 
【大聖堂】
元々この地には雷を祀る神殿があったとされています。その土着信仰後に最初の教会が建てられたのが1251年、リトアニア初代大公のミンダウガスの時代でした。ドイツの十字軍騎士団に屈してキリスト教を受け入れ、その証に建てたと言われています。その後14世紀にはゴシック様式に改装されたり、火災で焼失したりして現在の建物は18世紀後半に再建されたネオゴシック様式の建物です。大聖堂の前には高さ53mの大鐘楼が建っています。
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屋根の上に3聖人の像が飾られています。中央で十字架を掲げているのは聖ヘレナの像。ローマ帝国・コンスタンティヌス大帝の母で、聖墳墓教会の生みの親です。ソ連時代、大聖堂はトラクター工場にされ、聖ヘレナ像も撤去されていましたが、1996年に復活しました。
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中に入って見ましょう
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大鐘楼には外側に階段があり下段にある部屋に入れますが、単なるお店屋さんになっていました。
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外側に広場には何かイベントが開かれるのでしょうか?ステージが設けられており大勢の人が集まってました。
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正面からばかり眺めていましたが、バスに乗って帰る時に横からの写真を撮って見ました。流石に大きな大聖堂でした。
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ひろし
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