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ひろしの旅日記
ブログの更新はお休みしてますが、又再会します。

書庫第86回、地球1周の船旅

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ステーキを食べよう!

長い船旅になると毎日の夕食にステーキなどの贅沢な食べ物は出ません。
ちゃんと栄養のバランスを考えて献立してくれてますので極端に肥えたと言う人にはあまり出会いません。

所がある日の波平の広告にステーキが1日20食限定で出されると書いてありましたので早速私の船内家族を誘って波平に食べに行きました。
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松子は記念の写真を撮ってますね。
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とても美味しいステーキでした。ちなみにお値段は2000円です。
私の船内家族だけで何と9つも注文しましたので、後で来られた方は売り切れで申し訳なかったです。でもステーキは毎日20食提供されましたので問題は無いです。
楽しい夕食でした。ちなみにお酒はボトルキープをしている焼酎です。
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旅も最終段階に入りますと色々と記念の写真撮影があります。
無論プロの方の撮影もありますが、これは買わないといけません。
そこでさやかちゃんの健康教室の様子を私が撮ってきました。今迄写真は1枚も無いそうです。この日はバイーアで行っていました。
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ソロモン諸島、ガダルカナルのホニアラを出港したあくる日の朝です。
朝焼けが綺麗でした。
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船内放送で、間もなくソロモン諸島で最も狭い海峡を抜けます、との放送がありましたので早速カメラを持ってデッキに出ました。
現在位置は何処かを船内に張り出された海図で説明しておきます。
右下の赤い矢印がガダルカナル島のホノアラです。そして現在は左上の青い〇で囲った島と島の間の狭い海峡を抜けようとしています。
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周りの景色を紹介していきましょう。
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午後からは昨日のガダルカナルでの慰霊の旅とは別に船内でもささやかな慰霊祭が行われました。
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この4名の方々のお父さん又は親戚の方がガダルカナル戦で亡くなられた方々です。
皆さんで黙祷を捧げ慰霊祭は終わりました。
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最後の出港式

長かった南半球一周の船旅もガダルカナルのホニアラが最後の寄港地で、此処を出ますと日本まで何処の港にも寄港しません。
いよいよ最後の航海ですが、日本までは10日間以上もかかる長い船旅です。その間には寄港はしませんが見物する個所は幾つかありますので、もう少し旅行記は続きます。

いよいよ夜になりホニアラを出港する時間となりました。船では最後の出港式を祝おうと大勢の人が8Fのプールエリアに集まってきました。マイクの準備もOK。
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クルーズディレクターの田中が挨拶し、何名かの方々が今回のクルーズで体験した思い出を話してくれました。
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いよいよ出港です。汽笛の合図に合わせて一斉にテープを投げ出港を祝いました。
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サヨナラ!ホニアラの街。
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皆さんもデッキから別れを惜しむようにじっと眺めていました。
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スタッフの大坪さんが、この看板を持って記念写真を撮りませんか?と声をかけてくれました。
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折角なので私の一枚お願いしましたら、ジンジャーさんも一緒に入ってくれました。
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大勢の若者たちもお揃いのシャツで記念写真を撮ってます。
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さやかちゃんはソロモンで買った服を着ていました。
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皆で飲んだり踊ったり品が最後の出港式を祝いました。
ちなみに、この日が2月23日、横浜到着が3月5日です。
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現在はガダルカナル島の日本人慰霊碑を巡って慰問しています。

最後に訪れたのはアメリカの戦争慰霊碑です。
ここは綺麗に整備されており守衛さんもいました。
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ガダルカナルの戦いで日本兵の戦死者は2万2千人ですが、アメリカ兵の戦死者は僅か1600人。いかに日本の作戦が無策であったかが分かります。
そして全てのアメリカ軍の戦死者の名前が石板に彫られていました。
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これはガダルカナル戦の作戦の模様が描かれた石板です。
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アメリカの慰霊碑も丘の上にあり眺めが大変いいです。
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以上で我々のガダルカナルでの慰問の旅は終わりましたが、ガダルカナル島にはこの他にも沢山の慰霊碑があるそうです。
最後に現地ガイドさんより次のような挨拶がありました。
我々ソロモン人は戦争中アメリカ軍に味方することを誇りに思い、見張り役として活躍したジャコブの銅像も建てました。しかし戦後になってアメリカは我々に何もしてくれませんでした。それに引き替え日本政府は・・飛行場の整備とターミナルビルを建ててくれたのは日本、博物館を造ってくれたのも日本、中央市場を作ってくれたのも日本、国会議事堂を建ててくれたのも日本。日本には本当に感謝しています。

続いて通訳として添乗してくれたアキノさんから次のコメントがありました。
現在、現地ガイドさんは日本政府に協力して日本人の遺骨収集の為ジャングルの中を探し回ってくれています。今年も150柱の遺骨を日本政府に引き渡してくれたそうです。

バスが船に帰る途中で中央青果市場の前を通りましたので降ろしてもらい見物してきました。
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中にはピースボートの人達も沢山来ていました。彼女たちがしていたのは、此処では無料のwifiが入るのでメールのチェクをしているそうです。
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市場で少し果物を買い歩いて船に帰りました。船には続々とバスが帰って来ていました。そして船の前のお土産物屋さんも大変賑わっていました。
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ホニアラ市内見物

ホニアラのホテルで昼食が終わった後はホニアラの市内見物を少ししました。

最初に行ったのは植物園らしいですが、熱帯雨林をそのまま植物園にしているようなので何が何だか分からず直ぐに退散です。
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次に行ったのが国立博物館。規模は小さく民族文化センターが併設されているので館内はカヌーや伝統的儀式に使われた道具、貝細工等が展示されていました。
そしてここでは一人前に撮影禁止でした。
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館内の中庭には大戦中の大砲も展示されていました。
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木製のモアイ像もありました。
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次に行ったのは国会議事堂。アメリカの資金援助で日本の北野建設が請け負って1993年に建てられました。丘の上にあるので此処からの眺めはいいです。
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これはソロモン諸島の紋章です。
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議員さんが50人しかいないのでこじんまりとした議事堂ですが立派なものです。
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まん丸い議事堂の天井も綺麗な模様がありました。
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ひろし
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