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ひろしの旅日記
ブログの更新はお休みしてますが、又再会します。

書庫第86回、地球1周の船旅

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現在はソロモン諸島、ガダルカナルで慰霊碑を巡ってお参りをしています。

お昼になりましたのでホニアラ市内に帰りソロモン キタノメンダナホテルで昼食をとりました。このホテルは日系企業のホテルなので日本円からソロモンドルへの交換もできます。
入り口を入るとフロントは右側にあり、そのまま真っ直ぐに裏庭に抜けます。
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フロントの横に置いてあった綺麗な花
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レストランはビュッフェ形式で広いのですがピースボートの人間で埋まってました。
何時ものように食事の写真は撮り忘れましたが(食い気が先)ビールだけはしっかり撮っておきました。ちなみにフルーツは沢山ありましたから3回位お代わりをしました、これがランチになったかな?
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通訳兼添乗員のアキノさんの昼食風景でも紹介しましょう。
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キタノホテルにはレストラン以外にも「白梅」と書かれた暖簾をくぐると日本食が食べられるレストランもあります。
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昼食を済ませて裏庭に出て見ました。
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3階建ての部屋が並んでいます。ちなみにエレベータは無いようです。
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正面は綺麗なソロモンの海が広がっています。
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このホテルは港に近く、ピースボートの船が見えます。
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お土産店がありますので覗いて見ましょう。
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お土産店で売られているこの木製の彫り物は「ヌズヌズ」と言って、この像を船の舳先につけて大会に漕ぎ出して行ったそうです。船の守り神かな。
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此処にもヌズヌズが飾ってありました。
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ソロモン平和慰霊公苑のお参りを済ませ、そろそろお昼になりましたので一旦山を下りて昼食のホテルに向かいました。その途中で車窓から見た光景を紹介します。

ソロモンの現地人の高床式住居です。床下に日影が出来るので暑さ鎬には絶好ですね。
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地元の小学校の様ですね。お昼で授業は終わりかな、続々と子供が出てきます。
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子供達のカバンはリュックですね。裸足で走っているこもいます。
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ホニアラの街中に入って来ました。大きな建物は無いですね。
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これがホニアラで一番大きな建物で、この中に日本大使館があります。日本の国旗があるところがそうです。
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街の通りには結構な車で、殆どが日本車でした。
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海岸近くのソロモンキタノメンダナホテル(通称キタノホテル)に到着しました。
このホテルは日本企業の北野建設グループが経営するホテルです。このホテルのレストランでビュッフェ形式の昼食を頂きました。
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ホテルの様子は次回の記事で紹介いたします。

ソロモン平和慰霊公苑

「血染めの丘」の慰霊を行った後、次なる慰霊の場所へ向かいました。
途中で見かけた現地の人の風景です。
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ホニアラ空港近くに来た時に丁度1機の飛行機が着陸するところでした。
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【ソロモン平和慰霊公苑】
次の慰霊地、「ソロモン平和慰霊公苑」に着きましたので簡単に説明しておきます。
この地には1980年に日本の戦没者慰霊協会によって造られた「ソロモン平和公園」がありましたが、2011年に再整備されて「ソロン平和慰霊公苑」となりました。公園の銘板には「第二次世界大戦においてガダルカナル初め太平洋の全域で散華された全ての英霊を鎮魂し、それぞれの祖国に捧げられた忠誠心を偲び、ここに万世の太平を拓かんことを誓う」2011年10月28日、公益財団法人 太平洋戦争戦没者慰霊協会 となっています。
つまり、この公園は日本人だけでなく全ての国の戦没者を慰霊するものです。
そして公園を造ったのは公益法人で日本政府では無いと言うことです。その為に団体や個人の寄付によりこの公園は造成されました。

それでは慰霊に行きましょう。
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慰霊碑は上から見ると十字の形をしています。
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此処には石巻市出身の有名な彫刻家・高橋秀吉さんの遺作の彫刻「潮音」が石巻市の寄贈で設置されていました。高橋秀樹さんはガダルカナル戦に参戦し戦死されました。この像は日本の漁師を造形したものですが、ソロモンにも漁を生業とする人々が多いことから贈られました。
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皆さんで慰霊を行いました。
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辺りは綺麗な公園になっていました。
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この公園からガダルカナル戦の発端となったルンガ飛行場→ヘンダーソン飛行場→ホニアラ国際空港が真下に見えました。
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付近の民家です。
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一輪のハイビスカスが何かもの悲しさを伝えているようでした。
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血染めの丘

現在はガダルカバル島の戦跡を慰問で回っています。

次なる目的地に向かって細い山道を登って行きます。その途中で見た光景を少し紹介していきましょう。大勢の日本人が来たのでびっくりして見ていた子供達。
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現地の人達の家は高床式になっています。こうすることで水はけや風通しが良くなるということらしいです。
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所々では自分の家で取れた野菜や果物を売っていました。
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「血染めの丘」と呼ばれる激戦地へやってきました。この辺り一帯はムカデ高原と呼ばれる一帯でヘンダーソン飛行場の南側に当たり、当時はヤシの木が繁るジャングル地帯でした。この地で1942年9月に川口支援隊がアメリカ軍と激しく戦い、わずか数日間で3000名もの死者を出しました。この光景を見た米軍が「Bloody Ridge」と叫んだことから「血染めの丘」と呼ばれるようになりました。
此処のは「ガ島戦没者慰霊碑」と書かれた小さな慰霊碑と下には「第2師団勇会」と書かれていました。皆さんでお線香と花束を捧げました。
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この辺り一帯は普段は草が生い茂る一帯になっていたのでしょうね。私達が来ると言うことで綺麗に草刈りがされていました。
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下に見えるのはルンガ川、ここを必死で日本隊は渡りここへやってきたのです。
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突然に大勢の日本人がやってきたのが珍しいのか現地の子供達が大勢来ました。
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中には裸んぼの子供もいました。
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ガイドが「向こうの丘を見てください」と指さしました。丘の上に白い小さな石碑が立っています。あそこがアメリカ軍がいた場所だそうです。
もともとアメリカ軍は私達が立っているこの場所に陣を構えていたそうですが、日本軍の執拗な攻撃にあの地点まで撤退したそうです。
(小さな白いものが見えますか)
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望遠で拡大して見ました。こんな至近距離で戦っていたのですね。
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ホニアラ国際空港

現在はソロモン諸島のガダルカナル島にある戦跡慰霊の旅をしています。

ホニアラ国際空港にやってきました。第2次世界大戦中はこの飛行基地を巡って日米両軍が熾烈なガダルカナル島の戦いが繰り広げられた場所なのです。
簡単に経緯を説明しますと、1942年6月下旬にソロモン空域の制空権確保の為に日本海軍の設営部隊2800名がガダルカナル島に上陸。僅か1か月で1100mの滑走路を完成しルンガ飛行場と命名しました。この様子を密かに偵察していたアメリカ軍は完成の翌日の8月7日にガダルカナル島に上陸。迎え撃つ設営部隊は軍隊では無いのでたちまち飛行場はアメリカ軍に占拠されヘンダーソン飛行場と命名。この後日本軍は飛行場の奪還に向けて軍隊を送り込み戦ったのがガダルカナルの戦いでした。


ホニアラ国際空港に到着しました。
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空港のターミナルビルは日本の開発援助で建てられました。
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中に入りますと大戦当時の飛行機のプロペラ等が展示されていました。
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展望台から滑走路を見て見ましょう。現在は2200mの滑走路になっています。
定期便としてはオーストラリアのブリスベン、フィージーのナンディ、ニューギニアのポートモレスビー行があるそうです。
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飛行場前の公園を見て見ましょう。
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此処にも大戦当時の大砲が飾られていました。
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空港の片隅には大戦当時アメリカ軍が使用していた管制塔の櫓が残っていました。
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ひろし
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