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エフェソス遺跡観光を終わって連れて行かれたのは革製品のお土産屋さん。
トルコではカーペットと革製品のお土産屋さんは定番ですね。
私が今回お世話になっている旅行社はお土産屋さんには連れて行かないと言うのが売り文句の一つになってます(観光に重点を置いている)が、今はクルーズ中でクルーズでは船会社が企画した旅行に参加してますからお土産屋さんにも行きますね。
先ずは小さな会場で革製品を着たモデルさんのcatwalkを見ます。
お客さんは我々12名だけです。
モデルさんが見せている番号札は、この後連れて行かれる製品の展示場で番号を言えば同じ製品が直ぐに出てくるようになっているからです。
この後は販売所が隣にあるのですが、私は買いませんので庭で遊んでいました。
すると綺麗なクジャクが歩いてました、飼っているのかな?
革製品は何名かの方が買っておられました。
バスはこの後クシャダスに戻り少しバザールを見て船に帰りました。
船は午後1時に出港しました。
エーゲ海クルーズでは午前と午後に二つの島を巡りますから大変忙しいです。
船はこの後バトモス島へ向かいました。
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ギリシャ周遊とエーゲ海クルーズ
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『アルカディア通り(ハーバーストリート)』
大劇場の前からまっすぐ伸びるこの通りはアルカディア通りと呼ばれ幅は11mあります。かってはこの先を500m程行けば海が有り港があったのでハーバーストリートとも呼ばれています。クレオパトラもアレキサンドリアから船でこの港に来て大勢のお供を連れてこの通りを歩いたのでクレオパトラ通りとも呼ばれています。
現在港は川の堆積物で埋まってしまい海岸線はずっと先になっています。
こちらは大理石通りの延長線上の道ですが、ツアーではここは通りません。
『演舞場(体育館)』
ハーバーストリートの右側には大量の大理石の破片が並べられている個所がありますが、ここはかって演舞場(体育館)があった場所だそうです。
アルカディア通りを少しあるいて振り返りますと大劇場が一望できます。
かって港からエフェソスへ来た人は最初にこの光景を見るのですが、その規模の大きさにエフェソスの街の偉大さを感じたことでしょう。
エフェソス遺跡の観光はこのアルカディア通りを少し行ったところから右に折れて北の駐車場に行くコースで終わりとなります。約1時間半位の見学時間でした。
北の出口前にあるお土産屋さんです。
今回エフェソス遺跡の記事を書くに際しましては、現地で買いました「エフェス」という日本語版の写真集兼解説書を参考にいたしました。この写真集は64ページもあり大変詳しく解説してますからもっと詳しく書けるのですが、だらだらと書くのも飽きられると思い適当に省いて書いています。
以上でエフェス遺跡の観光は終わりました。
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『マゼウス・ミトリダテスの門』
セルスス図書館のすぐ横にあるこの門は紀元前1世紀に奴隷から開放されたマゼウスとミトリダテスがアウグストゥス帝に感謝して寄進した門。この門を潜ると直ぐ向うに「商業アゴラ」があります。入り口近くにあった国営アゴラを上のアゴラ、商業アゴラを下のアゴラと呼ぶ時もありあす。
(この門と下のアゴラの写真は買った写真集から転載しました。)
『商業アゴラ』
『大理石通り』
図書館前から真直ぐに延びるこの通りは大理石通りと呼ばれています。
『大劇場』
紀元前3世紀に建設、ローマ時代に増築されました。24,000人が収容できると言われています。ピオン山の西側斜面を利用した観客席を見た時には改めてエフェソスという街がどんなに大きな町だったかが知らされました。
大理石通りを少し右にそれていきます。
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アルシノエ4世の墓を見物した後少し行くと柱だけが残っている遺跡がある。
ハドリアヌス門だそうで、アテネで見たハドリアヌス門とよく似ていたそうですが、紀元270年の地震で倒壊したそうです。
『エフェソスの象徴、セルスス図書館』
セルスス図書館は当時のベルガモン図書館、アレキサンドリア図書館と並ぶ世界3大図書館と言われ、12000冊の蔵書があったそうです。セルスス図書館はアジア属州総督ガイウス・セルシウス・ポレマエナスの記念碑として、彼の息子であり、当時の執政官ガイウス・ユリウス・アクィラにより紀元117年に父の墓の上に建てられました。建物の地下のお墓には今でも石棺が置かれているそうです。建物は260年の火災で焼失してしまい、今では前門だけが残っています。
下の階には4体の彫像が有り、各々知恵、運命、学問、美徳を表しているそうです。
但しこれ等の像はレプリカで、1910年に調査したオーストリ人によりウイーンに運ばれたそうです。
この像はソフィア(知恵)の像です。
装飾が素晴らしいですね。
門を潜って中に入りますとそこはガランとして何もありませんでした。
図書館の前には石板に刻まれた広告が有ります。人類で最も古くからある商売、そうです売春宿を示す広告です。
足の方向が娼婦の館を指し、右側に頭飾りのある娼婦、その下の四角いものはお金が必要ですで、左側にあるぶつぶつのハートのマークは、心を込めてサービスしますという意味だそうです。
この娼婦の館は図書館の斜め前にあったそうで、何と図書館からは秘密のトンネルで娼婦の館に通じていたそうです。奥さんに「図書館に行ってくる」と言って家を出て、実は娼婦の館に行っていたということになるのです。今も昔も男の考えることは同じですね。ひょっとしてこれが地下トンネル?
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現在エフェソス遺跡の説明を行っていますが、今回は趣向を変えてクレオパトラに関するお話をしたいと思います。
実はクレオパトラとエフェソスとは深い繋がりがあり、近年になってクレオパトラの妹でクレオパトラの政敵でもあったアルシノエ4世の墓がエフェソスで見つかり、そこから見えてくる姉妹の壮絶な戦いも分かって来たのです。
数年前でしたか,NHKの特集番組で「エジプト発掘、クレオパトラ妹の墓が語る悲劇」なるものが放送され私も食い入るように見ました。今回のエフェソス訪問ではこのお墓を訪ねることも私の目的でしたので少しお話したいと思います。
出来るだけ短くお話するつもりですが、長くなりますので歴史に興味の無い方はこの項は飛ばして見てください。
『プトレマイオス朝誕生』
アレキサンダー大王の死後共和制ローマは3頭政治体制に移り、その内の一人であるマケドニア出身でギリシャ人であるプトレマイオスが紀元前306年にエジプトの地に王朝を創設し200年以上エジプトを支配します。プトレマイオス朝は血族結婚を繰り返しエジプト人の血が混ざらずギリシャ人の血縁を守りました。しかし一族内の殺し合いが頻発しこれに介入したローマにより紀元前30年に滅ぼされます。
『クレオパトラの血縁関係』
クレオパトラはプトレマイオス朝最後の女王ですが、その時の血縁関係を下の図に示します。この図の中でクレオパトラ7世と言うのが我々が普段言っている世界3大美女の一人であるクレオパトラのことです。
プトレマイオス12世が失脚の後王冠はクレオパトラ6世へと渡るのですが急死、ベレニケ4世も処刑され(詳しくはここでは割愛)。クレオパトラ7世が18歳の時に王位が回ってきます。彼女は当時12歳の弟のプトレマイオス13世と結婚、共同で王位に就きます。しかし実際はクレオパトラ7世の独断政治。これに不満を持ったプトレマイオス13世と以前から姉に不満を持っていた妹のアルシノエ4世が陰謀してクレオパトラ7世をエジプトから追放。
『カエサルとの出会い』
カエサルは英語読みではジュリアス・シーザー。ポンペイウス追悼の途中エジプトに入ったカエサルは共同統治者のプトレマイオス13世とクレオパトラをアレキサンドリへ召集するのですが、この時クレオパトラは袋の中に自分を入れ贈り物としてカエサルの元に届けさせ、カエサルとクレオパトラは愛人関係となります。
これを聞いたプトレマイオス13世は激怒し、カエサルに戦いを挑みますがナイル川の戦いで溺死。共謀した妹のアルシノエ4世は捕えられ、カエサルがローマに凱旋した時には連れて行かれて市中を引き回されました。この時クレオパトラも同行したのでおそらくこの光景は見たものと思われます。
『その後のクレオパトラ7世』
プトレマイオス13世の死後はクレオパトラはもう一人の弟プトレマイオス14世と結婚し共同統治者となりますが、実際はカエサルの後ろ盾があるクレオパトラの独裁政治でした。しかもカエサルとの間にカエサリオンという子供までもうけました。
『カエサル暗殺後の体制』
紀元前44年にカエサルが暗殺されるとローマは3頭政治に入り、その内の一人アントニウスがエジプト女王クレオパトラを呼び出すと、クレオパトラはアフローディティーの妖艶な姿で現れ一目で虜になります。こうしてアントニウスとクレオパトラは愛人関係になりアントニウスが滞在したエフェソスで度々クレオパトラの姿が目撃されるようになります。又ローマへ連れて行かれた妹のアルシノエはエフェソスに連れて行かれ幽閉。暫くして急死します。これはクレオパトラの要請でアントニウスが毒殺したのではないかと言われています。こうしてクレオパトラとアントニウスとの間に3人の子供までもうけました。
『クレオパトラの最後』
アントニウスが余りにもエジプトと仲が良いのでローマ市民は失望。とうとうオクタヴィアヌスがアントニウスに宣戦布告。紀元前31年にクレオパロラ軍とアントニウス軍の連合軍とオクタヴアヌス率いるローマ軍とがギリシャの西岸アクティウムで海戦を行いローマ軍の勝利で、アレクサンドリアへ逃げ帰ったアントニウスは自害、それを知ったクレオパトラは毒蛇に自分を噛ませて自殺。これでプトレマイオス王朝も終焉となりました。
『クレオパトラの妹アルシノエ4世の墓を発見』
アルシノエの墓は何処にあるのか不明でしたが、1929年にドイツ人考古学者が頭蓋骨を発見、これをドイツに持ち出した為に現在は行方不明。2009年に立派な石棺と頭蓋骨を除く沢山の骨が発見され、色々化学調査の末アルシノエの墓であろうと発表されました。詳しくは色々な報告が出てますので見てください。
ということで長くなりましたがクレオパトラの一生を振り返ってみました。
これがエフェソスにあるアルシノエ4世の墓です。何だか瓦礫の山です。
看板を拡大して見ますと、お墓の想像図が描かれています。お墓は8角形をしており、これはアレクサンドリアにある灯台の物と同じなのでアレクサンドリア出資の者と言う手掛かりになったそうです。
説明文の英語の部分だけを拡大。
お墓のある位置ですが、図書館の近くです。近くから周りの景色を撮りました。
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