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ひろしの旅日記
ブログの更新はお休みしてますが、又再会します。

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沖永良部で昼食を済ませた後、奄美の焼酎工場へ向かいました。
ここではサトウキビから焼酎が出来るまでの過程が見れましたが写真は撮りませんでした。見学の後はお楽しみの試飲会。
色々なお酒を沢山飲ませてもらったので何本か買いました。お土産と言うよりは、この後の長い船旅での酒盛り用です。

以上で沖永良部の観光は終わりました。この後港に行きますと、一応定刻で船は着きましたが、徳之島の後の奄美大島までが大幅に遅れるとの予告がありました。
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空は曇ってますが波は比較的穏やかで、とりあえず定刻に船は沖永良部を出発しました。
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そして定刻通り与論島までは到着しました。本来ならここで下船して島内を刊行した後、明日奄美大島に向かう予定なのですが、明日の便は欠航と言うことが事前に分かっているので徳之島で下船できません。やむなくこのまま乗船して奄美大島まで向かいました。奄美大島には午後8時到着予定ですが、10時を過ぎるかもしれないとのことで夕食の弁当が配られました。
のんべいの4人組は買ってきた焼酎とお弁当を食べて酒盛りをしました。
(下は徳之島港の様子です)
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西郷隆盛謫居記念碑

現在は沖永良部島を観光しています。
昼食の時間となりましたので街のレストランで島の名物料理を頂きましたが、その時にガイドさんから近くに「西郷隆盛謫居記念碑」があるのでお昼休みに見に行かれると良いですよ言われましたので早速行って見ました。

西郷隆盛は生涯で2回遠島の刑を受けていますが、此処は2回目の場所です。
文久2年(1862)、薩摩の国父・島津久光公の命に反した行動をしたとして怒りにふれ徳之島を経て沖永良部島へ流罪となり1年6ケ月牢獄生活をされました。隆盛公、35歳の事です。当初の牢屋は「2坪余りの粗末な建物」でしたが、薩摩藩の土持政照(間切横目)は「このままでは西郷さんは死んでしまう」と考え、西郷隆盛の牢を自宅の座敷牢に改築し、西郷と義兄弟の契りを結んだようです。間切横目とは、現在でいう警備の警察官で、彼は大変西郷を尊敬していました。
最終的には、政治状況の激変から薩摩藩の危機を救うため西郷が必要となり、許されて薩摩に帰りました。

行って見ると左手に記念館があり、右手に当初の牢獄がありました。
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牢獄は2坪ほどの大きさで、このように屋外にありました。
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この牢で3か月ほど過ごした西郷はみるみるやせ細っていったそうです。中に置かれた銅像が当時の様子を思わせます。
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座敷牢に移った西郷は牢の中から子供達や村人に学問を説き慕われたそうです。
そして監視役の土持政照(間切横目)とは牢越しに杯を交わし義兄弟の契りを結びました。記念館は有料で200円ですが、滅多に人が来ないのか丁寧に説明してくれるので大変時間がかかり集合時間にぎりぎりでした。
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こちらは西郷を乗せてきた宝徳丸
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その他に西郷が書いた書画が沢山展示してあり、何と書いてあるかの説明文もありました。
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笠石海浜公園

東海岸にある大きな岩が、見る位置によって笠に似ているのでその名が付けられました。ここはウミガメの産卵地としても有名です。4月から5月中旬にはこの辺り一帯に「エラブユリ」が咲き誇り壮観だそうです。
此処には展望台がありますので、先ずはそこに登って景色を楽しみましょう。
見えている海は太平洋ですが、先程見た東シナ海とは大違いで穏やかです。
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展望台下には円形の形をした、亜熱帯植物が管理されており、四季により様々な花々が鑑賞できるそうですが、我々が行った時はあまり花はありませんでした。
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展望台から下に降り海岸に行って見ましょう。この岩が見る角度によっては笠に見えることから「笠石海浜公園」と名付けられました。
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フーチャ海岸

沖永良部島の観光を行っています。次に来たのはフーチャ海岸です。
フーチャ(海食洞)は、沖永良部島の北岸にある隆起サンゴ礁の洞窟です。隆起サンゴ礁が長い年月をかけて東シナ海の荒波に浸食され、洞窟のようにえぐりとられ、やがて洞窟の奥部分の天井面が侵食されなくなったため大きな口を開けています。「フーチャ」は琉球の言葉で「吹き上げる」という意味だそうです。
フーチャは、かつては4つあったが、北風の強い波の荒い時にはそのしぶきは島の南海岸まで達し、ひろく農作物へ被害を及ぼしていたため、その塩害を防ぐために昭和40年代に一つを残して破壊されました。
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上の方は海と通じてます。
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この日は東シナ海が大荒れだったので海からの波がこの穴を伝って上に大きく吹上げていましたので、うまくタイミングをとって撮影しています。下手をすると頭から塩水を被ります。
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沖永良部の次なる観光は「日本一のガジュマルの木」です。
それは何と国頭小学校の校庭にありました。
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この小学校は創立117年。その一期生が卒業記念に植えた木が大切に守られ日本一の大きさになったのです。ですからこの木の樹齢117年と言うことになります。
後者の壁に創立117年と言う看板が有りますね。後者が古くなり立て替えられた時でもこの木を一番に考えて立て替えられたそうです。
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この日本一のガジュマルの木のすぐ横には良いエピソードがある「汐ほす母」の銅像があります。
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この地域は島の東西両側からの潮風にさらされ作物が育たなかったそうです。その為昔のお母さんは海水を組み岩に掛け干してて塩を採取し、それを米と引き換えて家計を支えていたそうです。この学校ではスローガンとして「汐ほす母」の教えを掲げているとのこと。家族を支える母への感謝を忘れないようにと銅像を建てました。
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