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フログネル公園の一部を成す彫刻公園をヴィーゲラン彫刻公園と言います。
32万平方メートルの面積を有する彫刻庭園の中には、ノルウェーの彫刻家グスタフ・ヴィーゲラン(1869年ー1943年)の作品のみが展示されています。
「人生の諸相」をテーマにした、ブロンズと花崗岩でできた大小の彫刻の総数は212点で、これらの彫刻を構成する老若男女の人物の合計は600以上にもなります。ヴィーゲランはその一つ一つの作品の原型を粘土で原寸大で制作し、それらを弟子の職人たちがブロンズ像や石像に仕上げて庭園内に配置していきました。
これらの作品は、庭園を南東から北西に向けて貫く850メートルの軸線に沿って、6つのセクションに分かれて展示されています。
ヴィーゲランは1900年代には公共彫刻を手がけるようになり、ノルウェーを代表する彫刻家とみなされるようになりました。
1021年にオスロ市からフログネル公園のそばにある邸宅(現在のヴィーゲラン美術館)を新しいアトリエとして提供され、その代わり、以後の彫刻・絵画等全ての作品をオスロ市に寄贈するという契約を交わしました。
ヴィーゲランは新しいアトリエで以後の生涯を彫刻庭園の設計とそのための作品制作に捧げ、公園の完成を見ないまま1943年にに没しました。
その後彫刻公園は1950年に完成し、24時間無休で開放されています。
それでは中に入って行きましょう。正門もヴィーゲランの作品です。
公園に入ると軸線となる真っ直ぐな道路が約700m程続きます。
「正門」と奥にある「噴水」の間には細長い池があり、この池をまたぐように、長さ100メートル・幅15メートルの石でできた橋が架かっており、その欄干に公園の彫刻のうち58点が展示されています。これらはブロンズによる人物の群像で、「人生の様々な状態」という公園全体のテーマに沿った老若男女の裸身像が並んでいます。
ここの沢山のブロンズ像の中でも一番人気なのが「怒りんぼう」と名付けられた少年の像で、多くの人が記念写真を撮っていました。
横の公演では多くのオスロ市民が日光浴をしていました。
もともとノルウェー国会議事堂前の広場に設置するために提案された「噴水」は、四角い水面の中にブロンズ製の大きな円盤が掲げられたような形をしており、水面の周りの壁面には人々の群像を描いた60点のブロンズ製の浮彫が配されています。水面を取り囲むように、太い枝を上へ伸ばした樹のブロンズ像が複数配され、枝の中には子供たちや骸骨がいるのが見える。この噴水は、死から新しい生命が生まれることを暗示している。
(残念ながら中央の噴水部分は工事中でしたので端方だけ撮りました)
噴水の先には「モノリスの台」と呼ばれる石で作られた四角い壇が階段状に積み重なり、その中央に円形の壇がさらに階段状に積み重なったもので、その頂上には巨大な石柱「モノリッテン」が建っています。
公園の一番高い地点である壇上にはこの公園の目玉というべき作品「モノリッテン」
が建っており、よく目立ちました。
モノリッテンは14.12メートルの高さで、121人の人物像が浮彫にされています。これらの人物は裸体で抱き合うようにもつれ合い、積み重なりながら空へと伸びている。これは、精神的なもの、聖なるものにより近づこうともがく人間の欲を表しているとされています。
円形の壇の斜面には、モノリッテンを囲むように36の人物群像が配されていて、これらは「生命の環」をテーマとしているそうです。
この壇の上からは真っ直ぐな軸線が見え、一番奥が正門です。
この公園はもう少しじっくりと見て行けば楽しいと思います、お勧めです。
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スカンジナビア3国周遊の旅
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1836年に創設された古い美術館で、1800年〜1900年代のノルウェーの画家の作品が充実しています。特に世界的に有名で、ノルウエー生まれの画家、エドヴァルド・ムンクのコレクションが有名で、4枚ある『叫び』のうちの1枚が所蔵されていいます。
ムンクは特別に有名なので「ムンク部屋」なるものがあり、そこに彼の作品が多く展示されています。
ムンクはゴッホに遅れる事10年、1863年の生まれで、 愛と死と不安の画家と言われます。彼自身幼い頃から虚弱で、5歳で母を、15歳で姉を共に結核で亡くし、 身近に死と漠然たる不安を常に抱えていました。
1889年ノルウェー政府の奨学金を得てパリに留学するのですが、 その1ヵ月後に父が死亡。ますます不安の募る中で、 不安と狂気を発散しているゴッホの作品に強い影響を受けています。
ベルリンへ移った1年後の1893年に「叫び」を発表。 その不気味な人物像、血濡れたような空、湾曲するフィヨルド、極端な遠近法等で 一目見たら忘れられない絵として、絵画に興味のある人達だけでなく 世間一般に知られる画家となったのです。
ムンクは死後、全ての手持ちの作品をオスロ市に寄贈しました。
4作の「叫び」の内、唯一個人蔵だった一作が2012年ニューヨークで競売にかけられ、 競売で売られた美術品としては、ドル建てでは史上最高額になる1億1992万ドルで 落札され、話題になったのはまだ記憶に新しいところです。
国立美術館では、数はそれほど多くはないものの、ノルウェー人画家以外の作品も勿論あります。 クラナッハ、グレコ、ルーベンス、マネ、セザンヌ、モネ、ルノワール、 ゴーギャン、ゴッホ、ボナール、マティス、ピカソ、モディリアーニ等。
そして館内は、フラッシュ無しで撮影が可能なことはうれしいです。
尚、ここ以外にも「ムンク美術館」もあり、両方合わせて見物するのがお勧めです。
では早速中に入って見物しましょう。外観はがっしりとした建物です。
中央の玄関を入ると2階へ続く階段があり、その踊り場にはルノアール作の「裸婦像」が飾られています。
裸婦像の上には、ノルウエー生まれの画家、クリスチャン・クローグ(1852~1925)の作品が3枚飾られています。下の作品はヴァイキングによるアメリカ大陸発見を描いています。
それでは早速「ムンクの部屋」へ入って行きましょう。
ノルウエー生まれのエドヴァルド・ムンク、1863〜1944年、は表現主義の画家。 画学校(国立美術工芸学校)で、クリスチャン・クローグに師事しています。
この作品は、ムンクの代表作「叫び」です。 1893年作成の油彩画で、4点あるムンクの「叫び」の中で、最初に描いた作品です。
クリスチャン・クロック作「存在のための闘い」
この絵はベーカリーショップが貧しい人達の為にパンを配布しているところです。
(人だかりで正面からは撮れませんでした)
ムンク作、「マドンナ」
ムンク作、「思春期」
ムンク作。「生命のダンス」
ムンク作。「生と死」
ムンク15歳の時、姉が結核で亡くなった病室の様子
ウリスチャン・クロング作、「警察の待合室でアルベルティーヌ」
この作品では、売春婦をテーマにしています。 売春婦は、彼が好んで取り上げた、テーマでもありました。
ムンク作、「妹インゲルの肖像」
ルノワール作、「ブロンドの浴女」
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オスロに到着しましたので、最初にノルウエーについて簡単に書いておきます。
ノルウエーはスカンジナビア半島の西岸に位置する「立憲君主国家」なので、正式名称は「ノルウエー王国」です。
面積は日本とほぼ同じ38万平方キロですが人口は520万人位で少なく、首都はオスロで人口は66万人位。宗教はキリスト教プロテスタントのルーテル教会が多数派。ノルウエーはEUには加盟しておらず原語はノルエー語で通貨はノルウエークローネ。現在スカンジナビア全般に言えることですが、物価はかなり高いです。
【エーケベルグの丘】
オスロに着いて最初に向かったのは市の郊外にあるエーケベルグの丘。
オスロはオスロフィヨルドの一番奥にある街で、此処からは全体が見渡せます。
ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクもこの場所を愛したと言われ彼の名作「叫び」の背景はこの場所を描いているのではないかと言われています。
エーケベルグの丘から眺める夜景も有名ですし、近くの森には芸術作品が沢山置かれていますので探して歩くのも楽しいかもしれません。
【オスロ市庁舎】
現在ノーベル賞には7部門(物理学、化学、生理学・医学、文学、平和、経済学)ありますが、その内のノーベル平和賞だけはオスロの市庁舎で授与され、その他はスエーデンのストックフォルムで授与されます。下の建物がオスロ市庁舎です。
【ホルメンコーレンジャンプ競技場】
隣接してクロスカントリースキーコース、ノーマルヒル(K95m/HS106m)などがあり、ノルディックスキーの発祥地であるノルウェーにおける代表的な競技場であることから、ノルディックスキーの聖地とも称される場所となっています。 【DFDSシーウエイズ】
ノルウェーの首都オスロとデンマークの首都コペンハーゲンを結ぶルートです。船は毎日1便16:30にオスロを出航し、翌9:45にコペンハーゲンに到着します。
私達もこの船に乗ってコペンハーゲンに向かう予定です。
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6月4日より9日間の日程でスカンジナビアのノルウエー、デンマーク、スエーデンの3か国を回り昨夜無事に帰国しました。
これ等の国々は若い頃に何回か行きましたが、フィルムカメラに時代で写真の枚数も少なく、暫く時間も空いたので久しぶりに再訪してきました。
ルートは関空からはお馴染みのエミレーツ航空で、関空→ドバイ→オスロで北欧へ入りました。関空は最近利用者が多くB−777の大型機ですが何と満席で、長時間飛行の今回は大変辛い飛行機の旅となりました。
関空→ドバイ間はずっと夜で、外の景色は見えませんでしたが、ドバイ→オスロ間の7時間は昼間だったので外の景色が見れましたので紹介します。
外が見えたと言っても高度が高く、下に一面の薄雲がかかっていましたので綺麗な写真は撮れませんが紹介しておきます。
ご存知ドバイ空港は芋虫型の細長い空港ビルを午前7時半にオスロに向け出発。
ドバイを発つと真っ直ぐ北に向かいイランの山々が見えてきます。
イランを抜けるとやがてカスピ海が見えてきました。
カスピ海の上空を暫く飛んだ後、バクーを過ぎた辺りでカスピ海西岸に沿って北上。 カスピ海過ぎると広いソ連の穀倉地帯を抜け、エストニアの上空から左折しバルト海へ入りました。 |






