1)、祈り合う力
パウロたちはまだ見たこともない、コロサイの兄弟姉妹のために祈ってきたと言っています。「祈っています」という言葉は一般の社会でも使われる言葉です。実際に祈っていなくても、相手を思いやる言葉として使います。でもクリスチャンは、祈りを、確かに聞き届けられる最高の業として祈ります。
昔、父が説教の中で、「祈りは電波のように、人工衛星に送られ、それが何千キロも離れたところに送られるように、神様に祈ると、地球の裏側にでも届けられる。」と語った事があります。人間にはどうしようもないことがこの世の中には次々と起こってまいります。親身になって聞いてあげることは、それだけでも慰めを与える、意味のあることです。でもそのことに解決を与えることはほとんどの場合できません。しかし祈りは、全能の神に届けられもので、守りと導きを与え、最善の解決をあたえることのできるものです。
先週は説教学の学びで、森山諭先生のメッセージを学んでいました。祈りが聞かれたすごいメッセージだった。と食卓で話題になりました。私も森山先生には小学校のときから新年聖会で毎年メッセージを伺っていました。「大阪クルセードのとき、ものすごい大型台風がちょうど進路になってきた。皆で「この台風をどけてくださいと熱心に祈った。するとこの台風が真っ二つに裂けて、まさに大阪をさけて通った。」という奇跡的なお話を聞いたことがありました。祈りは神の業を呼び下すものです。
このときも、教会の中に、似て非なる教えが入り込もうとしていました。コロサイ書はローマで書かれたと思われますが、何千キロも離れた地で、教会に起こってきた問題に、しかも囚われの身(3:3)で、しかも主任牧師のエパフラスも囚われの身です。何ができるでしょう?それは祈りでした。
教会の祈りは力があります。わたしたちも病める兄弟姉妹のこと、兄弟姉妹のさまざまな課題、何よりも愛する家族、吉川の皆様の救いのために祈りましょう!
特に、この教会は聖書学校という牧師を育てる神学校を支える、群れの中心となる教会です。特に八束委員長が召されて、深谷牧師が委員長、舎監、副校長、主任牧師です。今人事の大詰めです。パウロやエパフラスのように、離れてはいても、ホ郡の教会のため、聖書学校の学生が召され、守られ、育てられるために、祈って行きましょう!
霊”によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟り 9節、
2)、神をますます深く知るように祈ろう
パウロがどう祈ったか見て行きます。
第一は、霊によるあらゆる智恵(物事の基本の知識)と理解力(状況を正しく判断し、対応する能力)によって、みこころを悟るよう祈っています。パウロは起こってきた教会を破壊するような教えに対して、神の知恵、理解力を与えられて対処できるようにと祈っています。
祈りというと、つい自分の願い事になりやすい私たちです。自分の願いどおりにならないと「祈りが答えられない。」思います。が、まず、聖霊様の智恵と理解力により頼んで「御心を悟らせてください、どうしたらいいですか?」と祈りたいものです。先週は深谷牧師が「なくてならぬもの」とのメッセージを取り次いでくださいました。まず神を礼拝するところから「神の川の満ち溢れる祝福」が注がれることを教えられました。祈りも、まず神様の御言葉に聞くところから、はじめるのだと教えられます。
すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。10節
第二の祈りは、み言葉に従って実を結び、神を深く知るに至るように、です。
「深く知る」という言葉は、プレローマという語で、「充満」とも訳される、表面的でない、本質をつかむことを意味しているそうです。
当時、起こってきたグノーシス主義の人々がやはりこの「充満」プレローマという言葉を使っていました。彼らの救いの究極としての、プレローマ状態は、禁欲生活を通じての、神秘的体験によって得られるもので、そのような経験をしなければ、神を深く知る領域に達していない、と主張しました。
それに対し、パウロは、「神を深く知る」ために、キリストのみ言葉を十分悟り、すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆるよい業を行って、結果として実を結んで、生けるまことの神を知るようにと祈っています。
従って歩むことを具体的によくわかるお話が、1月11日のアパルームに載っていました。自分の高級スポーツカーをつぶされたウイルという方の話でした。『怒りとがっかりした思いをひとまず抑えて、相手の女性の安否を気遣ってあげた。すると相手は癌の告知をうけたばかりと解り、祈ってあげることができ、その後事故の処理について、冷静に話し合って別れることができた。』というものでした。これはみ言葉に従った結果の証です。アパルームは、み言葉を生きることの、具体的な証で満ちています。
「ますます」という言葉は、成長する様子を表す言葉です。このことを繰り返すなかで、神様の世界を生きる達人にされましょう!
そして、神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことも根気強く耐え忍ぶように。喜びをもって、光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝するように。 11・12節
第三の祈りは、どんなことも根気よく耐え忍ぶようにです。神の栄光の力(内在する力)あらゆる力(物事を成し遂げる力)によってです。自分の力ではなく、神さまからの力によって強められてできることです。
「耐え」とは外からの攻撃、迫害に対してのこと、「忍ぶ」は人間関係に関する態度のことです。主がわたしたちの罪過の責任を求められず、許してくださったように、御許に来るまで、寛容をもって待っていてくださったように、隣人の悪意や迫害を愛を持って許容する態度だそうです。
ある女性が教会に導かれて来たとき、「この話をいじわるなお姑さんに聞かせたい。」と思ったそうです。でも通ううちに救われて、自分こそが悪い嫁でしたと悔い改め、うやうやしく仕えるように変えられたそうです。それで、お姑さんも救われたという証しを聞いたことがあります。
それにしても、きょう自分が救われて、明日家族が救われる、というようにはなかなかなりません。子供も成長するまで、忍耐が必要です。その力は聖霊様からきます。人が救いを見るのは、そのような戦いの中で、神様により頼んで生かされている姿からではないでしょうか?
【祈り】
わたしたちの日々の生活は、世にある限り、いろいろなできごとが起こってきます。それを中心から解決できる、神様の祝福の命に入れられていることを、感謝します。
互いに祈りあうことができますように。
まず神様の導きを求めて祈らせてください。
またそこに従う力をお与えください。
忍耐の中でも天国を確信し、喜んで日々歩ませてください。
「増します恵み」の達人とし、生涯をもって証させてください。
主のみ名によってアーメン