無用の人、日々の戯れ、上等ですよ。

今日も生き伸びた、人をして語るにまかせよ

生きることの意味

仏教の言葉に、色即是空という言葉があります。

下手な講釈は省きますが、

一言で、強いて書くなら、すべて虚に帰すると書いときます。

われわれの生活は、大きな岩を山の頂上に運び、そしてそれをまたふもとに下ろす、これの繰り返しではないのか。

フランスの文学者、カミュの自問です。

しかし、人生を虚しいとする仏教思想も、
カミュの 人生は生きるに値するものなのかとの問いかけも
(仮に、生きることの意味なんてないという、結論が出たとします。)

しかし、そこが出発点だとおもうのです。
空即是色です。

数学の二次曲線の、つまり、放物線の最小点(虚点)から、最大点に向かう曲線です。
その曲線の角度はどうでもいい、持続時間はどうでもいい。
その曲線を作ることが、人の生きることの意味のひとつだとおもいます。

倒れたら立ち上がること、そして、自ら人生の意味を創作することだとおもいます。

意味のない労働に人は耐えられない。

ギリシャ神話のなか、神は、シジフォスに大きな岩を山の頂上に運び、そしてそれをまたふもとに下ろす、それを繰り返す罰をあたえた。

このシジフォスの労働は、有益さももなければ、無益、虚しさもない。

人の生きる、ケッタイな世界の象徴的なすがただ、と書いときます。
しかし、岩を上げることに、下げることに集中する姿に、神々しい人間の姿を見る。

「ツキがあれば」、われわれはそれを繰り返しながら、いつかは、生を終える。

理性の切れ味を求めて、理性の傲慢におぼれず、
情緒の暖かさを求めて、その居心地のよさになじまず。

もし人に生きる喜びというものがあれば、

人との結びつきであり、人が人として生きれることだとおもいます。

生きる知恵

棒ほど願って、芯ほども叶わない。

だからといって、絶望したり、悲観したりするには及ばない。

うまくいくとき、いかぬとき、くりかえし、
人の一生、波形を繰り返して、最後は、ちょうど、独楽がその動きを止める前に、繰るくるっと回って、首をうなだれるようにして臨終。私も、福田も、小沢も、今、幼稚園に通園している子供だろうが、みな遅かれ早かれ同じようなプロセスをたどります。

人としてやさしい心を持ち、正義感が強く、不正を憎み、
そして、「人が、人でありたい」と願えば願うほど、ふさぐこと多い世の中です。

テレビや世間で、「おもしろい」といわれるもの、心を高鳴らせるものはありません。
そんなところに人間の幸せがありえないことは、みな知っています。

金持ちだろうが貧乏人だろうが、一日の行動は似ています。
朝目覚めて、洗顔して、トイレに行って、現役は仕事、学生は学校、リタイア人は、人それぞれ。
一日なぞ、意識しないと、あっという間に終わります。

私は、一日一日をそれなりに、終われば、それは、それで望外の喜びとおもうようにしています。その中でも、たまには、自分の努力を感じるとき、期待をしなかった良い出来事に出会うと、生きているということは良いことだ、生きる喜びを感じます。

悪い機嫌のときままあります。
あっても、長引かせないことだとおもいます。

心の換気をすることは、生きる知恵のひとつです。

戦後体制その軍事的側面が日米安保であり、そのイデオロギー的側面が、自由民主主義、とお書きになれてていますが、私が、自問するのは、戦後日本にその支配的なイデオロギーとして、あるいは、支配の道具としての「自由と民主主義」が貫徹していたのかということです。

端的に書くと、
自由と民主主義=戦後民主主義という等式は成立しないと思います。
そして、(私の感傷?で書くならば)、左辺と右辺に、交互にゼロを代入することを潔しとしない。

戦後を支配したイデオロギーは、健全な自立的個人主義を原基とした自由民主主義ではありません。

かいつまむと、あいもかわらずの、
1.滅私奉公の伝統的な、集団主義
2.歴史との葛藤を回避した平和主義
3.そして金儲けが関与できる限りの自由の謳歌(消費の自由、営業の自由)

それらをミックスさせたものが、日本の戦後の「自由と民主主義」の大いなる部分ではないでしょうか。

過労死、連赤、オーム、時津風、いじめからは、とても、「最低質の自由」、「最低質の民主主義」という言葉すら出てこない。

そこから、「素因数」として現れるものは、相変わらずの、集団優先、滅私奉公、しかし実際は一部のものの利益確保であることは言うまでもありません。

私は、伝統的な集団主義を、建設的な個人主義に転換できなかったところに、今の閉塞状況に大なる責任があると思っています。

つまり、百歩譲って、自由と民主主義が、支配の道具であったとしても、
「そこにすら到達できていない」というのが現状に近いのではないでしょうか。

言い換えると、被支配者(支配者)が、自由民主主義という言葉から想起される、建設的、かつ精神的な緊張感を持ちえず今日まで来てしまったゆえ、この政官経マスコミの理不尽な支配、それに寄生する、大小の利権享受者を許してきたと思います。

うんざりするかもしれませんが、国民の一人一人が、その自由と民主主義の価値と葛藤することによって、その支配の道具としての「スローガンだけの自由と民主主義」を凌駕する、それしか今日の閉塞の出口がないと思います。

百年単位の仕事になるかもしれません。

職業高校の使命をとりあえず、次のように考えます。
「就職した会社の興廃に依存しない」、日本全国どの職場でも中級スペシャリストとして通用する技能を習得させること。
上級に昇格するかは、後の本人の努力、生き方しだい。

能力におおじて、たとえば、工業系なら、「工専」に近いレベルと「工業高校」並みのレベルに分けてもいい。

生徒を、成績におおじて、その学校間、サッカーの一部リーグ、二部リーグ入れのように入れ替えるのも良い。

そして、重要なことは、将来の希望、能力のおおじて、大工仕事、理容、役場、修理業、製造業、サービス業、電算、、実習を義務化すること。

その生徒たちの実習職場は、教委(!)と労働監督局(?)の指定したところです。
その生徒たちには、人事部に専門の担当者がつきます。
いかがわしい職場に生徒は送れません、公教育なのです。

自動車教習の実技検定のように、それを点数化して、卒業判定の材料にします。

雇用者も、新卒募集、一般職募集なぞという、雇用形態を放棄すべきです。
雇用するなら、会計担当、社会労務担当、営業外勤、管理職(技術系部下100人)、スペシャリストを前提とした雇用形態にしてほしい。

この雇用形態は、雇用側、被雇用側とも、適度な緊張感を持たせる。
(待遇を悪くすると逃げられる、いい加減な仕事ばかりしてると、クビになる。)

「生徒の好奇心を引っ張り出せる教育」、そのとおりだと思います。
勉強する場、勉強する課題が、即自分の将来に結びつくとしたら、やる気は、ぐっと引き締まると思います。

このシステムの欠点は、教育が仕事(カネ)に直結し、一般教養にかける人間をつくる恐れがあることです。

しかし、現在、これだけ、高等教育機関があっても、その数に見合う、一般教養、文化が支配しているとは思えないし。。。

導入に値するシステムだと思います。

高校で、大学もっと、生徒、学生を「責任ある大人」として扱ってよい。「遊べるのは今のうち、、、」この現実は、日本人をつぶしている。


職業高校、シャバで働いた後、問題意識を持って大学進学、より高度な専門性を持って職場に戻る、あるいは、新しい職場を容易に見つけられる教育システムを構築すべきです。
中高等教育が再生される。

蛇足になりますが、この職業高校に、
中卒後にすぐに行っても良いし、一年ぐらい適性を考えあぐねたりの後に行っても良い、普通高校からの編入でも良い、転職でも良い。
要は、人の「さまざまな、生き方を受け入れること」です。

卒業後は、主に、実習を受けた病院で仕事に就き(雇用者も本人を知ってるから、雇いやすい)、数年後、また学校に戻り、よりハイレベルな、この方面の仕事でキャリアを積めば良い。進学したくなければ、それはそれで良い。

学校の代わりに、長期旅行でもすれば良い。そう「遊べるのはこれから」。

「まっさらな新卒者」を囲い込む形での一般職採用、そして社畜への道、このシステムは、日本人を幸せにしない。

絵に描いたような、立身出世をしても、接待ゴルフの回数だけが自慢なんて、つまらない。

中卒後の進路、

企業、たとえば小売り流通業者を例挙します。
たとえば、「イトーナノカドー」という会社があるとします。

この会社は、将来「小売りエキスパート」として働きたい5人、事務一般(オフィスワーク)5人の中卒者および、その保護者と契約を結びます。

小売りエキスパートの場合、
彼らに、三ヶ月ごとに、フード部門、ノンフード部門、レジ、商品搬入、倉庫管理、商品陳列等の部門に移動させる。そして仕事を覚えてもらう。

事務一般コースの場合、
総務、経理、人事、営業管理、仕入れ、販売促進を三ヶ月ごとに回ってもらう。

週に二回実地で、そして、週三回は、公立の商業学校で、
国語、算数、公民、歴史、理科、簿記理論、コンピューターを学ぶ。
つまり、理論学習。

そこの学校で、ほかの会社で実地訓練をしている生徒たちと一緒に学ぶ。
教科書代、小遣い銭は、会社が出してやれば良い。

年毎に、実地(教委、業界エキスパート立会い)と理論のテストに合格しないと、落第、やりなおし。

卒業後は、彼らを年次契約でもいいから、一般職ではなく(ここが重要)、たとえば経理のジュニアエキスパートとして、雇用すればいい、その後は、給料を上げたければ、簿記一級、税理士資格でも取れば良い。

これは、企業丸抱えの、養成工システムとは違います。公共の教育システムの一環です。

このシステムが導入されれば、学歴社会というねずみ講に巣食う、
多くの総合大学、普通科高校、教育産業が淘汰されます。

私の暴論、総合大学、普通科高校の半分以上はいらない。

戦前、戦後の話ですが、
私の親の世代は、親の経済的な事情のため思うような道へ進めない人たちが多かった。
村の秀才が、丁稚奉公に都会へ出ることなぞまれではなかったと思う。

だから、戦後、彼らは、収入に余裕がある限り、子供を進学させることに熱心であった。そのためには、子供を普通科高校に進学させるのが手っ取り早いことは言うまでもない。

しかし、総合大学、普通科高校のあり方は、単に「いい会社」「いい仕事」
を求めるためにあるとしたら、それは本来の機能を逸脱したものです。

私の主張

普通科高校の卒業者に、自動的に大学無試験入学させればよい。
ただし、普通科高校の、「入学・卒業率」を、100対60ぐらいに試算する。

大学は最初の一年で、学生の20パーセントの中退を試算する。

そうすると、中卒時に、親も本人も、この「リスクを背負って」の普通科高校への進学を真剣に考える。

つまり、普通の職業人としての人生を送りたければ、職業高校進学というシステムです。

4年制にしてもいいから、職業高校を充実させて、生徒に中級技術者としての仕事を習得させ、卒業時には「一人前の」、社畜ではない、企業から企業へ移動可能のキャリアを求めて動くスペシャリストとして労働市場に送り出してやればいい。
現在の労働市場のニーズにも見合う。

(一人前ということは、職場で、同僚に「先輩風を吹かさせない」ということです。)

大学にいきたければ、数年仕事のキャリアを積んでから、通えばいい。

このシステムが確立すると、現在の普通科高校、総合大学の半分以上はいらない。
予備校、遊園地化した中等教育、そして学生の就職のしがらみから逃れた高等教育も充実する。

いい言葉に出会ったので書き留めておきたい、


青春がわれわれの中で死ぬとき、
われわれが、どのような衝撃も感じないほど巧みに行われる。

その青春の死こそ、本質的に言って、そして本当のことろ、憔悴した生命の完全な死よりも、老年の死よりも、もっと厳しい一つの死なのだ。

モンテニュー、エセーより、

荒木昭太郎訳

オバマのこと

オバマは魅力的だ。

私は、オバマに、カリスマ性、政治家としての高度な資質を感じます。
「芝コース」以外を走ってきたアメリカ人として、庶民性があるし、
知性と強い信念に裏打ちされた弁論家という印象を受ける。

一言で書くと、「政治家らしい」政治家ということでしょうか。

政治文化の違いもありましょうが、日本の家業を継いでるだけの、軽薄さ丸出しの「利権斡旋政治業者」とは大差の印象を受けます。

もし彼がアメリカ大統領にでもなって、日本の政治家が、陳情に行ったり、意見交換にお伺いにあがっても、「鼻も引っ掛けられないだろう」。

日本も国民を含めて、内政、外交にかんして、「自分たちの利益を定義できない」と、そして「定義した利益」を実行できないと、国難が続く。

あらすじ

マリアは、土地っ子で、20年キャリアの訪問看護婦さん、亭主のジムは、川を越えたイリノイ州出身、農機具を出荷しているプラントの管理者。
一生懸命働いているのに、支払いに終われる日々が続く。
末っ子に障害があり、医療費のコストが膨大なのだ。

主に、その急上昇する医療費のために、その一家は近頃、家をリファイナンス(refinanceいろいろな意味があるけど、この場合、ローンの組み換えか?)
将来について期待に満ちているが、事がうまくいかないと家を失うかもしれない恐れがある。
蛇足だが、ここにも、家のローンと膨大な医療費との関連がある。

その彼女が、小さな会合のオバマのスピーチの前座を任されたのだ。
自己と家族を紹介をした後、日々苦しくなりつつある勤労者の生活のこと、アメリカンドリームの実現は難しくなったことを語り、オバマを紹介する。

http://my.barackobama.com/page/community/post_group/ObamaHQ/C5C7

映像はこちら

http://de.youtube.com/watch?v=MDhyH6A03MI


言葉は分からなくても、
このフィルムを眺めていると、アメリカの日常風景が垣間見えて面白い。

若き日に、グレイハウンドでアメリカを旅行をしたことを思い出す、今度は自転車でしたい。

ミ二集会に集まった人たち、服装から判断して「普通の人々」だろう。
「刑事コロンボ」に出てくるリッチな風景はない。
普通のアメリカの家が、よく見える。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彼の演説をはしょったものを書く、英語の苦手でない人は、下のリンクを参照ください、全文が書いてある。
http://my.barackobama.com/page/community/post_group/ObamaHQ/C5RH


オバマは彼女の紹介に感謝したあと「プロですね」なぞとお世辞をわすれない。

彼のアイオアで見た印象を語ったあと、
・・・・・・・・
何が、アメリカでユニークなのか、
それは夢が、個人的なもの以上に、より多くの人にためになることを欲するからだ。だから、アメリカンドリームというのだ。私は、進学したくてもできない子供たちのために、そして冬の暖房日が払えるか心配する労働者のためにそのアメリカンドリームがあることを欲する。
それが、現在4千7百万人の健康保険に未加入のアメリカ人にあることを欲する。
・ ・・・・・・・

四年ごとに政治家たちはここに来て、健康保険について語るがなにもしない、、
語るのよやめて、実行すべき時だ、平均的なアメリカ人が保険未加入であることをストップすべき時だ。(拍手)

・・・・・・・・・・・・・・・・・

もし若い世代がその夢を実現できないなら、われわれの夢自体もしぼむことになるだろう。

今日、その夢実現のコストは、以前よりはるかに高くなっている。

グローバル経済の中、想像に絶する富を享受する人たちの一方、中産階級、中産階級に入ろうとして一生懸命働いているアメリカ人は、今、アメリカンドリームがはるかに遠のいているのを見つめている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
再度、私はアメリカンドリームを呼び戻す。。。

http://my.barackobama.com/page/community/post_group/ObamaHQ/C5RH

日々雑感

被統治者に恐怖心を与えるというのは統治術の一つなんでしょうね。

さらし首とか、公開処刑とかね。
今、テレビ、雑誌、新聞が、「もっと残酷にやってくれる」から、必要ないですけど。

今仕事切れたら、会社倒産したら、雇用契約が解除されたら、
手形が落ちなかったら、、被雇用者、零細企業経営者、フリランサー
誰でも、強弱、頭にかすめる頻度の差こそあれ、持ってる不安です。

不謹慎な書き方をすると、実際その「くじを引いてしまった人たち」は、十分すぎるほどいるし。
それは、政経システム内在する「恐怖政策」と思うのです。
恐怖心を常に被支配者に与えて、「匿名の同調」を強いるということです。
直接誰かに強いられているわけでないけど、「悪いくじ」を引かないために、
「生きるため」に、みな「同調」するわけですよね。

しかし、過労死、連赤、オウム、時津風をおもいだしてほしい。
みな、「同調して、殺されてる」んだ、比喩ではないです。

そこに、共通する潮目を理解しないと、この悲劇は繰り返される。
そして、今の閉塞は打開できない。手軽な処方箋はないです。

しかし、一方では、人は生きている限り不安にさらされる。自由に生きている限りはなおさらだ。(私は以前、深夜に目を覚ますと非常な恐怖感に襲われたことがありました。)

現行の経済システムの欠陥から派生する問題、不安を軽減したり、雇用のチャンスを拡大するのが、保守政治の役目であり、納税者としては、「税金の払いがい」がある。

しかし上記した様に、国民主権の世の中なのに、不安、恐怖が統治術の一つとして使われているフシがある。

人は、その恐怖感を逃れるために、怪しげな宗教に走ったり、自分を命令してくれる強い指導者をもとめたり(自由からの逃走)、、

簡単な処方箋はないです。

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