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僕の住んでる下町の街路樹が花をつけてる、通りすがりに、かすかに甘い香りを楽しむ、アカシアの樹だ、
美しい花を見ると立ち止まって、見とれてしまうような心の余裕がほしい、そして自分はなぜか、路傍の名も知らぬ花や、せわしない夕方、赤く染まる夕日を見て、立ち止まってしまうような人に、男であれ、女であれ、心を惹かれる
あれは、アザミ、クヌギの木、博学な人と散歩するのは楽しい、
アカシアという言葉を聴くと、二つの思い出が翻る
「アカシアの大連」という清岡卓行という作家の書いた、作文のような自伝、
清冽な文章が印象に残ってる、
清岡氏が育った、中国、大連の街路はやはり春になると、アカシアの甘い香りに包まれるらしい、そのアカシアの樹はじつは、植物学的にいうと、「ニセアカシア」という種、で、「ニセ」という言葉に小さな自尊心を傷つけられ、ずいぶん義憤を感じたらしい、、
もうひとつ、
「赤いハンカチ」という裕次郎の歌、そしてそれを主題歌とした、裕次郎、浅丘ルリ子主演の映画、この映画の中で、浅丘ルリ子の父を(あくまで映画の中での話)誤射した元刑事の裕次郎が、工場の立ち並ぶ、労働者街のなかの浅丘のアパートを尋ねる、そこのロケ先は、自分の生まれたところから、遠くない、
丘に登り、この工場の煙突群、そして密集する住宅地をはるか眺めながら、
少年時代を送った、
あれが、XX鋼管の煙突、、T芝、誰も知らない、工場名を言い当てたりするのが、子供たちの自慢だった
「季節のない町に生まれ、風のない丘に育ち、夢の無い家を出て、、」
この丘に数年前、数十年ぶりに立った、思いのほか、無感動だった、
そして、「生まれた土地は荒れ放題、」この、フレイズを、幾度も、幾度も、念仏のように、繰り返しながら、帰途についた、センチな感情は、その場では出てこないものだ、
生身の人間と、ドラマの主人公は、同じではない、、
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学生の頃、学校にメタセコイアの樹がありました。メタであろうとニセであろうと美しいものには変わりないでしょうにね。投稿していない記事に『私はアザミの生まれ変わりかも・・・』という一節があり、パソコン覗かれたかとちょっとビックリしました^^;)只今『不自由な自由』満喫中♪来週もお休みします。
2005/6/4(土) 午後 0:29 [ - ]
都会に生まれた人の郷愁ですね。私は間逆で、故郷は過疎が力一杯、ばく進中です。そこには年寄りばかりが住み、学校は廃校、国道を皆が通り過ぎるだけです。でも、姿は昔のままです。まるでタイムマシーンに乗ったみたいです。
2005/6/4(土) 午後 1:10 [ 深夜営業 ]
Ciao Angelusvoice さん 数回、立ち読みは、しました、お元気そうで何より、充電中とのこと、限られた、時間の中、そして、世のしがらみの中、「自由」を見つけるのは容易なことではありません、それを見つけたと思ったら、「孤独」を感じたり、それを逃れようとしたら、仲間と「群れてる」だけだったり、、、それが、一概に、悪いってわけでもないですけどね、
2005/6/4(土) 午後 3:34 [ h_m*ta*h ]
sinyaeigyou さん、 ヒトは誰でも、「原風景」って持ってるみたいですね、 「過疎地」ですか、自分の中に、「都会のねずみのままいよう」という気と、どこかまた、(金のかからない)知らない土地に、移住しようという気が半分半分、冬は南国、夏は、北国に、と計画を立ててる団塊世代の知り合いがいます、その器用さは、自分にはありません
2005/6/4(土) 午後 3:49 [ h_m*ta*h ]
こんにちは!はじめてコメントさせていただきます。
強い香りにひかれてニセアカシアという花の名前をしりました。
香りは時に想い出をどこからか引き出し遠い土地に一瞬でつれていってくれる魔力を持っています。
大連という名前だけしかしらない土地を私もあるいているような気持がしてきました。
2013/6/19(水) 午後 1:52 [ ぐみがわら えみ ]