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旅ーメキシコ

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12月19日(火)

あと3日でメキシコを出るので、北上してどこかカンクンエアポート近くに移動することにしました。
どこに行く?

わたしはトゥルムに行きたい(エド行きたくない)、エドはコズメル(島)に行きたい(わたしはフェリーての移動はしたくない)、、、ということで、折衷案、プラヤ⋅デル⋅カルメンに決まりました。


コロゾルよ、さよ〜うなら、、



で、再びレトロなバスに乗りました。フリーゾーンでは働くベリーズ人がどっさりと降りました。

ベリーズ出国の審査は、入国のときと同じ係官にあたりました。ゲストハウスのオーナーに、パスポートの査証は偽物だと因縁つけられてお金を請求される場合があるから、領収書は絶対に無くさないでと言われたので、そのときには水戸黄門の印籠のように出そうと、手のなかに握りしめていたけど、同じ係官だったので拍子抜け。まさか発行した本人がそんなこというわけないもんね〜、いくらなんでも。ちなみにベリーズ出国にあたっては、外国人はみな75ベリーズドル(4000円くらい)払わなければいけません。これってなんなのでしょうか?


でもってバスはあの懐かしい鉄橋を渡っり、〜この川が国境〜、メキシコに戻ってきました。

チェツマルからは快適なADOバスに乗り換えて、車中で現地の人がするようにトスターダスを食べました。バスターミナルでは、バスの乗客用にテイクアウトしやすいものを売っています。日本でいえば駅弁?ひさしぶりにまたメキシコの味です。



さて、プラヤデルカルメンに着きました。

歩きます。また例の宿探し前のちょっとした”緊張”です。でも初めての町を歩くって、ほんとにワクワクしますね。先入観なく、町そのものの空気を感じる瞬間。そしてこのときの第一印象と、滞在してから離れるときの印象の微妙な変化、がまた、たまらなくいいです。

いや〜、デル⋅カルメン、おしゃれ〜。きれいな建物が、、、、歩道も整備されていて、注意してなくても穴にはまるってこともなさそうですよ、、、。

なんとか宿が予算の範囲でみつかりました、、、きれいだし、、、目抜き道理からちょっと離れているし、、、ビーチにも近い、、、、しかし
夜、陽気なメリアチバンドの音楽がきこえるメインストイートをそぞろ歩きながら、、、わたしとエドは同じことを考えていました。

ここは、ちょっと商業的すぎるかな、と。

     〜この町をメキシコ最後の場所にしたくないな〜、、、

エドがガイドブックともう一度にらめっこして、”ユウコ、このポルト⋅モレロスってどう?”



翌日、ポルトモレロスに移動しました。



ポルト⋅モレロスにはバスにのり(たしか30分くらい)、降りたところで待機していたタクシーに乗り換えて5分くらいで着きました。ハイウェイからまっすぐに海側にのびる道路があります。以前はひなびた漁村だったのかもしれません。まちにはいるなり、わたしは気に入りました。タウンスクウェアがあって、教会があって、ぐるっと四方にお店が並んでいます。町はこれだけです。運良く、素敵な宿がみつかりました。この宿が旅行中の最高価格、600ペソス(6000円ちょっと)でした。



さっそく着替えてビーチに行きました。

途中、おおきなトカゲを見つけました(写真)。日向ぼっこしています。行きも帰りも同じ塀にいて、翌日の行きも帰りも同じ塀にいて、その翌日も同じでした。ここに住んでるのですね。ここを通るのを、モリは興奮して喜び、カイはちょっと気味わるがりました。鳥に食べられないんかな?と不思議でした。

さて、ビーチです。
理由はわかりませんが、イスラ⋅ムヘーレスでもデル⋅カルメンでも、ビーチが以前より狭くなってきているようで、ホテル陣は自分達の建物の前の白い砂浜を守るために、土嚢を積んで砂の流出に抵抗していました。潮流が変わったのでしょうが、もしかしたらハリケーンの影響なのかもしれません。ビーチはプライベートではないのだけど、ホテルやレストランでオーダーすると、パラソルやチェアをだしてくれるので、狭くなった砂浜がギュウギュウ詰めって印象もあったのです。

ところがここ、ポルト⋅モレロスのビーチだけは、なぜか、広くなっているそうです。あちらの砂がこちらに運ばれているのでしょうか?土地が隆起したのでしょうか?よくわからないけど、広いです。しかもまだ、カンクンやデル⋅カルメンのように開発されきってないから、空いてる〜。がらんがらん。素晴らしいです。砂でチェチェンイッツアのピラミッドを作ってあそびました(写真)。モリが階段の数を正確に覚えていて、感心しました。(母は忘れた)

翌日は本格的にシュノーケリングをしました。前回プンタ⋅アレンは一時間で400ペソスでした。今回はインストラクターがついて、一時間半で510ペソス。(両方貸し切り)。こちらのほうが断然よかったです。お天気もよかったけど、リーフが大きく、もっと多種多彩な魚や珊瑚が見られました。とくにインストラクターのサミュエルが素人にはみつけにくい生物を指し示してくれるので見落とさずにすみました。

一時間半を45分の2回に分けて泳ぎました。環礁を越えてくる波は流れが強く、流れに向うときはかなり疲れます。わたしは自分が泳ぐのが精一杯。こどものことなんかかまってられません(だいたい、こどもたちのほうが上手く泳げるのだし)。だからサミュエルが救命浮き輪をもって、アシカのように達者に泳ぐのをみてわたしは一安心。わたしが溺れても大丈夫だな、と。

珊瑚は場所によっては浅瀬でしたから魚が手にとるようによく眺められました。ただ波と波のあいだで海面が落ちると、なんだかお腹がついちゃいそうです。一瞬、腹を引っ込めて、珊瑚に触らないように努力して泳ぎました(笑)。きれいな海の世界、壊したらいけないですものね。

ウミガメに出会えたらいいなあ、と期待してましたが、ダメでした。わたしたちの前のグループは見られたようです。ボートに乗り込みながら、女の人が興奮気味に話してました。自然ですからね。またいつかチャンスがあるでしょう。へー、ほんとにいるんだぁ、この海に、くらいに思っておきます。



夜、食事のあと、いろいろなお店を覗きました。本屋さんが一軒。カナダ人(米国人かも)オーナーで、この町に避寒にくるリピーターらしきお客さんの溜り場てき雰囲気でした。カイは読みたい古本を何冊か見つけました。でもお金が足りない。お小遣いの前借りしていいよと、エドがいいました。この時点でモリは、自分のおみやげを2点(マヤカレンダーの壁飾りとピラミッドの置きもの)を買ってありました。まだ5ドルくらい残っていますが、もう自分には必要ないから、カイ、使っていいよ、といってあげました。、、、、なんて、できた弟なの、あなたは、と両親は顔を見合わせて感動しました(親バカ涙)。カイは勿論、喜んで受け取りました。モリも読んでいいよ、とは言ってました。だから、カイが使った30ドルの内訳は、飛行機のなかのデジタルデバイスのレンタル料と古本です。両方とも、今回の旅とはまったく関係ない内容でした、、、。で、よく考えるとモリは自分には大切に吟味した記念の品がのこり、カイが買ったものも利用できるという、坊主まるもうけ?、という結末でした。(もし坊主さんがこのブログを読んでいてもおこらないでくださいよ、ただの冗談です)

わたしとエドは、ハンモックを買いました。夏になったらこれを去年作ったデッキのアーチの柱に引っ掛けて〜、ゆ〜らゆ〜ら、この旅を懐かしみます〜。



宿はマネジャーをしている母と娘さんがとっても感じがよくて、部屋もきれいでサービスもよく、最後の滞在にはとても気持ちよかったです。オーナーは義兄夫婦にあたり、現在は米国テキサスに住んでいて、娘さんも高校時代、叔父の家にステイして留学したそうです。エドがしきりに、彼女はアクセントがないなあ、と感心していたのも納得。そういえばサミュエルも7年間、フロリダに住んだとかで、きれいな英語でした。今回あちこちで米国から戻ってビジネスを始めたというメキシコ人に会いました。ハッピィーなひともいたし、米国が恋しいというひともいました。

最後にエドの提案で、宿のハンモックがひっかけてあったところに、自分達のをひっかけて(宿のが破れるといけないので)4にんで乗って記念撮影しました(写真)。写してくれたのはマネジャーの旦那さんです。彼は化け学の先生(高校、大学)とかで、ユーモアのセンスのある、お〜っとりした人でした。そして宿をタクシーで出るとき、ずっと見送りしてくれました。その姿が、宿のひとというより、旧知の友達のようで、うれしかったです。


もしまたカンクンに飛べる機会があったら、まずここの宿に来よう、と思います。空港からタクシーで20分くらで直にこられます。




なんだか親戚があるみたいなきがするのです、、、。(完)





*********************************
これで、今回の旅行記を終わります。
初めて旅行の後にまとまった記録を書きました。
ブログをしてなかったら書き終えられなかった、いや書き始めなかったと思います(笑)。
長い記事を読んでくださり、ほんとにありがとうございました。

コロゾル(ベリーズ)

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12月17日(日)

チェツマルからメキシコーベリーズ国境までは一時間弱でしたが、この間、風景がジャングルになることはありませんでした。それがちょっとした驚きでした。

さて道路端に駐車した車が増えて来て、どんどん増えて来て、バスがノロノロになって、あっ、国境だ、と気付きました。

ガイドブックによると、ベリーズ国境側にフリーゾーンといわれる無関税で買いものができる場所があってメキシコに比べて値段が安いので、メキシコからたくさんの買いもの客がくる。とくにクリスマス前にはツアーで買い出しにくる人で凄い込みようだ、とあります。そういえば、大型バスも何台も止まってます。

そうか、先ほどチェツマルのマーケットに殺到していた、夜通し運転のツアーのお客さんの最終目的地はフリーゾンだったのです。あそこでは朝食をとり、ちょっとしたウォームアップ程度の買い出しをしたのじゃないでしょうか。考えてみれば、この日がクリスマス前の最後の日曜日です。混むはずです。

わたしたちのバスもとまり、車掌さんが、ここで、メキシコ側の出国手続きをするようにいいます。
バスのお客さんは、みなさんすごいスピードで降りていきました。なぜか焦ります。エドとモリが降り、カイも続き、わたしは何人かが間にはいってしまいましたが、降りてからごった返した人波の向こうにエドを見つけ、そちらにあるいていきました。これは人の流れと逆行しています。押し返されそうです。

着くとエドとモリがパスポートをもった旅行者の列の後部にならんでいます。

ーーーーーーーーーーーーーーーあっ、カイがいない、、、

(サーッと血の気が引く音〜)


手続きの建物の周辺を探し(いない)、バスに取って返しバスのなかを見(いない)、降車口に立って人波がどんどん流れて行く方を見やりました(いない)、その先にはおおきな鉄橋があって、川を越すようです。あっちはもうベリーズだ、と思いました。そちらに延々と人が流れていきます。焦っているわたしの目にはまるでどこか紛争があった国から脱出する大量の難民のように映ります。心臓がバクバクしました。

そのとき、遠くの人と人の隙間が、なぜか一瞬パッと空いたようになって、立ち止まるこどもの姿がみえました。カイ〜ッ、カイ〜ッ、と叫びまくり、人を追いこして、走りました。ここで見失ったら、大変なことになるきがして、、、、。

カイは人に流されながらも、不安でなんども立ち止まったみたいでした。

追い付いて、、、、、、カイ君、と笑いかけましたが、お互いに少し顔がこわばってしまいました。
カイはバスを降りて、そのまますぐ前の人が行く方向にあるいたのでした。





     ふ〜〜〜よかった。




というわけで、メキシコ側ではパスポートに再入国許可のスタンプ(一人10ドル)をおしてもらいました。




またバスに戻り、、、こんどは国境(川)を超え、次に金網にかこまれた区域、ラスベガスの小さい版みたいな派手な建物群を脇目にバスは走り、、、ベリーズ側の出入国管理の建物へと着きました。


またまたガイドブックによれば、係官のなかにはでっちあげの理由をつけて不当なお金を請求するばあいがあるから、とその注意書きがありました。まず、団体から離れないようにと、、、

それなのに、わたしたちはベリーズ人の列にならんでいたことに気がつかず、順番が回ってきたとおもったら、旅行者の窓口へまわされ、すっかり団体から離れてしまいました。トホホ〜。

しかもわたしだけは日本人パスポートなのでビザの発行(50米ドル)が必要とのこと。バスの車掌さんがもう待てない、次のバスがくるからそれに乗れ、といって行ってしまいました。いやぁ、すっとぼけてましたね、初めての国へいこうってのに、ビザのこと忘れてました!でもすんなりビザはでました。




で、係官はちっともうさん臭くなどない、感じのよい方でした。彼によると、日本の旅行者も良く来るよ、あなたはきょう10人めくらい、といわれました。

へ〜、たくさんのバックパック(勝手にバックパッカーと決めつけ)を背負い、あるいは自転車とかで、日焼けした日本の若い(勝手に若者と決めつけ)ひとが、ここを通過して、中南米縦断の旅をしているのでしょうねぇ、なかには南米へと行くひともいるのかなぁ、頑張って〜。


次のバスもやってきて、目指すコロゾルというまちにつきました。人口は6000人くらいの小さな町で
たぶん国境から20キロくらいしか離れていません。でもすっかりメキシコとは別の国です。当たり前だけど。世界中のほとんどの国はこういうふうに陸続きに外国があるんですねぇ〜。


宿泊したのはコロゾルゲストハウス。オーナーがパキスタンからの移民で、気さくにいろいろ話してくれて、、、というかかなり話し好きな方で、エドも話し好きなもので、この宿ではやたら立ち話をしてたような記憶です。彼のコロゾル批評は甘い辛い両方でした。戦略的なの彼の将来設計などをきけたのも面白かったです。日本で育ったナイーブなわたしは、国籍をゲットしながらよりよい生活や自由を目指して世界にまたがるひとびとは、、、架橋とかインド人とかパキスタニーとか南ア人とかユダヤ人とかフィリピーナ、、、。彼等の行き様には、驚かされます。力強いし、可能性みたいなものもかんじます、、、民族がちがっても、国籍がちがっても、おなじ人間。幸せを求める気持ちはみな同じ。




コロゾルで見た(した)興味深いものベスト8

1、メキシコから来てたサーカス
  ナイフ投げ、空中ブランコ、トランポリン、ゴレンジャー(赤レンジャーと青レンジャーのみ)、他  たくさんのレトロな見せものがつぎからつぎへと、、、。言葉がわからないのに、ちっとも問題なく  みんなでドキドキハラハラ、大笑いしました。

2、クリスマスパレード
  夜、コロゾルの高校生がマーチングバンドみたいなので町の目ぬきどおりのほとんどをパレードしま  した。白いユニフォームを着た女の子は杖のような棒を持っていて、それを地面に突きながら、ヒッ  プを動かします。ちょっとフラダンスの激しいのみたいな、でも違うけど。男子はドラムを激しくう  ちます。楽器はドラムのみ。リズムの激しさとともに、体を後ろに反らして、ほぼ地面につくくらい  からまた起き上がってきます。こんなの初めて見ました。

3、古着
  マーケットに洋服屋さんがでていて、そのなかに古着屋さんがあって、買いまくりました。
  たぶんアメリカかどこかで、古着を大量に安く買い入れるのでしょう。それを喜んで買うわたした   ちって、なに?

4、コロゾル図書館(写真)
  カイとモリは気に入った本があって何時間もここで読書してすごしました。とくにカイがお腹をこわ  したので、静養にちょうどよかったです。
  エドは司書さんにベリーズの歴史の本をだしてもらい読みました。英国人につれてこられた奴隷の虐  げられた話しなどだから気落ちしますが、でも勉強になりました。ほどんどの黒人のかたのルーツは  キューバやジャマイカのようです。アフリカ系は小数のようです。わたしはマヤの民話の絵本などを  よみました。ここも、西欧の列強の植民地主義にさらされる以前は、マヤ人の土地だったわけですか  らねぇ、、歴史ですねぇ、、。

5、海水浴
  水はお世辞にも綺麗ではありませんが、地元のこどもたちも賑やかに泳いでいて、雰囲気はよかった  です。こどもをつれてきたお母さんと話しました。地元の言葉はクリオで、学校でスペイン語と英語  を習うそうです。クリオは文法も発音も英語をくずしたの、、、みたいなかんじでした。エドはここ  にしばらく住めば、クリオはわかりそうなきがするといってました。わたしにはまったく別のことば  みたいに聞こえたけど、、。、スペイン語ができると仕事の幅がひろがるので、学校で教えるのはい  い、といってまっした。、、おっとりしていて明かるいけど、先のことも考えて、賢明な女性におも  えました。お話ができてよかった。

6、中国系
  コロゾルでは、商店という商店はほとんど中国系の方がオーナーでした。でもって中華料理屋さんも  やたら多くて、うちの家族は大喜び。久しぶりに白米をたべました。(カイは食べ過ぎて、その晩、  ベッドで吐くというトンデモナイ事件をしました。)コロゾルは移民するのが簡単だそうです。合   法的に一年間滞在すると、自動的に市民になれるそうです。それでアグレッシブな中国系が多いのだ  と、これまたアグレッシブなパキスタンのオーナーが言ってました、、。移民に興味のあるかたは調  べてみるのもよろしかと、思いますが。

7、メンネンナイト
  の人々は、たぶん18〜19世紀のいつかにここに新天地を求めてやってきた、プロテスタントの末  裔ですが、いまでも伝統的な集団生活をされているそうです。みるからに、違います。まったくの白  人です。男性は一様に背が高く、痩せていて、日焼けしてる。女性は数はあまりみかけませんでした  が、みなさん髪の毛が長くて、西部劇のような長いドレスを着ていました。で、この人たちが、コロ  ゾルにトラックでやってきて、野菜や果物や卵などかれらの農場の産物を売っていました。それとコ  ロゾルでは、レストランやホテルで、マホガニーのしっかりした木でつくった家具をおいているので  すが、それもこの人たちの工房で生産されたものだそうです。メンネンナイトは現代文明を部分的に  受け入れたアーミッシュ、と思えばよいと後日友達に聞かされました。米国にもたくさんのメンネン  ナイトのコミュニティがあるそうです。

8、海外青年協力隊
  中華料理屋さんで、日焼けした日本人のかたが話しているのに出くわしました。海外青年協力隊の方  々だそうです。女性3人、男性1人でした。仕事が休みなので、久しぶりに集まったといってま    した。がんばってくださ〜い!




という具合で、たったの3日でしたがコロゾルもとても興味深かったです。大都市ベリーズシティは治安が悪いときいていましたが、コロゾルは、のんびりしていました。きっと他にも良いところがあるでしょうね。いつかベリーズを再び訪ねる機会があればいいな、と思いました。



米国南部ーメキシコ国境は、とかく移民制限とか国境に壁を作るとか軍隊を派遣するとか、2国間の経済格差からくる軋轢がとりざたされるますが、そういう米国側の対処は対立を生んで、両国国民にとって不幸なことにかんじられます。極端な格差が緊張をもたらすのは当然です。メキシコーベリーズ間のちがいの”緩さ”のなかでも、どちらが上とか下とか、多少はあるでしょう。でも多くの米国民のなかにみられる、自分達の繁栄は妬まれている、みたいな被害妄想、けっして交わらない文化、言語、人種などとくらべると、ここの混和状態はここちよいな、と通りすがりの旅行者にはかんじられました。

これもまた、住めばいろいろな事情がみえてきて違う考えになることかもしれませんが。




次回、ポルトモレロスで、旅行記を完結します!

チェツマル

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12月16日(土)

ここまで南に来たのだから、隣国ベリーズ(元英国領、言語は英語)まで行っちゃおか?ということで、ベリーズを視野にいれて、国境の町、チェツマルへ移動しました。

またADOバスで。約1時間半。

チェツマルはこれまでのどこよりも近代的な都市でした。道路も広く、歩道も整備されていてで、街路樹が青青としげる町並みはキレイです。しかも野良犬をみかけませんでした。食べものもメキシカンフード一辺倒ではなくスパゲッティなどが簡易食堂のメニューにのっていたり、ベリーズ国境を超えてきたベリーズ人(いかにもメキシコの人とちがうので)が買いものしていたり、なんだか多重文化してきましたょ〜。海岸にでたあたりではちょっとシンガポールを思いだしました。あっとこれは誉め過ぎかな、そこまでは整備されてなかったか、、。

ここで宿泊したのはホテル ウクン。マヤの博物館(歴史と文化)のすぐちかくで、ホリデーインと道を挟んだお隣。ロケーションはばっちりでした。お値段は一泊、4人で230ペソス(約3000円くらいかな)でした。

ホテルについてから、まず併設のレストランで食事をしてから、プールで泳ぎました。

ここではベリーズから週末を使って遊びにきていた家族と一緒になりました。みなさんチョコレート色の肌で、言葉は英語みたいです。ケイリッブ君という9歳の男の子ととくに仲良くなりました。5人でプールの端から端まで競泳しました。なんとケイリッブ君1番、カイ君2番、エドさんモリ君同着3番、、、、、、じゃあ、わたしがベケでないのぉ、、、、いいトシしてマジで泳いだのに。てなわけでケイリッブ君ちはすっかり仲良くなり、エドはいろいろベリーズのことを質問してました。あとからエド曰く、英語なんだけど、かなりアメリカ英語と発音がちがう、とか。英国領だったからブリティッシュアクセント?かとわたしがきくと、そうでもない、とか。どんなんだろう。ワクワクしてきます。


プールの後はあたたかいシャワーでさっぱりしてから、博物館にいきました。ここは見応えがありましたよ。これまで見学したマヤ遺跡や見聞した情報をここでまとめて学習しなおし、みたいな。とくによかったのは、マヤ人の世界観、宇宙観が3フロアにまたがり紹介されていたこと。2階部分がいわゆる現世です。階をあがったことろが天上界。蛇(だったかな?)となにかの聖獣の住むところです。そして階下が死後の世界。(べつにおどろおどろしたものではないみたいですよ)その3層を垂直につなげるのが大木です。たしかこの木に大切な名前があったような、、、すいません。おもいっきり学習してないです。

さて翌朝のことですが、わたしとエドはいつものように散歩にでかけました。6時半。まだ町は静かでした。海岸まであるき、一時間後にもどると、唐突にホテルの周辺が20台ほどの大型観光バスでごった返しています。大勢の眠たそうね方々がバスから降りて、ゾロゾロと市場へ向っていきます。お客さんはみなさんメキシコのひとです。なんだなんだ?

市場は博物館のすぐ隣です。ホテルからもすぐです。エドは革のベルトを探したいというので、わたしたちも入りました。なんと先ほどみかけた観光バスのお客さんはほんの一握り、先客がたくさんすでに食事をすませ、市場のなかはめちゃ混みです。通路が狭いのでもう人波に流されるように動くだけです。年末のアメ横みたいな感じをご想像ください。革のベルトどころではなく、やっとそとにでてきました。
ハテ、この大量のひとたちは何ゆえこんな早朝からお買いもの?しかも観光バスで、、?

この疑問はのちに、ベリーズ国境にて解明します。



ホテルにもどり、食事し、荷物をまとめ、タクシーを拾い、ベリーズ行きのバスがあつまるターミナルへ到着しました。

おおお、レトロなバスが並んでいます。これのどれかに乗って、国境をこえるのね!(写真)

周囲にもお肌の色が濃いひとが増えてきました。両替え屋さんもでてます。バスのキップ売りの方はスペイン語と英語のバイリンガルです。

さあ、バスが出発しました。
国境は無事に通過できるでしょうか、、、



つづく。

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12月14日、15日

シレーナ(宿のオーナー)にバリャドリードがよかった、と話すと、じゃあ、サンタ⋅フェリペ⋅コリオ⋅プエルトに行ってみれば?ということでそこに移動をきめました。

プンタ⋅アレンから今度は、ボートで内海のシアン⋅カンを抜けました。
ここのラグーンや周囲の熱帯雨林は自然保護区域になっていて、野鳥や野生動物がたくさん生息しているそうです。シアン⋅カンとは、”空のはじまるところ”という意味だそうです。
この日はよく晴れて、波一つなく巨大な鏡のような水面に大空の雲がそのまま映っていました。(写真)

昨日シュノーケルの船頭をしてくれたプリモがガイドしてくれました。
マングローブのなかの水路とラグーンを繰り返し抜け、野鳥をたくさん見ましました。
残念ながらフラミンゴは見られなかったけど、スプービルというピンクいろのきれいな鳥を見ました。

この水路はずっと以前から海辺に住むマヤ人たちのあいだで交易や移動に使われていたそうです。


ボートは2時間半かけてムユイにつきました。ここにも遺跡がありました。規模は小さく、発掘再現状態もあまりよくはないですが、風情のある遺跡です。わたしはここからマヤ人は海路の交易にでていたのかなあ、とかその船出はどんな情景だっただろうか、と考えました。
ちなみにトゥルームから、ムユイの遺跡とシアンカンがセットでのエコツアーがでているようです。


ジャングルの木道をぬけ、バス停までプリモに案内してもらい別れました。
バスの時刻表はありませんが、1日に何本もでているらしいので、いつか通りかかるだろう、、、と待ち続けました。、、、屋根もなく、熱い。、、、、そして、やっときた、Mayabバス。
運転手さんに、サンタ⋅フェリペ⋅コリオ⋅プエルト行き?!と確認し、やっと落ち着きました。



フェリペ⋅コリオは土地の人々に敬愛されたマヤ人の政治家の名前のようです。

ここはカンクンの影響から離れた、ごくごく普通のマヤ人の町でした。
幹線道路の交差地点になっているためか、大きなガソリンスタンドがあって、そこに観光バスが到着するのですが、観光客はメキシコ人でした。欧米系の旅行者はほんとに数人しか見かけませんでした。

ホテルはこのGSのすぐ近くに泊まりました。部屋はきれいでよかったのですが、椅子とテーブルがなかたので、リクエストすると、すぐに4脚もってきてくれました。カイとモリは絵を書くのが好きなので、あると助かるのです。

ひとやすみしてからエドとまた洗濯屋さん探しにでかけました。帰りみち、公園の周囲が人だかりです。
これから子ども達のクリスマスパレードと舞台で小演劇があるようです。いそいでホテルに戻り、カイとモリを連れて来ました。幼稚園くらいのかわゆい盛りの児童が、クリスマスのダンスや劇をしました。クラスごとなのか担任の先生が舞台の端で指示してたり、親が携帯で写真撮ってたり、後ろのほうではお母さんたちが、手作りの料理を販売していたり、、、、なんだか似たようなことを親はここでもしてるんだな〜って楽しくなりました。残念ながら夕立ちがあって、観客は東屋のしたやお店のほうに雨宿りしました。

わたしたちは近くの美術館がまだ空いていたので、そこに入り、地元出身のアーティストの油絵を見学しました。すると、二人の中学生の女の子が話しかけてきました。英語が通じると喜んでいました。だんだん仲間の子たちもよってきました。会話は長続きしなかったけど、楽しかったです。

サンタ⋅フェリペ⋅コリオ⋅プエルトは19世紀にマヤ人の民族蜂起があったときに、その拠点となった都市だそうで、いまでも精神的な砦の町だそうです。当時は聖書のなかの選民思想をマヤ人にあてはめて解釈したとどこかで読みました。そうして戦意を鼓舞したのでしょうか。
いまでもそとものを歓迎しない住民もいるとか、、、。歴史をとおして長く抑圧されて来たマヤ人のなかには、外部の人にたいして警戒するひともあるのでしょう。旅行者の眼には平和で活気のある町であっても、もしかしたら、主要なビジネスはメキシコ人や欧米の資本なのかもしれないです。深い事情は住んでみないとわからないことですが。

わたしのマヤの人たちの印象は、のんびりとしていて、物静かな感じでした。

翌日はとくに大きなことはせず、ぶらぶら買いものしたり、何を食べるか決めるのが一大事という、呑気な1日をすごしました。

プンタアレン

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12月12日(火)

お天気が回復してきたので、カヤックで、マングローブの生える静かな内海をこぎました。

はじめにエドとわたしとタバスコという名前のガイドさんで、ちょっと遠出してから、つぎにガイドなしでカイとモリと4人で近くをこぎました。ちなみに、タバスコさんはタバスコ州(メキシコ)出身なんですよぉ。

マングローブが作り出す水路は複雑で、深く入ってしまうと迷いそうですが、近くで追いかけっこのように漕いで遊びました
水面下の泥の上に何匹もエイを見つけ、モリはとても喜びました。もしかしたらカブトガニだったかも。

大失敗は、旅行中このときだけ、虫除けのクリームを塗り忘れてしまったのです。
わたしは虫によく刺されます。
最初の写真はまだその悲劇に気付いていない呑気なわたしです。



シレーナの宿はキッチンがついていたので、毎食なにかしら作ってたべました。
ここは辺鄙なところだからでしょうか、やたら、レンストランの値段が高かったのです。
村にある4軒のミニスパーを順番にまわり、買いだししました。

ところでこの4軒が似たよ〜な品揃えなのです。
競争して淘汰しないから4軒が共存できるのかもしません。
競争のしようがないのかもしれないけど、、、。



夜になるころ、シレーナから、村に今晩新しいレンストランがオープンするから、みんなで一緒に行こうという誘いがありました。カナダからのカップルと米国人のベンとプンタアレン在住のシレーナの友達数人で、行きました。、、、、、行ってよかったぁ。だってお客さん、わたしたちだけでしたよ。
オープン初日なんだし、やっぱりね、、、。エビは新鮮で美味しkったけど、ふだんわたしたちが払う4倍くらいの値段だったので、頭がクラクラしました(笑)


そしてこのあと、村の教会でミサがあり、その後、ピッグヘッドダンスがあるから、必ずみるようにとのシレーナからのお達しです。

教会には戸がなく、開放的で、ミサはそとからみられました。小さな教会なので、神父さんがおらず、リーダーの女性がいて、みんなで、祈りのことばを繰り返し、斉唱していました。女性が多かったです。

そとをみると、通りのむかいの家では、あかりのなかで、なにやらギャンブル(?)をしている男性陣の騒ぎ声も聞こえます。

そしてピッグヘッドダンスになりました。どういう由来かはしりません。
トレーに豚の頭を丸焼きにしたもの(パイナップルや花や旗やいろんな飾りがしてある)、それを頭にのせて、輪になってリズムよく踊るのです。飾りで豚の頭がみえなくてほっとしました。はじめ教会の建物のなかでグルグル踊り、それから外にでて、しばらく踊りました。エドにも番が回ってきました。いつの間にか、男性の数が増えています。おやおや、さっきまで、ギャンブルしていたオッチャンたちも参加してますよぉ。お祭り騒ぎの部分が好きなんですね。(写真2枚目)

打ち上げ花火もしきりにあがり、楽しく興味ぶかい夜でした。


その晩の食事のときにモリは釣りが好きだという話しから、そのなかのひとりが釣りの道具をかしてあげようといいました。で、翌日の午前中はベンも誘い、釣りをしました。タバスコがやり方を教えてくれました。

釣り竿はなく、ただ針をつけた糸を海に投げるのです。そして浮きもないから、手にあたる感触だけです。タバスコは上手で、かかった糸をモリやカイに釣らせてくれたので、ふたりは喜びました。わたしたちは糸がからまったり、遠くに投げられなくて、全くだめでした。それでも、青い海をみて、太陽を浴びて、ただただのんびりしているのが気持ち良くて時間をすごしていたら、タバスコは退屈だったのでしょうね、わたしたちを残し引き上げてしまいました(笑)

午後はベンも誘い、シュノーケルにいきました。船頭さんはプリモです。きのうカヤックした岬の内海側からボートででて、灯台のある岬をぐるーっとまわり、沖合のサンゴ礁近くにいきました。(写真は海にはいるまえのカイ)

カイとモリは海中で泳ぐきれいな魚をたくさんみて感動のようでした。
こどもが喜ぶのが親はなにより嬉しいですね。

わたしたち家族はベンとすっかり仲良しになりました。


つづく

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