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「――で?」
背後から掛けられたその言葉に、羽ペンを握っていた手がぴたりと止まってしまう。
「で、とは?」
人知れず唇を噛んでから、澄ました声音でそう問い掛けた。
手紙を書く自分の背後から、紅茶のいい香りがする。
ベリーの甘酸っぱい匂いと、ローズの優しい香り。
ブレンドティだと気付きながら、その紅茶を入れているだろう執事の所作を想像した。
「ミル様」
名を呼ばれて噛んでいた唇を解放し、肩越しに振り返る。
彼の少し長めの前髪は左目を隠していたが、その狭間から見える薄茶色の瞳がこちらを見据える。
見えていない筈のその左目が眇められるとき、私はその真偽に関わらず明後日の方向を見てしまう。
「わたくしは何とお応えすればよろしいか」
いつもと変わらぬ相手の物言いに、私は苦笑する。
あの薄茶色い目が、怪訝そうに細められた。
彼の左目が失われたとき、その場に私もいた。
まだ年若かったこの見習い執事は自らの上着を頭に巻き、下男に抱えられて戻って来た。
蒼白とした頬が赤い血に濡れていた彼を、今でも覚えている。
幼く愚かな私が、遊びたいがために嘘を吐いた結果だった。
「…何か企んでおいでか」
不意に言葉を投げられる。
彼の手はティーポットを持ったまま。
「それとも…」
そう云い淀んだ、僅かに眉を寄せた彼の顔が見えた。
黒い服はきちんとアイロンが掛けられているのを知っている。 白い手袋も。
片眼が見えないからといって、彼が何かを妥協したことなど何一つない。
いつもナニーの如く、朝から晩まで私を叱り飛ばしてくれる。
それは、仕事だから。
きっとそう答えるだろう。
それが誇り高い職業であると同時に、彼自身の性格。
隻眼の執事。
―――私だけの、特別な執事。
「企んでなんかないわ」
天蓋のレースが、窓から吸い込まれた外気に揺れる。
少し火照った頬が優しく冷やされる。
「――お前の片目は、嫁ぎ先にもらっていくわ」
数週間後に控えた結婚式。
三回しか会ったことのない婚約者の元へ、嫁いで行くのは珍しいことじゃない。
大事なのはこの家系を維持すること。
幸いなことに、三回だけの婚約者は一回り年上の優しいおじさんだった。
きっと私はあの人を愛するだろう。
私はもう、愛することを知っているのだから。
「いいでしょう?」
私は笑う。
火照った頬は、まだ熱かった。
「――ねぇ、」
私はねだる。
クッキーをもらうときのように。
ピアノレッスンをさぼるときのように。
隠れて一緒にティータイムをするときのように。
唯一名を呼ばずとも、振り向いてくれるこの執事に。
「毎年お帰りになるのを、お待ちしております」
肩越しに振り返る彼の左目は、眇められていた。
私は明後日を見ることなく、今度はきちんと彼を見る。
窓から入る冷たい風は、頬を優しく撫でた。
視界に入った白い手袋は、珍しく紅茶のシミがついていた。
■◇◇■
お嬢様から執事へ。 これが最後の愛情の示し方。
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瞳を持つガラス玉。掌の上でいつでも見守る。
きっと届く。そそぐ眼差しが。
[ イカダ ]
2015/1/13(火) 午後 8:38
> イカダさん
ありがとうございます。
長々と放置しておりまして、申し訳ありません。
二人の関係は恋なのか、主従としての敬愛なのか、家族愛なのか…そんなこと関係なく、まるっとまるごと愛。
宝物のように、二人の中に存在するでしょうね。
2015/3/4(水) 午後 9:00
> z0l*e*lfさん
随分と時間が経ってしまっていて申し訳ないのですが、
不特定の方々が見られるこの場所に個人的な連絡先を投下されるのは、
ご自身にとってもよいことではないと思いますので、
勝手な私の判断ですが、今回は消させていただきますね。
お加減はいかがですか?
少しずつお元気になられたでしょうか。
遅くなりましたが、コメントをありがとうございました(´∀`)
2015/3/4(水) 午後 9:05
> 内緒さん
ご心配ありがとうございます。
そういうこともあるかもしれないと私も思いました(笑)。
ご忠告、うれしかったです。
2015/3/4(水) 午後 9:08