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人はよく「私たちは生かされている」っていうけど、実は私はこの言葉にすごく違和感を感じます。あちこち、いろいろと見てみると 「私たちは 自分以外の多くの物や人のおかげで、生かされている。」 と、使っている人が多いようですが「〜のおかげで」に対して「〜されている」と続けるのはおかしいです。この内容からして「〜出来ている」とか「〜させていただいている」と表現すべきです。 だから本当は、 「私たちは 自分以外の多くの物や人のおかげで、生きることができている。(生かさせていただいている。」 と言うべきだと思います。 また、病気や事故で九死に一生を得た人などもよく「仏様に生かされていると感じた」とおっしゃいますが、本来は 「生まれる前に自分で決めた仕事がまだ終わっていないから、死ぬかと思ったけどまだ生きているんだな。まだやることがあったんだ。よし、やり遂げるぞ。」 なんていうことだと思います。 また「仏様や神様によって私たちが生かされている」という表現は、「自分が自分の人生にとことん責任を持てなくても仕方ない」というようにもとらえられます。 私たちは他ならぬ自分自身で、生まれる前に細かく計画を立て、自分の魂の成長のためにやりたいことをこの世でするために、苦労して準備万端整えた上で、やっとこの世に再び生まれてきたのではないのですか?? 親だって、死ぬ時期だって、自分で決めてきたのに・・・。 すべて自分で決めたのです。何もかもすべて自分の責任です。だからこそ、意義があるのだと思います。成長があるのだと思います。生かされているのではなく、結局は自分の意志で、計画で、生きているのです。そしてその意志や計画通り生きることができているのは、多くの物、人、そして守護霊団や神のおかげである、というそういうことだと思います。 少なくとも私は「生きています」。生かされているのではないです。
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人生哲学
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今日道で、路上生活者らしき男性が、道の脇に座っているのを見かけました。すぐ横には寝る時に使うと思われるダンボールが、古い自転車に山のようにつまれて立てかけてありました。髪は伸び放題のぼさぼさで、洋服や体は垢と汚れで真っ黒でした。 その男性はひざをかかえて、何をするわけでもなくじぃぃぃーーーっと固まったようにすわっていました。多分来る日も来る日もそうやっているんだろうなぁ、と勝手に想像しました。 まさか朝になったら突然ほうきで町内を元気よく掃除して「おはようございます!!今日もいい天気ですねっ!!」なんて町内の人たちに大声で挨拶して、その後、てきぱきとした行動で、非常に有益なことをし始める・・・なんてことはまあ、ないですよね(^-^; 私はその場所を通り過ぎながらふと、江原さんが「ホームレスの人たちの中に、非常に美しい魂の持ち主がいることがある。」と言っていたことを思い出しました。そこで自分に問題を出してみました。 クエスチョン 「先ほど路上でうずくまっていた男性は、神様のように美しい魂の持ち主であるとする。また彼は、毎日ああして、じっとうずくまっているだけの暮らしをしているとする。さて、彼はすばらしい人か。」 長く考えることもなく、私は答えを出しました。 マイアンサー 「全く、ダメ人間です。」 そして思いました。 「美しい心を持っていても、何も行動せずじっとうずくまっているだけでは何にもならないじゃないか。江原さんが出会った美しい心のホームレスの人だって、多分この男性と似たような生活をしているはず。そんな人は、いくら神様のようなオーラを持っていても、私は認めない。私は立派だとは思わないよ。たとえ薄汚い魂でも、社会のために家族のために、何か行動をしている人の方が私は立派だと思う!! なーーにが、美しい魂だっ!!なーーにが、きれいなオーラだっ!!そんなのどーでもええわい。行動しろよ行動を!!行動しなきゃ、存在している意味がないんだよっ!!」 こんな思考を自転車をこぎながらしているので、頭が思考でいっぱいになってトランス状態に入って、意識がとんでしまいます。これは昔からの癖でして・・とほほ(^-^; だから私は、車を運転しません。すごく危ないので。これからも自転車ライフを続けます。(^-^)v
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コメント(4)
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この世は・・・というか、特に私の周りには、汚くよどんだ魂の人たちがうようよ、うごめいています。 彼らは、始終、自分たちがいかに立派で不幸で、犠牲者かを口汚く愚痴ります。そして私(はちれも)や、社会の人たちが、彼らの立派さや苦労を知らずに幸せそうに生きていると嘆き、攻撃します。 また、彼らは 現代社会は悪が支配している、 政府は腐敗している、 若者は堕落している、 日本の将来は無い、 ○○人は昔っから卑怯者だと決まっている、 テレビをつければ暗いニュースばかりじゃないか、 最近物騒になった、 恐ろしい社会になったものだ、 死んだお父さん!!私にたくさんお金を下さい、 おい、幽霊って足があるのか?? などなど・・・こんなこともよく言っています。 今まで長いこと、この中にいるのが苦痛で仕方ありませんでした。 数日前、彼らの愚痴を聞きながらご飯を食べていましたが、ふと頭に浮いたのがあの美輪さんの「ハスの花」のお話です。ハスの花はそれ自体とても美しい花ですが、汚い泥の中に咲くからよけいに美しい、とかおっしゃっていたような・・・。 そこで決めましたーーー!! 私はこれから「ハスの花」になることを目指します!! 泥の中でも、けがれの無い真っ白な花びらをのびのびと広げて美しく咲き誇る、そのハスの花の姿が私とダブるように、私は生きていきたいと思います。 はちれも、心の告白、でした。
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今、アンドルーワイル博士の「癒す心・治る力」という本を読んでいますが、ちょっといいことが書いてありました。 ・・・・・ 仏教の教えによれば、体があるというのはとてもありがたいことなのだ。なぜなら、心が過去や未来にさまよっている間も、体が「今、ここ」にしっかりとつなぎとめてくれるからだ。体の感覚に注意を向けているかぎり、注意は現在のリアリティにとどめられる。 ・・・・・ なるほど。。。体なんてやっかいなものだとばかり思っていました。でも特に私のように、思考グセがあって、過去を思い出してはくよくよしたり、未来を想像しては不安になったりする人にとっては、体はありがたいものです。無駄な過去や未来についての思考から現在のココへと、必ず引き戻してくれます。 目からうろこ。でした。 もうひとつ。 ・・・・・・ たとえ30分間、うまく瞑想できたとしても、その境地のままで残りの人生を過ごすことはできない。瞑想の真の目標は、たえずそれを行うことにあり、絶えず、この世の中を生きていきながら''' 行動の中で 瞑想し続ける '''ところある。 まだそのような訓練をする準備ができていない人でも、思い出すたびに注意を体に、呼吸に向ける習慣がつけば、すでにそれを始めていることになる。特に思考という終わりの無い魅惑的なプロセスによって心が「今、ここ」から離れていることに気づいた時は、いつでも体に、呼吸に向ける習慣をつけていただきたい。 ・・・・・・ 行動の中で瞑想し続ける!!なるほど。瞑想している時の安らかで、最もシンプルな心境を、普段もずっと持ち続けることこそ、本当の幸せの極意!ってことですかね。 思考のし過ぎに陥りそうになったら、体と呼吸に心を向けたいと思います!!
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最近、パソコンで夜遅くまで仕事をしておりますが、時々休憩がてらヤフー動画の「ムーミン」を見ては癒されています。 子供の頃、全く意味不明だったムーミンでしたが、今見てようやく意味がわかりました。あれは子供の見るものではないように思います。 例えばかなり前のお話でしたが、狼に憧れてよそからムーミン谷にやってきた男の子がいました。ムーミンがカバっぽいように、この少年も見た目は犬っぽいです。 なんだかんだあって、この子が、山で多くのオオカミに襲われます。命からがら逃げ、途中で偶然スナフキンに会います。すると今度はスナフキンにあこがれて、スナフキンを大絶賛し、あなたのようになりたいと言います。するとスナフキンが言います。 「君、誰かを崇拝しすぎると本当の自由を失ってしまうよ。そんなことはしない方がいい。」 ぎょへーーー!!すごい!!こんな言葉を子供の私が理解できるはずはなかったのだったー!! 深い・・。 また、スナフキンがこの男の子に名前を尋ねると、男の子は 「僕は誰かから名前を聞かれたことがないのです。だから名前なんてありません。そうだ。あなたにぜひ僕の名前をつけてほしい。お願いします!!」 と言います。始めは断ったスナフキンでしたが、やがてこう言いました。 「 ティーティーウー っていうのはどうだい。 はじめ明るくて、終わりは少し悲しそうに終わるんだ・・。 君にぴったりだと思うよ。」 男の子もその名前が気に入って、二人で何度も名前を言ってみるのです。 ・・・・ いやぁ〜すごい!! 「はじめは明るく、終わりは少し悲しい。」 だってーー!!すばらしい。そしてすごくその感覚が何か心をほっとさせる気がしました。 不思議ですね〜。明るいばかりでは、ほっとしないのです。悲しいばかりでも当然ダメです。「明るく、明るく、そして終わりに少し悲しい・・」これが一番、安らぐ感じがします。自然の摂理のような、無理のない感じがいいですね〜。 ・・・・ もうすぐ「サクラ」の季節がやってきますが、まさにサクラは、明るく始まりしばらく明るく続き、最後に少し悲しく散っていきますね。だからこそ、私たちの心にグッとくるのだと思います。 わたくし、はちれも博士はこれを 「ティーティーウーの原則」 と名づけたいと思います。 サクラは人生によく例えられますが、人生も明るく祝福されて始まり、明るく続き、最期は少し悲しい。だから私たちはティーティーウーに当てはまるものを、愛おしく思うのではないか、と博士は思います。 あ、いつの間にか博士になっていました。はははー。 ということで、ムーミンは奥が深いです。
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