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Honey Lemon's
こんにちは。はちれもです。

書庫ラコタ族の英知

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つづきです。

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最近、ある財産家のビジネスマンが、北平原地帯のインディアン居留地で、バイソン (バッファロー)の狩りをすることができるという、特別なライセンスを購入した。

ガイドが付いてバイソンが群れをなして草を食べているところまで彼を案内した。そんな方法はまったく、「狩り」という言葉にふさわしいものではない。「公平な追跡」という手段を経て行うのが狩りだからだ。

それにもかかわらず、その男性は彼の大きなライフルで群れの中の一頭のバイソンを撃った。しかしその時起きた事に、その男性は驚いてしまった。

彼が撃ったバイソンが怪我を負ってその場に倒れただけだが、小さな群れの残り全部のバイソンが撃たれたバイソンの周りに集まってきた。明らかに今起きたことに心をかき乱されているようで、悲しみがあふれ出ていた。そして悲しくてたまらないといった声でクンクンいいながら、怪我を負ったバイソンのそばにずっといた。

明らかに私たち人間にとって多くの教訓を与えてくれる出来事だった。しかし、あの裕福なビジネスマンは、この事態に驚いたものの、ただ

「奇妙なことが起きた。」

とだけ言った。


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う〜ん、もう長くなったので、これでおわりにするかも・・・。
いや、つづくかも・・・。考えておきます。(^-^;

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ラコタ族では、弓職人が婚約した男女、または結婚したばかりの男女に結婚についての話をする習慣がありました。弓は女性、矢は男性とみなし、弓職人は若いカップルの前で

「弓と矢のようになりなさい。」

と、話したそうです。

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弓と矢は、どちらか一方が欠けたら、矢を射ることができない。どちらも相手の目的にかなうように存在する。弓無しに矢は飛ばない。矢が無ければ、弓も無意味だ。

弓を射る人なら誰でも知っていることだが、弓がどんなに強くても、矢がまっすぐでなければ的に当たらない。一方、たとえ矢がどんなに真っ直ぐでも、弓が弱かったら的に届かない。

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私は細い銀色の新月を見るたびに、その形からラコタ弓が作られたことを思い出す。真ん中が一番太くて徐々に両端に行くほど細くなる。それは弓が射手によって何度も引かれる時、弓にかかるストレスをよく吸収してくれる形だ。

また雲から差し込んでくる太陽光線を見ると、矢は、太陽光線のように限りなく真っ直ぐでなければならないという祖父の言葉を思い出す。

私たちの文化では月を女性と考える。だから弓は女性になる。太陽は男性と考える。その光は毎年春になると、母なる大地に新しい命を生み出させるからである。太陽の光のように、矢も真っ直ぐでなければならない。だから矢は男性である。

こんなわけで、弓と矢は良い結婚のシンボルとなっている。

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私はこれらの祖父の話を全く疑っていない。実際に弓矢は、祖父の話の通り上下を間違えると折れやすいし、その他にも、大地について、生き物について、多くのことを話してくれたが、本当に祖父の言うとおりだった。

祖父のおかげで私は現在、弓職人になっている。弓を作る過程は、私の知らない何世代もの 「過去」 とつながる時間である。そのつながりは、祖父が私に歩けるようにしてくれた、道である。祖父は私がその道を歩く時、後ろから後押しをしてくれているように思う。

しかし、祖父はまた、私に教えてくれた。

「お前は前に向かって、未来に向かって、歩いていかなければならん。わしらがそうせねばならなかったように。そしてわしらの両親、祖父母たちもみな、そうだったように。」

私はそうしようと思う。弓矢の製作者として。

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つづく。

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つづきです。
著者は、ラコタ弓を現在でも作ることができる弓職人でもあります。今回は、その「弓と矢」についてのお話です。

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昔から弓職人が材料の木を切るときには必ず、木の根元にタバコを置いてそれを木にささげる。そして木の命をいただくことについて、感謝の祈りをする。

木を切る作業は、弓職人が精神的に安定し、身の回りのことがうまくいっている時にのみ行われる。家族が死んだなど、困難があったときには絶対に行わない。それは職人の心が弓矢に入ってしまうからである。もし悪い時期に弓矢を作ると、すぐに折れてしまうと、私は祖父から教わったものだ。

ラコタ族の弓職人は木を切るとき、「その木が地上での旅を完全に終える前にその命をうばう」という意識が強くある。したがって、木の神聖な魂の名誉のためにも、職人はあらゆる知識や経験、技術を駆使して全力で作る責任を感じながら製作する。

弓と矢には非常にスピリチュアルな関係が存在している。
弓と矢が完成した時、職人は必ず弓にも矢にも、それが生きて木だったときに、地面に近かった方にしるしをつけておく。それはその弓矢を使う人が、地面から上に向かう命の流れにあわせて使用できるようにするためである。弓はしるしのある方を下に持ち、矢は空に向かって飛んでいく先端の、反対側に印がくるようにする。面白いことに、上下を逆にして、命の流れに逆らうように使うとその弓矢は、すぐに折れてしまう。

また弓矢を使用する人は、目標を発見する前にしるしを下にして、矢を地面に並べておく。そうすると地面のパワーが矢に流れ込んでまっすぐによく飛ぶようになる。

祖父は私が幼い頃、弓と矢を手にするときにこういうことを話してくれた。

また祖父は、弓と矢は人間の男女の「結婚」とおなじ構造になっているという話もしてくれた。

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つづく・・・。

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つづきです。

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祖父との散歩は、場所を移動すること以上の意味があった。あれから五十年経って私自身が祖父の年齢に近づいている今、「私は祖父と歩く時、英知と歩いていたのだ」とわかった。

祖父の名前はアルバートで、Sicangu Lakota族である。

最近、私はテレビの選挙のCMで激しく敵の候補者をけなし、名声をずたずたにしようとしているのを何度も見た。それらのCMを見ながら昔、祖父が言った言葉を思い出した。

「本当に謙虚な人は、歩く時にめったにつまづかないものだ。謙虚な人は頭が下がっていて、常に地面の方に顔が向いているからな。だが、ごう慢な人は、今現在の栄光の光の中で日向ぼっこをしようと、頭をいつも上げて歩く。だからつまづくんだ。ごう慢な人はこれから先のことよりも、今現在のことの方に関心があるのだ。」

・・・

他にも祖父からすばらしい教えを受けた。例えば、アイデンティティについてだ。

私たちは個人として、集団として、社会として、国家として、誰なのか、またどのような人間なのか、といったことが、私たちの人生の中での強さになり、また弱さになる。また、それらのどのアイデンティティーにも貢献できるものが、個人としてのアイデンティティーであるというものだ。

・・・

また、祖父と歩いた「道」そのものも、私の人生の中でいくつかの困難を乗り越える時に助けになった。幼い私との散歩の時、アルバートじいさんは時々立ち止まって、今来た道を振り返る習慣があった。私を肩車して歩きながら、私にも何度も振り返るようにと指示した。

「今来た道を覚えておけ。そのうち、お前はひとりでこの道を帰る日が来る。その時に自分がたどってきた道を覚えておかなかったら、道に迷うだろ。」

実はこれは、祖父からのアイデンティティーについての教えでもあった。自分は一体誰なのか、どういう人間なのかということは、人生の道の中で少しずつ作られていく。来る日も来る日も、自分の人生が、絶えることなく私たちを形作る。その人生の道を振り返らないと、自分のアイデンティティーはしっかりつかめないのだ。

祖父はこのようなことも教えてくれた。

「周りの人たちや環境は、わしらのアイデンティティーを変えようとしてくる。そんな時に、一番いい方法というのは、自分はどういう人間かを思い出すことだ。そしてそれ以外に、良い方法など無いのだ。」

私の祖父母は、非常に苦しい時代に生きた人たちだが、自分が誰で、どういう者か、といったことについて決してぐらつくことがなかった。彼らは、様々な困難に直面した時に一番良い方法は、自分は誰なのか、どのような人間なのかを粘り強く持ち続けることだと理解していた。

現在ラコタの人たちは、インディアン社会と白人社会の二つの世界の中で生きている。その中でインディアンがたどった道を振り返らないラコタの人は、混乱し、途方にくれている。

ラコタの人々が、英語を話し、白人の習慣に適応するということは、ラコタ族であることを捨てなければいけないということではない。必要なのは「適応すること」だけだ。適応するということは、無差別に変えてしまうことではない。


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つづく。

私も人から勝手な憶測や非難を受けます。「あなたは○○な人間なのだ」とか、「あなたがそんな風なのは、きっと〜だからだ。」とか。自分で違うと分かっていても、いろいろ周りから強く断言して言われるとやはり混乱します。そんな時、「自分はどんな人間なのか」を改めて思い出そうと思います。それこそ自分が人生の道に迷わない唯一の方法なんですね。。

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ラコタ族のある女性エルダーの英知のおかげで、多くの命が助かったというお話です。

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今からはるか昔のこと。ラコタ族のある集団が平原を、歩いて横切っていた。まだ馬が使われる以前のことだったので、全員家財道具を持って歩いて移動していたのだ。集団の両脇を強い戦士たちが囲み、先頭は年をとった、リーダーとメディスンマンが歩いていた。

突然後ろの方のある戦士が、叫び声をあげた。全員が振り返ると、うしろから煙と炎が近づいてくるのが見えた。最も恐ろしいといわれる自然現象の「平原火事」だった。炎は非常に高く上がり、すごいスピードでこちらに向かっていた。

人々はパニックになった。どこか飛び込める小川か泉は無いかと探したが、周りには全く見当たらなかった。人々は荷物を全部投げ捨てて、手ぶらになって全力で走った。強い男性や女性は子供やお年寄りの手を取って、とにかく走るしか方法が無かった。

しかし、走っても走っても火の手は強まるばかりで、あつい熱がどんどん迫ってくる。全員がもう逃げ切れないと考え始めた。子供も大人も泣き叫んで騒然となっていた。そんな中、突然静かな声がした。

「後ろに走ってもどり、あの炎の中を走り抜けるんだよ。それしかない。」

話していたのは一人の年をとった女性だった。
人々はひどく驚いた。しかし、多くの人がすぐに彼女の言葉の中に英知を見た。だが、あまりの恐怖から英知を見なかったものもいた。

年をとったエルダーたちはすぐに集まって、人々に水筒の中の水を子供たちの衣類にかけるように指示した。このときすでに、火はかなり近くまで来ていて、煙で太陽が見えなくなっていた。人々は火の中を走ることを考えると恐怖で足がすくんだが、それしかもう、望みは無かった。

何人かは恐怖のために、そのまま走り続けた。しかし多くの人たちはそこで向きを変えた。この方法を提案した年をとった女性が、全員の先頭を切って炎の中に突っ込んだ。子供を抱えた親たちがその後に続いた。その後を多くの人たちが、追うようにして、死の場所にしか見えない炎の中に突っ込んでいった。

数人は死んだ。そのほとんどが老人ととても幼い子供だった。激しい炎の中で肺が耐えられなかったのだ。そしてその中に、先頭を切ったあの女性もいた。しかし勇気を出して炎に向かっていった人たちの多くは、生き残った。

彼らは全員足や太ももに、やけどを負っていた。だからその後、彼らは自分たちをSicangu Oyate 族、(火傷の跡が太ももにある部族)と言っていた。そしてそれが今日の我々、Sicangu Lakota 族であり、ラコタ族の七つの部族の一つになっている。一般的には、ローズバッド・ラコタとも言われている部族である。

私たちはこの自分たちの部族の名前の由来を、決して忘れない。そして、多くの人たちの命を救ったのが、あの年老いた女性の英知であったことを忘れない。

言うまでも無く、彼女の英知に耳を貸さなかった人たちは、全員恐ろしい死に方をした。


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つづく。

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