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ブッダ曰く。 ○地獄とは 「地獄とは海底にあるなどと自信ありげに言う者がいる。何の根拠も無いでまかせだ。地獄とは我々の心身が感じる苦痛のたとえにすぎない。」 ○我が身は道場 「たかだか六尺の人の身に生があり死がある。だが聞け。苦しみの素もそれを滅する道もそこにあるのだ。極楽も地獄もすべて、この六尺の身の内にある。」 「過去や未来を思いわずらうな。答えの出ない問いを思いつめるな。苦しみの生滅はただ一個の身にあり。これを悟って解脱すれば大安心を得る。」 ○"私" 「ほとんどの苦しみは人間が自我を持ったことで生まれたものだ。人は「私」に固執し「私のもの」に固執する。だから「私」や「私のもの」に不都合があると苦しいのだ。」 「自分の命さえ思いのままにならない人間に、永遠のものなど持つことができようか。」 ○死 「自分はいつか死ぬのだと誰もが理解している。それなら争ったりくよくよしたりして、時を無駄にすることがあろうか。」 「人の一生が短いことは誰もが知っている。しかし無知ゆえにあれやこれやで生命を浪費してしまう。」 ○幸福、不幸 「生あらば死あり。福あらば災いあり。慶あらば弔あり。このことわりを心得なさい。愚かなる者は災禍をきらい、幸福のみを希求するが、修行者はこの両極を超越しどちらにもかたよらない。」 「愚か者は物事の一面だけを見て喜んだり悲しんだりする。智者は何事にも両面があることを知っており、我を捨て、あるがままを受け入れる。」 ○人の評価 「人に褒められたら自分の価値が上がり、けなされたら価値が下がるというものではない。自分が自分を正しく評価する目を持ちなさい。」 ○楽しい人生 「宇宙の万物は環境や条件に従い様々な姿を現している。人も同じ。それぞれの環境や能力、性質、志向やめぐり合わせによって様々な人生を歩む。しかし、その人生が楽しいか辛いかということは、生まれ持った性格や境遇とは関係ない。それは人生観、自分がどう考えるかで決まるのだ。真理を正しく理解しなければ、人は苦痛に満ちた人生を送るだろう。はっきり悟った人の人生は安らかで幸福なものとなる。」 ○言葉 「全ての言葉は五つのグループに分けられる。時宜にかなっているかいないか。事実か事実でないか。温和か粗野か。有益か無益か。慈悲深いか、憎悪に満ちているか。いつも次のことを心がけて話しなさい。心が外の物事に左右されないように、粗野な言葉をもらさぬように、同情と慈悲の心を忘れず、怒りや憎しみの心を持たぬよう。」 ○諸行無常 「絶えず変化して一時もとどまらない、それが宇宙の姿だ。人間は自分のことしか考えないから、好ましいことは末永く続き、不都合なことは我が身にふりかからないようにと、都合のよい願いばかり抱く。とはいえ、事はそううまく運ばないから、苦悩するのである。 我々の苦悩の大半は、「私」にこだわり自分の体も心も世界も一切が永遠不変ではない、ということを理解していないところからくるのだ。 愛するものはいつか必ず去る。命あるものはいつか必ず死ぬ。だから、何が消え、変わり、朽ちたとしても悲しむにはおよばない。」 以上、マンガ仏教入門からグッときた言葉でしたーー!!どれもいい言葉ですね〜。救われます。
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ブッダの教え
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マンガ仏教経典より ブッダ曰く。 「火をもって金の純度を試すように己の修行によって私の言葉の真偽を確かめなさい。私を尊敬するあまり教えを無条件に受け入れるな。修行からおのずと得られた結果によって見定めよ。知者は学説などに頼らず、己を束縛することもなくただ細心に見、聞くだけ。」 これ、私もそう思います。例えば「血液型による人格区別」です。塾でも知り合いの人でも「もしかして○○型??だから△△な人だ。」なんて血液型で人格を区別することが大好きな人がいますが、これを聞くたびに、何の根拠も無い全くばかげていることだと、いつもいや気がさします。 昔お昼の番組で、小堺カズキさんが司会をしながらよくこの「血液型による人格区別」を言っていたのも思い出します。 世間がそう言うから、本などによく書いてあって一般的にそういうことになっているからと、よく考えもせず、よく観察し分析することもせずにそれを鵜呑みにしてはいけないと私も思います。「そもそも血液型とは何か、果たしてそれが人格に多大に影響を与えるといえるのか」となぜ考えないのでしょう。 塾の生徒さんの中に心理学が好きで、大学を今年卒業しさらに大学院を目指している30才の主婦の方がいらっしゃいます。彼女も自分が大学の心理学で習った分類によく知りもしない人をすぐに当てはめようとします。 例えば、まだ初対面の時に私が「駐車スペースがいっぱいあるのに、自分の便利さだけを考えて入り口付近の椅子マークの上にわざわざ車を止めた人がいて私、なにこの人!!って腹が立ってねぇぇ。」という話をしたら、「先生は何でもルールこそ大事で、ルールを守らないと許せない、というタイプの人なんですね。」と言われました。 びっくりしました。これが人間の心理の研究をさらに大学院でやろうという人の言葉か!!と思いましたよ〜。彼女はすでにもう大人ですが、一応生徒と先生の関係なので、これは言っておこうと思い私は 「そうじゃなくて、"思いやり"ってこと。ルールを守らないからではなくて、思いやりがない行動に私は腹が立ったという話をしたんです。」 などと話しました。そうしたら今度は「はぁぁ・・・もしかして先生は、○○のタイプの人ですか。」と、また何か言ってきたので私が 「あなたは何でも学校で習ったものや世間で言われている分類にすぐ当てはめて人を判断したがるようだけど、それはよくないですね。当たり前だ、常識だと信じていることでも自分の力でよく観察し調べてみれば、実は違っていた、なんてことは多くあるものです。例えば、地球温暖化も本当に地球が温暖化傾向にあるのかは科学的にはわかっていないんですよ。それなのに・・・」 と言ったので、反発したのか彼女は私の話の途中で 「え、先生は地球温暖化はウソだと言うわけですね。それ、以前テレビでみた××さんと同じだ。あの人は地球温暖化は全くウソで、すべて日本政府の陰謀だ。国民はあんなデマに耳を傾けてはいけない、エコバックなんか使うな!!ビニール袋をじゃんじゃん使えーー!!って叫んでいました。こいつ、頭おかしいって思ってみていましたが、先生もそうなんですね。」 と、言われました。・・あきれました。私は 「私は日本政府に対してそんなことを考えていませんし、何年も前からエコバックをずっと使っています。それから地球温暖化がどうであろうと、環境を考えて人間が生活することは絶対に必要なことです。そんなことではなくて、私は当たり前だ、常識だと思い込んでいることも実は、そうではないことがあると言いたかったのです。地球温暖化は太古の地球のデータが全く無いのに、近年の環境悪化が原因で地球温暖化になったとは断定できない、またはっきり断定するには現在においても情報が少なすぎるということで、科学的に断定できるほどのものではないということだったのです。もっと科学的なことだったんですよ。」 と、説明すると彼女は 「へ〜、立派なんですね。」 と返してくれました。おいおい・・(-_-; ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 頭が固いのはいけませんね。お釈迦様の言うとおり、すべてを鵜呑みにしたり、単純に分類することによって、自分が考え、観察し、よく吟味する手間を省こうとするのは危険行為だと思います。 あらゆる地球上の"差別"は、こうして生まれているように思います。人種、民族、身分、学歴、性別などなど・・・全部です。 こんなことを考えながら、マンガ仏教入門を読みました。マル。
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ブッダの教えの中で、最初にぐっと来たのは 「壊れたる鐘のごとく 黙して言わざれば 汝はすでに安らぎに達している。 汝はもはや怒りののしることが無いからである。」 でした。 私はいつも目の前の人がイライラすれば私も自分の意に反して心がイライラし、目の前の人が汚い言葉や愚劣な態度をし続けていると、私も心が平静を失って爆発しそうになってしまいます。これではいけない。なんとかこうならない方法はないものか、と考えていました。 そしてこれを解決してくれたのが「壊れた鐘のごとく」というお釈迦様の言葉でした。 この言葉と対照的な言葉に「打てば響く」がありますが、これまで私は常にそうであるべきだと勝手に思い込んでいました。しかし、風が吹いただけでもギンゴン鳴ってしまうような鐘ではいけませんよね。今までの私がそうでした、そして今も少しそうです(^-^; 場合によっては、徹底して「壊れた鐘」にもなれなければいけないと、お釈迦様から教わりました。解決方法が分かったので、後は私の努力あるのみ。がんばって壊れた鐘になってみます。 さんきゅー、お釈迦様。合掌(-人-)
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