|
夜遅く電話をかけてきたことをわびながらも、安西くんのお父さんの声には困惑と不安があふれていた。
聞いてみれば、夕方ささいなことで父と息子の間にいさかいがあったのだという。
「ほんとに、進路とか人生とかについて、ちょっと私が親としての意見を話しただけだったんです。別に意見を押し付けたりした覚えもないし。 それをなぜあんなにいきりたったようになって反論してきたのか・・・こちらもわからないんです。」 いなくなってるのに気づいたのは、夕食だと部屋を覗いたときだったそうだ。 「あまり帰りが遅いので、担任の先生に仲のいい子をおたずねして、こうやって探しているというわけで・・・」 どこの家にも安西くんは立ち寄った形跡はないらしかった。 もう11時になろうとしているから、多分うちが一番最後の電話だったのだろう。 「ご心配ですねえ・・・ 先日の昼の懇親会のときに、他のお母さんから聞いたんですけどね・・・」
と、私はジャイアンのお母さんから教えてもらったことを彼に伝えた。 思春期と受験期が重なる中三というこの時期は、ほんとうに難しいということ。 本人もわけもわからずいらついていることもあるらしいこと。
決して迎合する必要はないだろうが、今までよりは言葉一つにも神経を使ったほうがいいらしいこと、などなどを。 自分でも、余計なことを言っているのかもと思いはしたが、困り切っているお父さんのなにか助けにでもなればいいという誘惑に負けた。 そういう時期に、母親と父親とでは接し方も、子どもの受け取り方も違うだろうし。
「よそのお宅でもそういうことがあっているんですか。それを思うと、私の物言いもちょっと軽率で無神経だったのかもしれません」 お父さんは何度も深夜の電話の非礼を詫びながら切った。
レースのカーテンごしに庭に目をやると漆黒の闇だ。 こんな時間に、春とはいえまだ冷え込むときに、安西くんはどこに行ってしまったのだろうか。無事で見つかってくれればいいがと思わずにはいられなかった。 周囲の心配をよそに、安西くんは翌日には何事もなかったような顔で登校していたと翌日、帰宅した息子から聞いた。
一晩どこでなにをしていたのかについては、仲良し五人組にも彼は一言も言わなかったそうだ。 なんの根拠があるわけでもないが、彼は横浜にある母親のお墓に行っていたのではないかと、息子たちは噂していた。だが、気を使ってか、誰も詳しい事は訊かずじまいで、結局この家出騒動は終わりとなった。
その後、安西くんはすっかり落ち着いた様子でいつもと変わらないと、私が訊く度に息子は答えた。
父親と衝突して家出という大胆な行動をとったことがいいガス抜きになったのかもしれなかった。 そして、日は容赦なく進み、子どもたちは、やれ進路調査だの、三者面談だのと、いやおうなく受験への道を進んで行った。
そんな中で、例の六人組が集まったとき、よく二階から響いてきた声はいつもこれだった。
「アンちゃんはいいよなあ〜。なんたってとっくに行くところ決まってるんだからさあ」 安西くんは、うちから私鉄で30分ほどのところにある、中高一貫の某私立高校にほれこんで、かなり早いうちから単願推薦でほぼ合格の決定をものにしていた。
一体なにがそんなによかったのか、彼は小さいころから高校はそこと決めていたのだった。それはもう恋焦がれるという様子にさえ見えた。
そんな高校がある子はしあわせだ。 もうずいぶん昔のことだから記憶も不確かだけれど、自分の成績、志望校の偏差値、第一志望、言葉は悪いが滑り止め校数校の決定、スポーツ推薦や内申書(つまり、受験期はいい子でいるというストレス)、などなど、子どもたちには単純な勉強の努力以外に考えることがたくさんありすぎて不憫だった。 高校受験のシステムというのは、は今も同じような要素で成り立っているのだろうか? 季節が冷やかさを増すにつれ、ああだこうだと親子ともに悩ましい時期がひたひたと、そして確実に向こうから近付いてきていた。 |

- >
- エンターテインメント
- >
- 映画
- >
- 映画レビュー



おはようございます。
この記事から、息子の高校受験の頃を思い出しました。
彼が中3の夏、半身不随になった父をこちらへ転院させ、リハビリ、8ヶ月後、どうしても故郷へ帰りたいと頑として言い張りました。三本杖で、歩けるようになっていました
息子は親だろう看病について行け!といい。
兄はこちらの義母に私をお借りしたいと頭を下げました。
故郷の病院の受け入れも出来。夏休みの最初の日に父と故郷へ弟の車で帰りました。家の改修工事が済むまで故郷の
病院でリハビリを続けました。
9月、家の改修工事が済み、車いすも届きました。
父はひとり暮らしでしたが、故郷の施設(特養)に入所するからというのでした。
中学校の担任とは、電話のやりのみで、事情を察知してくださり、心配りしてくださいました。
安西君と同じ9カ月間父と子の生活でした。
2010/5/9(日) 午前 7:42
担任が選んでくださった高校は、3校でした。
各学校を見学に行ったそうで、その中の1校に決め
推薦してくださった私学に簡単決めたのでした。大学もエスカレーターで…
それでよかったのか
息子に取り立てて聞いたことはありません。
この年の11月愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件が起きました。1994年(平成6年)のことです。
母として君を守るからと…手紙を息子に書きました。
翌年の1月17日阪神淡路大地震が起きました。
体が二つ欲しいと思ったものです。
忘れられない月日ですね。
ショートスティーを頼み 卒業式には出ました。
3月25日特養入所と決まり、こちらへ帰ってきました。
6年後2000年(平成12年)春まで、兄弟はかわるがわる特養へ訪問を続けたのでした。
長々と失礼しました。
2010/5/9(日) 午前 8:11
椿さん
長く、こころにしみるようなコメントをありがとうございました。
息子さんの受験の時期、お父様のこと、その他にもさまざまな心配事を抱えて家を離れていらしたのですね。
介護をしながらも、こころは息子さんのほうに飛んでいらしたこととお察しします。
「親ならついていってやれ」と勧めた息子さんもえらかった。
離れていても母親の愛情はしっかり受け止めていらしたのでしょう。
むしろ、それが15歳にしては自立を早めたのかもしれません。
高校の選択にしても、その時点ではきっとそれが最良のことだったのですよ。
母親はいるにこしたことはないけれど、いないというのも子どもにとって悪いことばかりではないのかもしれませんね。
特に今の時代、必要のない心配ばかりしている母親が目立つような気がします。
2010/5/9(日) 午後 2:07
三回分を一気に読みました。。
まるで小説のような筆致ですね。。臨場感あります。。
僕の周りにもたくさんの親子がいます。
片方しか親がいない家庭もほんと多いですし、
アンちゃんみたいに
ある夜いなくなっちゃった子も。。
どんな子供も
幸せになってほしいな。
最近心からそうおもいます。。。
2010/5/9(日) 午後 2:23
なんだか我が事のように感じられます。
揺れ動く少年の心。私の家は飲食店をやってい
ましたので気が付けば店に立っていたものです。
それも小学生の時から、春休み、夏休み、冬休み、
祝祭日などほとんど仕事でしたね。
中学生の時には家の仕事ということもあり大人と
同じように仕事ができていたので重宝がられて
ものでした。そのおかげで今があるわけですが、
遊びたかったものですね。
2010/5/9(日) 午後 5:38 [ 羽木 鉄蔵 ]
ぴーたーさん
忙しい中、こんな私的な思い出作文を読んでいただきありがとうございます。
この作文を書きながら、しばしばあなたの仕事のことを考えましたよ。
あなたのブログにも時々こういう受験期の子どもたちのことが出てきますよね。
地域がら、いろいろ問題を抱えた子も多いとか。
そういう背景も考えながら、引っ張っていくのは大変なことでしょう。
昔なら元服とはいうものの、同じ15歳でも今の子は幼いです。
しかもとりまく状況は、便利だけど複雑で、決してベターとは言い難い。
そんな幼い15歳が迎える、(おそらくは)初めての戦いを、ピーター先生これからも温かく見守ってあげてください。
2010/5/11(火) 午後 2:28
蔵さん
そうでしたか。
蔵さんは少年時代から大人と同じように働いていたのですね。
友達と同じように、たまには思いっきり遊びたかった気持ちよくわかります。
それでも、その分、蔵さんは早くに大人になったと言えるのではないでしょうか。
蔵さんにとっては大人修行の15歳だったのですね。
2010/5/11(火) 午後 3:08
タメイキや ハトが 飛び交い 糞落とし
(^ ^)v
ギター・フンガイの民・人
2010/5/14(金) 午後 7:09 [ ギター老人(ろうにん) ]
ギターさん
うちも玄関の門扉のところに糞が見事に落ちていました。
ちょうど真上に電線があります。
もうカチガラスは巣立ったでしょうから、これはカラスのせいにちがいない。
空に向かって吠えてもねえ。
ハトポッポさんも、期限は迫るし、快くオーケーしてくれる場所はなしで眠れぬ夜が続いていることでしょう。
中では大きな顔した実力者が今日ものし歩く。
どこかにハトの救世主はいるのだろうか?
7月まで、溜息と憤慨だけがto be conntinued?
2010/5/15(土) 午後 3:11