えのころ草休憩所

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十五の君へ  5

夏祭りの日、夜遅く帰宅した息子から聞いた言葉に私は絶句した。

その日、いくら待ってもアンちゃん、安西くんは約束の場所に現れなかったのだそうだ。
 
そうこうしているうちに、中三のときの担任だった田中先生が五人を見つけて声をかけてきたのだという。
化学が専門の中年の女性である。
理系だからか、中年の女性特有の感情的な面がほとんど感じられないサバサバしたいい教師だったと思う。
先生はこのデコボコ六人組のこともなにかと気にかけてくれていた。
地域の夏祭りの補導であちこち回っていたときに、JRの駅の入り口付近で所在なげにたたずんでいる五人組を見つけたのだった。

そこで彼らは先生から安西くんのことを初めて聞かされたのだった。

安西くんがあれほど憧れて進学したのは、中高一貫の私立高校だった。
そこは仏教系の学校だった。

宗教系の学校にはよくあることだが、そこも校則が厳しかった。
安西くんも当然それはわかった上で進学したのだろうが、入ってみればそれは彼の想像をはるかに越えていた。
 
校則の一つ一つが、これまで公立の中学で自由な生活を送ってきた彼をがんじがらめにした。
しかも、担任との相性が最悪だった。
たび重なる校則違反の指摘と、担任との対立。

「安西くんねえ、一学期の半ばくらいで自分から退学届を出してしまったらしいのよ」

せめて、決断する前に相談でもしてくれていたら・・・と、田中先生も暗い表情で言葉を切った。
それはそうだろう。なんとか中学浪人という最悪の結果を出さずに全員無事に高校に進学させたとホッとしていたのもつかの間、一番先に行き先を決めてなんの心配もしていなかった教え子が、あっと言う間にドロップアウトしてしまったのだから。

「ねえ、あんたたち、なんとかしてやれないの?あんなに仲良しだったじゃない」
 
息子から聞いて、田中先生らしくない言葉だなと感じた。
一方で、先生も相当参っているのだな、無理もないとも思った。

「そう言われたって、僕たちだってさあ〜」と、息子も溜息ついた。

子どもたちの思いもよくわかる。たかが十五歳になにができよう。

安西くんは、その時点では別の私立に転入したとかいう話ではないとのことだった。
その後しばらくの間、チラホラとアンちゃんの噂は入ってきていた。
どこの私立にも単位制の都立高にも行っていない、家にも出たり入ったりの半家出状態らしく、よくない連中とつきあってるという話も聞いた、などなど。

高校が離れてしまった今、みんな自分たちの高校生活に追われて、そんな噂もやがてぷっつり聞かれなくなってしまった。

ところで、わが息子はといえば、高校でもサッカー部に入った。
自由な気風にあふれた都立高校の中で、文化祭だ、体育祭だと思い切り青春を謳歌し、主にサッカーをするために高校に行っているというような毎日だった。

入学時にはまあそこそこの成績で入れた(本人談)ものの、あとはあれよあれよ、試験ごとに成績は急降下していった。

まるでジェットコースターのようだというのがぴったりの惨憺たる有様。
入学したのはついこの間だったようなのに、三年はあっという間に過ぎていった。

高校になると、ほとんど親が学校に関わることはなくなってくる。
大学受験の進路調査なども本人が勝手に書いて提出しているらしく、彼がどこを受験するつもりでいるのか私が知ったのは高三の三者面談のときだった。

担任と向かい合った机の上に置かれた進路調査票に目を落として、私は赤面する思いだった。

自分の成績と照らし合わせて、あまりの恥知らずではなかろうか。
第一志望にはやはりあの大学名があった。小学校の時以来息子の心に刻みつけられたあの私立大だ。
その下にズラリと書かれた大学名は恥ずかしくてまともに見られなかった。
現役は甘いというが、まったく身の程知らずもいいところだ。

熟年の担任がボソリと言った言葉を私は忘れない。

「まあ、受けるのはね、自由なんですけどね」

全滅ですよ、先生の表情はそう言っていた。

当時息子がよく言っていた言葉がある。

「サッカー部の先輩がみんな言うんだ。M高生は三年間おおいにサッカーに燃える。
思い残すことなく高校生活を楽しむ。そして、一浪して第一志望の大学に入る。これが正しいM高生の伝統だってさ」
 
なあ〜にが「正しいM高生の伝統」だ!
やっぱり現役は甘い。身の程知らずもいいとこだ。

このようにして、大甘の現役受験は案の定みごとに玉砕して果てた。元々とんでもない難関校だけを受験したのだ。すべて門前払いを受けた。

そして、伝統の一浪生活が始まった。
さすがに、すべて落ちたことで息子も少しはこたえたらしい。
予備校選びも、ある大手の横浜校を選んだ。
 
その予備校はM市にもあるのだが、そこに行くとなじみの顔ぶればかりが集まってきてなあなあになると踏んだらしい。わざわざJRで横浜まで毎日通った。

日常生活も現役のころとは一転した。
まず階下にいることがない。
夕食は何時、風呂は何時と、すべての生活を時間で決め、きっちりそれを守った。
 
受験校も滑り止めにあたる大学は頑として入れなかった。
もし最悪の場合、退路を断つためだと、生意気にもぬかした。

現役のころ、あのくらい本気で勉強してくれていたらと思うのは親の未練というものだろう。断崖に立ったからこそ本気になれたのだ。
あのころの息子の姿はストイックにさえ見えた。どこにあんな本気が隠れていたのだろう?

かくて、翌年の春、息子は正しい伝統のM高生を体現してくれた。
天のお慈悲か、運も味方してくれたのだと思う。
あの憧れの私立大に滑りこむことができたのだった。
 
 
そして、大学が始まる前のあのうららかな春の午後にかかってきた電話。

安西くんがみんなの前から姿を消してから四年がたっていた。

彼と話していて、まるで新人の営業マンかなにかではないだろうかと錯覚するほどだった。
四年の歳月が彼をすっかり大人に成長させていた。
アンジェラ・アキの『十五の君へ』の歌詞を借りれば、
 

「十五の僕には誰にも話せない悩みのタネがあるのです・・・・・」

「今 負けそうで、泣きそうで、消えてしまいそうなボクは誰の言葉を信じればいいの?」

「一つしかないこの胸がバラバラにわれて苦しい中で 自分の声を信じて今生きている」
 
彼はみんながふつうに通る道から外れて、自らイバラの回り道を選んでしまった。
この四年の間、きっと上の歌詞のような思いで生きてきたのではなかったろうか。

そして、彼は苦労を乗り越えてみんなに追いついてきた。四年かかった。

安西くんはちょっと間をおいてからこう言った。
「さっき、おばさん、僕のことアンちゃんって呼んでくれたでしょう。あのころに帰ったみたいで、すごくうれしかったです。」

そう言われてみれば、いつも他の子の蔭にかくれて二階に上がっていくばかりで、私と面と向かって話したことはなかったかもしれない。つまり、私が彼に「アンちゃん」と呼びかけたことはおそらくなかったと思う。

「それから、あの時はほんとうにすみませんでした」

なんのことだったろうと記憶をたぐっていると、彼は
 
「あの・・中三の夜、僕が家出して、父が夜遅く電話してしまってご迷惑をかけました。」
 
そんなとっくに忘れてしまっていたようなことを、彼はまだ気にかけていたのだった。
あのお父さんの顔がその声の向こうに浮かんできた。あのこころもとなさそうな声とともに。

「Tから聞いたんだけど、すごくいいところに合格したんですってねえ。ほんとによく頑張ったんだね」

あえてこの四年間のことにはふれなかった。彼が元の道に戻ってきた事実だけで十分ではないか。

「いやあ〜、Tくんこそすごいですよ。小学校時代からの初志を貫いたんですから」

こんな受け答えが、私が彼のことをもう社会人のようなと感じたところだった。
お父さんの顔が浮かんだところで、つい訊いてしまった。

「お父さんもさぞお喜びでしょう」


「はい!  やっと親孝行ができました」 

このときだけは、十九歳の元気な若者の返事だった。
時間にして彼との会話はほんの五分くらいのものだったろう。だが、彼の会話の一言ごとに私の胸は熱くなってきていた。

そして、最後のその一言で、不覚にも胸がキュンとなり、目の前がぼやけてしまった。

「Tには必ず伝えておくからね。また会ってやってちょうだい」

声のうるみを悟られないように私はそれだけを言った。

ていねいなお礼を言って、安西くんは電話を切った。
 

その後、あの六人組は再会したのだろうか。息子からはなにも聞かなかったけれど。
息子は32歳、子どもが二人。
多分安西くんも家庭を持っているだろう。それとも、国際関係法とやらを学んで、世界で活躍しているだろうか。
いずれにせよ、あの苦しい回り道をした彼ならきっと大丈夫だろう。


最後に、この歌の歌詞から、下のフレーズを借りてこの作文をしめくくろうと思う。


「拝啓、この手紙 呼んでるあなたが しあわせなことを祈ります。」
 

 
                                                           おわり

 
 



 

閉じる コメント(19)

お疲れ様でした
読んでいる時、頭に浮かんでいた歌が 二つ…
壊れかけのラジオと

尾崎豊の一連の歌ですね

季節も 目まぐるしく代わっています
ご自愛を…♪
(^Q^)/^
ギター・銃後…って まだ生まれてないっ!・十五の寄る年波・人

2010/5/29(土) 午後 5:53 [ ギター老人(ろうにん) ]

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読み始めた時は『5』まで続くお話だと思いませんでした。
『5』の長さが必要なお話でした。
どこかに気に掛けてくれている人が居ると思うと
力になりますね。
十五の頃なんてそんなことは思わずに感じずに
突っ走ってしまうけれど。。。
いえ、そうではないかも…
本当は分かっていても…それが十五ですね。

2010/5/29(土) 午後 8:28 ジーマ

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もしかしたら十五才から年を重ねるごとに、何か大事なものを一つずつ失っているかもしれないですね。

2010/5/30(日) 午前 11:05 [ softtire58 ]

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ギターさん

壊れかけのラジオと

尾崎豊の曲。

まさにあのころの十五歳ってそんな時期だったのかもしれません。

あれから十七年の時が流れて・・・
今の十五歳ってどう変わっているのでしょう。

はっきりしてるのは、この私も還暦を過ぎたということだけ。
今の若者のことはようわかりませんわ〜。

2010/5/30(日) 午後 2:10 hag**o_en*korog*s*

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じーまさん

ずっと読んでいてくださったのですね。ありがとう。

例によって気軽に書き始めたら、息子まわりのことが次から次に思いだされてきて、どこできりあげようか迷いました。

「5」で終わるぞと決めたので、ここはえらく長くなってしまい、へとへとになりました。
読むほうも大変だったでしょう。

2010/5/30(日) 午後 2:41 hag**o_en*korog*s*

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ソフトさん

年を重ねるごとに、なにか大事なものをなくしていく・・・それが「大人になる」ということなのでしょうね。年齢との引き換えかな?

この話はほぼ事実です。

私が言いたかったのは、アンちゃんが難関校に合格したからえらかったということではありません。
いったん外れた道から、自力で元に戻ってきたということです。
十五歳の少年によくそれができたなと。

わかっていて、それができない大人があまりにも多すぎる中で。

2010/5/30(日) 午後 2:51 hag**o_en*korog*s*

顔アイコン

何にも回り道なんてしてませんよ。その人それ

ぞれの時間の使い方があるのであって、学という

枠という時間の中に納まらなくてもいいと思って

います。私は今でもよくはなしています。

若者が言いたいように言い放ち、自分以外を悪者に

することがありますが、「 そうか!そんなにやり

たいことがあるのなら、30歳まで頑張ってみな

よ。ただし、真剣に一生懸命自分自身で納得のいく

ようにやりなよ。真剣にやってダメなら30歳か

ら、真面目に仕事についたら、追いつけるから 」

なんて話をたまにします。

2010/5/30(日) 午後 6:34 [ 羽木 鉄蔵 ]

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それと、『 年を重ねるごとに、なにか大事なもの

をなくしていく 』のではなくて、「 年を重ねるご

とに、大事なもの繰り返し積み重ねていく 」もの

だと思うのです。アンちゃんは、だからこそ自分

自身に立ち戻れたのだと思うのです。一切の無駄は

なくてその時そのときが必要な時間だからこそ!

だと思うのです。

私はこの障碍も、無くしたものではなくて、

この時、今 与えられた障碍だと感じています

^^。いい話を本当にありがとうございました。

2010/5/30(日) 午後 6:43 [ 羽木 鉄蔵 ]

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間違っていました。
↑前向きにマラソンします。

2010/5/30(日) 午後 7:33 [ softtire58 ]

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[ softtire58 ] さん、なんだか失礼なことを

してしまいましたか。私の話で私の障碍のことを

話させてもらっただけですので、申し訳ありませ

んでした。

2010/5/30(日) 午後 9:57 [ 羽木 鉄蔵 ]

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蔵さん!!!
私は消極的な成長よりも、積極的な成長の方が正しいと思いました。
私こそ目からうろこ、気づかせていただき有難うございます。

2010/5/31(月) 午前 7:24 [ softtire58 ]

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蔵さん、ソフトタイヤさんへ

私ごときの作文で、意見交換してくださってありがとうございました。

どちらのご意見もよ〜くわかります。

大人になる過程で、周囲とうまく協調していけるようになるために、どうしても捨てねばならない純粋さというのはたしかにあると思うのです。

どんな苦労も回り道も、必ず意味がある。
それは、自分の将来の糧になるものにちがいありません。

なんの苦労もなくすんなり大人になってしまうことは、大事な何かを積み重ね損なったということかもしれませんね。もったいない。

かといって、好きなことを思う存分やっていくのも限界はあるでしょう。
本気でやるなら30歳まで。その年なら十分取り返しがつく、という蔵さんの意見にも賛成です。

ソフトさんも私も還暦まで成長してきました。
これからだって、もうちょっとは積極的成長ができるでしょう。

たとえば、還暦から始めたソフトさんの初マラソンもきっとその一つ。ガンバレ〜!

2010/6/1(火) 午後 2:33 hag**o_en*korog*s*

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無理をしないで、マイぺ−スのマラソンを、

楽しんで苦しんでマイペ−スを作りあげてく

ださい。 ソフトさん。

健常の時には、ホノルルマラソンとシドニ−マラ

ソンを走っています。なぜだか国内はフルマラソン

走ってないんですよね><。

2010/6/2(水) 午前 9:39 [ 羽木 鉄蔵 ]

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午前3:04のカギさま

どうかしましたか?
この「ああ。。。。」は

「ああ、長かったなあ」とか、

「ああ、めでたしめでたし」とか?

2010/6/5(土) 午後 2:21 hag**o_en*korog*s*

訪問&コメント ありがとうございます!

梅雨もまだ これから本番ですが ご自愛を!

一年の 折り返し地点 乗り越えて…
(^Q^)/^
ギター・ヘアピンなんぞ、必要ないっ・人

2010/6/6(日) 午後 5:15 [ ギター老人(ろうにん) ]

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ギターさん

あはは
ヘアピンは私も最近使ったことないですねえ。

最後に使ったのは、それこそ十五歳くらいのころ。

夏のような暑い毎日ですが、そういえば梅雨がこれから来るんでしたっけ。
今年は気候がおかしくて、今が一体どういう季節なのか、ときどき忘れそうになります。

2010/6/8(火) 午後 2:58 hag**o_en*korog*s*

顔アイコン

お母様の初夏の句が 待ち遠しいですね・・・

(^ ^)v
ギター・首なが属・人

2010/6/13(日) 午前 11:56 [ ギター老人(ろうにん) ]

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ギターさん

母は最近忙しいらしく、ゆっくり俳句を作る暇がないそうです。まだ届いておりませんのであしからず。(89歳が多忙というのもいかがなものかと思いますが、本人がそういう気分でいるのでそうなのでしょう)

2010/6/15(火) 午前 10:15 hag**o_en*korog*s*

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多忙とは すごいですね・・・!?

夏場を ターボ・エンジンで 活発に動いておられるのですね!

ゆっくり お待ちしております

(^ ^)v
ギター・田んぼ煙塵・野焼き?!・人

2010/6/15(火) 午後 2:33 [ ギター老人(ろうにん) ]

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