古池や 蛙飛び込む 水の音 芭蕉 ばしょう

芭蕉は庶民の俳諧師、文学者により聖人へ昇格

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 さて、甲斐出身とされる山口素堂はこの芭蕉の最も親しい友である。『甲斐国志』の記載以来、素堂の伝記は大きく歪められてしまっているが。

 国志によれば素堂の家は甲府でも富裕の家柄であった云う。弟に家督を譲り、江戸に出たとされる素堂ではあるが、芭蕉庵を再建する発起人となるのであれば、何故芭蕉の甲斐流寓の手助けをしなかったのであろうか。

 素堂側に立って「素堂と芭蕉」の親密さを見れば、素堂は芭蕉の甲斐流寓の目的を十分理解していたと思われる。芭蕉が江戸に戻り参加した其角の『虚栗』編集には、素堂は中心的存在で参加している。後の『続虚栗』(其角撰)には素堂は「風月の吟たえずしてしかもゝとの趣向にあらず云々」で始まる序文を与えている。

 素堂は、この序文の中で、諸先生方が芭蕉の唱えた説と指摘する、「不易流行」説を既に提唱している。(本文参照)

 其角にとっても素堂の存在は大きなものであったのである。もちろん高山麋塒は、幕府儒官林家に出入りする素堂の知識と俳諧に於ける先駆者としての位置づけを承知していた筈である。

 九月、江戸に帰リ、住む所が定まらない芭蕉をみかねて、親友素堂が呼びかけで芭蕉庵を再建する。

 山口素堂の『芭蕉庵再建勧化簿』(天和三年秋九月)。

 芭蕉庵裂れて芭蕉庵を求む。力を二三生にたのまんや。めぐみを数十生に待たんや。広く求むるは却って其おもひ安からんと也。甲をこのまず、乙を恥づる事なかれ。各志の有る所に任すとしかいふ。これを清貧とせんや。はた狂貧とせんや。翁みづからいふ、ただ貧也と。貧のまたひん、許子の貧。それすら一瓢一軒のもとめあり。雨をささへ、風をふせぐ備へなくば、鳥にだも及ばず、誰かしのびざるの心なからん。  是草堂建立のより出づる所也。
    天和三年秋九月 竊汲願主之旨 濺筆於敗荷之下   山素堂

さらに、芭蕉庵の造作は進み、

冬、ふたたび芭蕉庵を造り営みて(年不詳)
霰聞くやこの身はもとの古柏  
 芭蕉(下里知足『知足齋々日記』記載)
  となっていく。

又芭蕉の甲斐流寓に同道したとされる芳賀一晶は、天和三年、歳旦帳を出してその春に江戸に下り、芭蕉等と一座し誘われてその夏を甲斐国に過ごした(『俳文学大辞典』、一晶の項……白石悌三氏著)と記載されている。

 芭蕉の甲斐流寓について触れている研究文献は多く見られるので、ここでそれ等を整理してみたい。

 芭蕉の谷村流寓については次の地域の研究文献がある。それは『都留高校研究紀要』である。

 都留高校『研究紀要』(「天和三年の芭蕉と甲斐」)によると、  

六祖五平を頼る。『随斎諧話』(夏目成美著・文政二年・1819刊)
杉風の姉を頼る。『芭蕉翁略伝』(岡野湖中・弘化二年・1845刊) 
麋塒を頼る。(但し、六祖五平を麋塒とする)『奥細道管菰抄』(安永七年・1778刊)
又、研究者の論議については、 

岩田九郎氏…『芭蕉の俳句俳文』 仏頂和尚の弟子六祖五平を頼る。翌年夏まで逗留。 
小宮豊隆氏…『俳句講座』  同内容 
山本健吉氏…『芭蕉』  同内容 五月まで滞在。 
荻野 清氏…『俳諧大辞典』  塒麋に伴われて谷村逗留。 
飯野哲二氏…『芭蕉辞典』  同内容 仏頂和尚の紹介で五平の許に身を寄せる。
穎原退蔵氏…『芭蕉読本』    『随斎諧話』を引き、夏目成美の学識を重視する。
目黒野鳥氏…『芭蕉翁編年誌』  三、四月の交り、六祖五平を頼る。
高木蒼梧氏…『俳諧人名辞典』  甲州谷村の城代家老高山繁文(麋塒)を頼 る。
『校本芭蕉全集』  罹災後のある時期、甲斐谷村の高山麋塒(秋元家家老)を頼り、翌年五月頃まで逗留す る。
高木蒼梧氏…『俳句講座』    杉風の家系には姉は居ない。万福寺は初狩では無く勝沼町等々力村である。
勝峯晋風氏…『芭蕉の甲州吟行と高山麋塒の研究』 
萩原井泉水氏…『芭蕉風景』  芭蕉庵焼失後、彼は一時、二本榎の上行寺
(其角の菩提寺)に厄介になり、間も無く杉風の紹介でその姉の所の逗留する。『芭蕉略伝』による。そこに六祖五平というものが居て、その家を宿としたと言う説もある。としている。
麻生磯次氏…『芭蕉‐その作品と生涯』  芭蕉は堀江町の其角の家に身を寄せたり、その菩提寺である二本榎上行寺に厄介になった。(中略)芭蕉は谷村の麋塒の次男五兵衛の所に宿し杉風の姉にも世話になった。
井本農一氏…『芭蕉評伝』  谷村秋元国家老の高山麋塒を頼ったことと思われる。
安部正美氏…『芭蕉伝記考説』  谷村流寓説は何の根拠も無く、六祖五平は全くの架空もの。
杉浦正一郎氏…『芭蕉研究』  六祖五平は高山麋塒の次男と思われる。麻生氏と同説。
菊山当年男氏…〔芭蕉研究家〕  庵類焼後、直ちに甲斐に逃れた芭蕉は『虚栗』の跋文を書いているから甲斐からは五月頃江戸へ帰ったらしい。
 前述、 赤掘文吉氏『都留高校研究紀要』の論述のまとめとして、 


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