全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全15ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

育つ芽

日経新聞の最終ページの私の履歴書で、
サッカーの釜本氏が書いていたことがあります。
確か連載が始まった時だと思いますが、
そうだよなあと思ったことを書かれていました。
(記憶で書いているので間違っているかもしれません。)
確か、、、
今の日本は、連携とかチームプレーの練習ばかりしていて、
個人技を究めようとした練習をしていない。みたいなことです。
ただ、数少ない中で、
遠藤選手はそういう練習をしていると書いていたと思います。

本当にそうなんだろうなと思いながら、
一方で、そういう練習をしている経緯もあるんだろうと思います。
プロ選手としては、チームプレー重視、連携重視だけではダメなんでしょう。
プロというのは、やはり個の力が際立ったもので成り立たなければならないと言えます。
仕事でお金をもらうということは、どういう場においても本来は皆プロであることから、
サッカー選手だけでなく、どういう立場にあっても、
最大限の力を常に発揮することが求められるのだと感じます。
経営者になると、際立ってそういう思いが強くなります。

また、責任を持てば持つほどに、
その重圧と責任感といったものが違ってくるのは確かです。
今は引退している従姉がプロゴルファーで、
何度か優勝をしましたが、初優勝を飾るまでの10年間と、
プロになるまでとそれからの練習量は私たちの想像をはるかに超えるものでした。
ただ、結果を出すことを考えると、
やはり何かに選択と集中をしないと、
人よりも抜きんでた技術なり仕事なりは出来ないと思います。
会社であろうと、プロのスポーツ選手であろうと、
やはり個の力を最大限に伸ばし、
その力のベクトルを如何に一点に集中させ突破するかが大事なんだと、
改めて感じることであったりします。

若ければ若いほど、
そういうことに気付くと、
その後の人生はきっと違ってくるだろうし、
チームで仕事をしている組織といったものも、
きっと大きな突破口が開けるのだろうと思います。

そう思って日々新聞を読んでいたりすると、
意外と、大企業もそういうことに気付いて、
実験として若い人をベンチャー企業に派遣して
経営者と共に行動を共にさせ育てている記事に出くわすようになりました。
近い将来、そういう経験をした若い人たちが
今の日本の社会を切り開いてくれるんだろうと期待するとともに、
若くは無いけれど、
自分もその一員として少しでも参加することができたらなと感じます。

結果が全て

やはり、この世は結果が全てだなと、
歳をとるごとに実感することになります。
自分が如何に努力し、頑張ったことを認めてほしいと
結果が出ていなくとも主張している間は、
大した仕事ができていない証拠だとも言えます。

正に、今自分が経営者になり感じることは、
やはり、今の状況が芳しくないということは、
全て自分が結果を残せていないということの裏返しです。
それは、如何にどんな努力をしていても、
世の中のせいにしても、誰も耳を貸してはくれません。
むしろ、馬鹿にされるでしょうし、
所詮その程度の人物だったということになるだけです。

そこで個人的に思うことは、
失敗してでも若いうちに経営者の経験をしておくべきだと考えます。
歳をとればとるほど、失敗するとなかなか立ち直れないだろうし、
家庭を持つ人にとって、家族の理解が無いと悲惨なことになりかねません。
若いと立ち直りが早い上、
のんびりと会社員をしているよりは、
数十倍の速度でそれなりの人物になれると思います。

ところで、結果が全てだからと言って、
その間の過程や努力などを否定している訳ではありません。
もちろん、努力や過程があっての結果です。
たまたま結果が出たとかうまくいったというのは論外です。
つまり、正しい努力や過程があるから結果が付いてくるということです。
若いうちは、結果が全てだというと、
その間の過程や努力をないがしろにとらえる方が結構いるので
ビックリさせられることがあります。
結果が出せていないのは、つまりその努力や過程が正しくないからです。
もしくは、そういう時期ではなかったということです。
それに、結果が出るまでというのは自分が思うより
なかなか時間がかかるものだということではないかと思います。
結果が出無くても、そういう努力や苦労が必ず後々役立つことになります。

こうやって書きながら、
自分も結果を出すことに焦りがあるのでは?と思うことがあります。
自分の努力や苦労は、すごく長く感じるものだとも実感としてあります。
こうなると、やはり結果が出るまで見えない相手と我慢比べしている
といった感じになります。
結果が出るまでというのは、大変な重圧と不安がのしかかります。
兎に角、結果を出せるまで継続して踏ん張れるかどうかなんだと思います。

自分の感情を知る

自分は小さな人間だなーと感じるときがあります。

そう思うきっかけとなるのは、
何か一つのことにとらわれているときだなと気付きます。
普段は、何も気にすることは無いのだけれど、
何か一つ引っかかったり、気になりだすと、
とことん色々と考えて思いめぐらすことがあるということです。
そして、内にはあまり溜めない人間なので、
外に吐き出すことになります。
言っていて、ダメだなこんなことを言ってはと思うのですが、
色々なタイミングが重なりそういうことになったりするのが、
自分の弱点だなと感じます。
ただ、年齢とともに、やはり飲み込むことも多くなりました。

じゃ、自分で気付いているのだから直せば良いのにと思うのですが、
なかなかそう簡単ではないことに気付きます。
なぜなら、言いながらそれはダメだと分かっていて
その時そういう自分を止められないからです。

じゃ、どう考えるかということになります。
どう直すか?ということを考えるのが正しいのか、
それを受け入れて認めてやり過ごすのが正しいのか、
というのが、今のところ自分なりに出した対処法なのですが。。。

今のところ、受け入れて認めてやり過ごしたり、
受け入れて飲み込んでみるということをしています。
まあ、いつもそういうことがあるのではなく、
本当にある偶然が重なって1年に数回あるかどうか?だということと、
そこにとらわれて自分というものを見失っていないということが、
自己認識できているからだったりします。

自分の感情をコントロールするというのは、
何かを突き詰めれば必ずぶち当たる壁のような気もします。
そこでコントロールすることにとらわれ過ぎると、
必ずと言っていいほどうまくいかないことに気付きます。
客観的に自分のことが見えていても、
間違っていたとしても止められないことがあるからです。

感情とはエネルギーの源みたいなものなのですが、
実際そのエネルギーがうまく作用しないと、
痛い目に遭うことも多々あるのは皆さんも経験していることだと思います。

また、記憶だけでは意外と不確かな記憶でしか無かったりします。
何故か?
それは、おそらく後で自分の都合の良いように解釈し、すり替えてしまうからです。
そこで、日誌などといったツールを使い、その時の感情などを記録しようとします。
そうすると、自分の癖や意外な一面を知ることになります。
こうやって、ブログや手帳に何でも無いことを気の向くままに書いているのは、
実はこういうことを自己認識するためだったりするのです。

何を楽しいと感じるか

今年は、店も丸4年で5年目を迎える年になります。
会社員として働いた日々もあっという間でしたが、
退職後の5年ほどは更なるあっという間の日々でした。

こうやって生きてきた中で、
自分で自分の環境をガラッと変えてしまうことを
平気でやってしまう癖?があります。
もしかしたら、皆そうしているのかもしれませんが、
世間の人から見たら、え?そこでそう変える?
みたいなことをやってきているようにも感じます。

今年に入っての変更は、
そこまで大げさなものではないのですが、
生活環境やこれからのことを考えて変更を加えました。

単なる飽き症なのかなとも感じることがあります。
一つには、人より数倍努力して、それなりにそのやっていることの
本質みたいなものをつかみ、それなりの域に到達すると、
全然関係の無いことに挑戦したい気持ちが芽生えてきます。
人に認められたり、人と比較することに全く興味が無いので、
はて、どこで見切るのかはちょっと自分でも不明なところがあります。
知り合いなどからは、もったいないと良く言われますが、
本人がどうとも思っていないので、それはそれで良いのだと思います。

そうしているうちに気付くことのひとつに、
人というのは同じことを繰り返しやっていると、
無意識に出来てしまうことを結構持っていたりします。
普段の生活を見ても、手順が決まっているものは、
意識しなくとも無意識にやっていることが結構多いなと感じます。
10年以上同じ場所で暮らしていたりしていても、
数か月、別の場所で生活をして元の場所に戻ると
すごく違和感を感じることになります。
え?この蛇口こんなだっけ。。。いつもはどういう流れで生活していたっけ?
風呂ってこんなに深かったか?と一々気になることになります。

まあ、そういった経験をしているうちに、
自分で自分の環境を変えていくことに興味を持ったというのもあります。
さらに、結構なスピードで世の中が変化しているので、
強制的に自分の環境を変えることが必要だというのもあります。
人に雇われているときは、
そういうことが嫌いだという人も、
強制的に環境を変えさせられる経験をしています。
ただ、自ら180度方向転換をするというのは、
滅多に無いことなのかなと、人と話していると感じます。

そういえば、人ともあまり深く付き合わず、
新しい人と出会っていくことに関心があるように感じます。
そういう意味では、今の商売をやって正解なのかもしれません。

実はもう一つ感じることがあります。
それは、
うまく物事が出来ている状態というのは、
充実感を得て気持ち良いのかもしれませんが、
それよりも、出来ないことを出来るようになる過程が、
実は一番楽しいのではないのだろうか?ということです。
出来ていない時は、そういうお気楽な気持ちにはなれないのですが、
後から振り返ったりすると、
その過程が一番充実して一生懸命に生きて楽しんでいる感じがします。
きっと、死ぬまでその乗り越える楽しみを期待して生きていくんだろうと思います。

当事者としての覚悟

ある頃から、仕事をしていても、何をしていても、
色々と考えたり、他との関わりを考えたり、
新たに思いついたことを考慮したりすると、
全く逆のことを人に指示していたりすることがあります。
本当何時頃からそうなっていたのかは、
意識していないので分かりません。。。
おそらく聞いている側からすると、
なんだこの人。。。さっきと言っていることが違うじゃないか(怒)!!
となることでしょう。

皆若い頃は、
多くを指示されることで仕事なりをしてきたと思います。
上司や先輩が急に以前の指示とは全く違うことを言うと、
資料の作り直しなど大変な思いをしたことが多々あったと思います。
ただ、自分の頭で常に考えたり判断をするようになると、
昔の上司や先輩のように時間と共に判断が変わることがあったりします。

ある対談の記事を読んでいた時、
そのことに触れているものがありました。
そこでは、ある人が経営者Aになって、
以前の職場の経営者Bと話をしているというものでした。
その話の中で、経営者Bの下で経営者Aが働いていたとき、
経営者Bの方の指示がコロコロ変わることに違和感を抱いていたが、
自分が経営者Aになってみると、
そうなることの意味がよくわかるようになったというものです。
そして、なぜそうなるのか?ということを、
前職の経営者Bの方が、
そういうことを言われて腹を立てているうちは、
単なる作業者になっているだけだと一言で言い表していました。
なるほど、言葉にしてみるとそういうことなんだなと納得しました。

常に何かを自分で背負っていくということは、
自分で責任を持つという覚悟が必要です。
そういう覚悟を持つということは、
今やっていることが正しいのか間違っているのか、
必要なのか不必要なのか、
将来的にどうなのかなどと色々考えながら
常に変化して前に進んでいくことになります。
つまり、一歩進めばそこから自分は変わらないといけないということです。
そういうことを常に考えてやっていると、
以前に言ったりやっていたりすることは、
現在は変わり、違う対応をしなければならないことが多くなります。
正しいか正しくないかというのは、
正解というものが無い以上、
その人の判断や世間の評価によって変化するのだと思いますが、
その正解とされていたものも、時間とともに変わるものだったりします。

その対談を読んでいると、
過去を否定するということではなく、
変化をする、しているということに対して、
当事者であることの覚悟みたいなものを
問われているような気がしました。

全15ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
ある居酒屋店主のひとりごと
ある居酒屋店主のひとりごと
男性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

過去の記事一覧

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事