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文子(ふみこ)さんは、100歳。
介護保険の、要支援2と認定された文子さんを訪ね軽費老人ホームに訪問させていただいた。
1週間前に、文子さん自身からTELがあった。
ゆっくりだが、シッカリした声で「お風呂の他はどっこもいきませんから、お風呂のまん前の
部屋です。102号室です。」その時は100歳なんて思いもしなかった。
軽費老人ホームは、自立した生活の送れる比較的健康な高齢者が生活されている施設である。
TELの後、白板横のメモ(事前連絡があった場合貼られる)みてビツクリ!
「○○文子さん」ってさっきの?100歳って! ひやくさ〜い?!マジで〜?
もしかして、もしかして。。。。。100歳の人に会うって初めてでは。。。。なかったね。
そうでした、以前の職場「老健」にて100歳の男の方がいらした。が…車椅子だったし
自立した生活はされていなかった。
100歳って聞いただけで、訪問できることが光栄で幸せな気分になった。
部屋に尋ねると、ご自分で引き戸を私のために引いてくださった。
腰はたしかに曲がってられたが、シッカリした足取り。。。そして、私は固まった。。。。
目が、目が、ぎんいろだった。やさしい光の暗いぎんいろの目を文子さんはしていた。
〜GLAY EYES〜
私には文子さんが、「仏様」にしか見えなかった。
文子さんは、畳に正座して私を歓迎してくださった。
「どうぞ、楽に椅子にかけて下さい」と促す私に「どこでも座れますから…」向かい合って下さった。
私が説明して話をするはずだった。。。。なのに、「文子さん」の話はありがたくて楽しくて。
時間を忘れて聴き入った。ズーーッと「文子さん」の話聞いていたかった。
文子さんは13歳の時、お母さんを亡くした。家業は魚屋と仕出屋だったから家のことをする為に
学校をやめた。学校を辞めることは本当に悲しかったと文子さんは話してくれた。
その後、兄が結婚し少し楽になるかと思ったら年子で子どもが生まれた。
そのために、仕出屋はほとんど文子さんが切り盛りしてきた。
数年後、文子さんは2人の子どものある人のところに後妻に入った。
そこは、陶器工場を経営していた。地方から働きに来ている男子寮があって寮の食事・管理と
先妻の子どもを育てながら…そこでもやっぱり、切り盛りしてきた。
…つづく
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