台湾から日本を考える

ここ3週間は毎日雨。もう〜。。

台北の建築

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台北迎賓館 2

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背面右側のアーチ型の突出がある部分がメインダイニングです。
この突出部はステージになっています。歌を披露したのでしょうか。
右側には日本家屋があります。
洋館では落ち着かず、夜はこちらで暮らしたそうです。
明治の日本人らしいですね。

裏には広大な日本庭園があります。
古い写真を見ると、レンガの建物が立ち並ぶ「古き良き時代」にタイムスリップします。
マンガの「ハイカラさんが通る」を思い出しませんか。
なんとなく、この時代のほうがのんびりして幸せだった気がします。

背面左側には、大きな木に囲まれた素敵な素敵なバルコニーがあります。
2階のバルコニーから昭和天皇が民衆に手を振ったそうです。
(尚、この訪台時に金鉱山視察の計画があり、金爪石の迎賓館が建てられています)

周囲気のあるライトが周囲を照らしていたのでしょう。

台湾にいらっしゃる際には、ぜひ参観されることをお薦めします。
台北の喧騒を忘れる、落ち着いた空間でした。

台北迎賓館 1

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このブログも、今年はあと2回書けるのみです。

日曜に迎賓館を参観できました。これで締めたいと思います。
何年間もかけて修復し、今年の6月から2ヶ月に一回公開となりました。

旧、台湾総督官邸。
1901年建築。当時の総督は有名な児玉源太郎です。

ネオルネサンス様式の瀟洒な建物です。
内部は撮影禁止ですが、壁と天井は白を基調に金の縁取り。
(玄関からの写真で少し写ってます)
しかし、壁の下半分は木(チーク?こげ茶色)が使ってあり、日本的な落ち着きがあります。
昭和天皇が食事をしたというダイニングも見ることができます。

日本時代の建物を大切に使ってくれたり、修復公開したり、建築好きの私としては台湾政府に感謝です。

  おそらく1階は全部公的空間で応接、メインダイニング等。2階はプライベート空間。
  右側面は勝手口と厨房部分(ダイニングに近接)
  左側面3階はサンルーム、下は居間か書斎と思われます

京華商場の謎

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台湾はけったいな建築の宝庫でもあります。

「台湾人に美的センスがない(異なる??)のは事実」と言ってもまず怒られないでしょう。
根本理由の追求は、尽きない話題です。
(表面的な理由は分かるんですが)

けったいな建築の代表はこれでしょう。
4年ほど前に出来たデパートです。

何をイメージしているのか。
建築として優れているのか、理解不能です。

正面からは宇宙をイメージ?、後ろからは中国の城壁?
しかし、住宅地に不釣合いな城壁を作ってもしかたがないと思いますが。

謎を呼ぶ物体です。
謎を呼ぶことが目的だったのでしょうか。
(だったとは思いますが、それだけで選ぶのか?)

いつもここで「台湾だからね」で議論終了です。

衡陽路の建築物

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台北には戦前の商業用建築もたくさん残ってます。
できた年も建築家もわかっていない建物がほとんどです。
しかし、ユニークでロマンを感じる建物が結構あります。

その中で衡陽路を紹介します。
ここは、旧台北城の中。
日本時代は栄町と呼ばれ、中央官庁、銀行の近くに位置します。
高級官僚や軍人が、買い物をしたり食事をしたところです。

古びていますが、ユニークで、現役の面白い建物が生きています。

最初は、入り口にある酸梅湯屋さん。
時期、建築家は不明ですが、ユーモラスな建物です。
今も、伝統の看板を掲げて商売中です。

次は、ロマネスク調のお茶屋さん。
かなり優雅な建物で、お金がかかってそうです。
これも、時期、建築家は不明。
日本には、これに匹敵するものはなかなかないのでは。

3番目は金石堂書店。
とりたてて。。という感じですが、チェーンの大きな本屋さんの発祥地です。

4番目は、立替時に正面を残した例。
かなり大規模な建築があった様子。
何があったのか興味があります。

最後は、合作銀行城内支店。
この建物は1927年建築。
台北信用組合本店。内地人経営の日本人のための中小企業の資金調達機関でした。

それぞれ、様式が違っていることに、当時の台湾の自主性を感じます。
経営者たちも、中国、日本、西欧をにらみつつ、活気に満ちていた。そんな名残なのでしょうか。
こんなことを考えさせてくれる建築郡です。

台湾大学病院本館

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台北には日本時代に建てられた立派な建築が現存している。
特にレンガ造りの建物は圧巻で、日本では見られない程度のいいものが10ほどある。
しかも、ほとんどは現役である。

建築好きな私は、台北に来て、最初に見てまわった。
しかし、その後、見慣れてサボっていた。
今日、改めてこれらの一つも間近に見て、建築の持つ精神に触れた気がした。
今後、もっと真面目に接しないいけない。

台湾大学病院本館。
1916年(大正5年)台湾総督府付属病院として竣工。
設計は近藤十郎。

当時アジア最大の病院であった。
アジア進出を志した日本は、アジア人をこの壮麗な病院で感化する。
また、万が一の戦傷者をここで治療する意図があったといわれる。

この精神が、建築にも宿っているといえる。
まことにりりしく、引き締まっているし、華麗でもある。

また、この精神が、この素晴らしい建築を未だに現役たらしめている。

今の日本人が、これほどりりしく、壮麗な建築を残せるであろうか。
しかも異国に。(日本であったとはいえ、1916年は占領20年目)
気宇と精神性において、今を生きる私たちは、先人に学ぶものが多いと思う。

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