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ここ3週間は毎日雨。もう〜。。

母のこと

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体が自由に動かなくなると、心も老いた。
欲が無くなり、自分から何かしたいとは思わない様子である。

話しかけた時の反応は正常である。
昔のことは覚えていて、子供の頃の話や、新婚時代の話もする。
しかし「こんなことがあったねぇ」と言う感じで、それ以上の発展は無い。

体が動かなくなり、知能が弱っていく。
生きるための両輪の動きが、少しずつ遅くなっているようで心配でならない。

しかし、別のことも考える。 母の穏やかな笑顔を見て思うことである。
もし、欲があり、体の状態を捉える知覚があったら、焦りと怒りばかりが湧いて来るのではないか。
衰えが自覚できなくなるから、心の平静を保てるのではないか。

ある意味、これは幸せなことではないか。
バランスを崩してまで逆らうことは、結果として不幸ではないのか。

母の生きる力は、これからは欲ではないと思う。
人のことを考えたり世話を焼いたりする性分、能力は残っている。
それで幸せを感じるなら、この能力を使わせてあげたい。
精神と体を前向きに使うことで、状態を維持をして欲しいと思う。

母の姿を見て、いろいろ考えさせられた。
欲とは何か、善と悪とは何か、悟りとは何か。
あらためて、生きる事の意味を考えてみたいと思った。


 
  

母の背中 5 水墨画

イメージ 1

母と父は年を取ってから水墨画を始めた。

若い頃は短歌を詠んでいたが、その後趣味はなかった。
母は旅行に行きたがっていたが、父の体力がそれを許さなかった。

水墨画を始めてから、活動的になった。
教室に通い、教室が終わると仲間と話をした。
画題を求めて、旅行に行き、興味をもって景色や街を眺めた。
晩年の楽しみになった。

父が亡くなった後も、仲間と旅行に行き、母を支えた。
結局、その旅行で圧迫骨折をしたが、母も私も行ったことへの悔いはない。

引越しで絵を整理し、何枚か母の新しい部屋に飾ることにした。
自分達の絵を見て、「お父さんもお母さんも良く頑張ったね」と懐かしそうに見ていた。
少し前までは「また書きたい」と言っていたが、もうそんなことを考える気力はなさそうであった。

父母の晩年の楽しみと生きがいとなってくれた。
そしてもし、母が亡くなったら、これらの絵は良い思い出になるであろう。

旅と創作と仲間と絵心。
良い趣味を持つことの貴重さを教えてくれた。

母の背中 4 家計簿

母は家計簿を毎日つけていました。

買い物から帰るとレシートに品物を書きます。
そして夜、夕食を片つけたあと、家計簿を記入します。

家計簿には、その日にあったことを詳細に記録していました。
誰と会ったとか、ツバメが飛んできたとか、庭に可愛い鳥が来たとか。
細かい字で、びっしり書き込んでいました。

圧迫骨折後は家計簿も書けなくなりました。
しかし、書きたいという意思は強く持ち続けました。

2004年は家計簿をほとんど書けませんでした。
それでも翌年には、「買ってきて」と希望しました。

今回、部屋を片つけて驚いたことがあります。
誰に頼んだのか、2006年、2007年の家計簿が買ってあったこと。
それから、レシートを区分けして、クリップで保存してあったことです。
実際は書けないのに、気持ちは強いのです。

家計簿は家計の管理には役立ったでしょう。
でも、どうしてあんなにしっかり出来事を記録したのか。

病気がちだった父と長年連れ添った母。
何か役に立つことを記録しようとしたのか。
難しく考えず、毎日綴り続ける強さが、父と付き合い続ける力だったのか。

私には分からないのです。
今度聞いてみようと思っているのですが。。
意外とあっさりした答が返ってくるような気がします。

それが母の、女性の強さのように思えます。

母の背中 3

ホームに入り、医療を受けつつ徐々に回復しました。
しかし、外に出なくなり、物事への関心が薄れていきました。

「外を散歩してね」と言っても、自分からは行きません。
あんなに足が強かった母がです。
昼間も寝ている時間が多くなり、TVも知覚している感じはありません。
一番弱くなったのは、物事を総合的に考える力でした。

こんな事がありました。
骨に良いと思ったのか牛乳を配達でとりだしました。
1週間に2本来て、時々飲みますがどんどん溜まってしまいました。
それを、捨てもせず、配達の量を減らしもしないのです。
指摘すると「飲むから」と言うだけで、状況は変わらないのです。

毎日にきちんと家計簿をつけていた母。
その母のこの有様には、大変悲しい思いがしました。

そして昨年の12月、ベランダでまた転んだのです。
動けない母を見て、ホームの方が完全ケアの病室へ移しました。(母は「大丈夫だから」と言い張ったそうですが}

1月に会った時には、目の力もなく、表情も乏しく、本当に心配でした。
このまま消え入ってしまうのではないかと。

その後、24時間介護で、体も表情もずいぶん良くなりました。
今は少し自分で歩けるようにもなりました。

相変わらず、良く眠ります。
食事は他の人よりゆっくり、でも全部食べるそうです。
マイペースな生活を送る毎日です。

よく声をかけていただいていること、人の中で暮らすこと。
この刺激が母を立ち直らせているように感じます。

 この後も何回か、母がどんな人であったか、今の母を見て感じることを
 綴ります。

母の背中 2

母の怪我は脊髄の圧迫骨折でした。
尻餅をついた時に、脊髄の一部が砕けたのです。
急に体力が落ちたり、内臓を悪くしたりもする、深刻な怪我です。

初めて入院をし、コルセットをつけて治療をしました。
背中が丸くなり、体力も落ちましたが、3ヶ月ほどで元気になりました。
重い物は危険なので、買い物カートを引いて、それでも元気に暮らしていました。

少したって私に海外転勤の話があり、有料ホームへの入居を決めました。
懐かしい実家は、売ることにしました。

母が2回目の圧迫骨折をしたのはその時です。
買い手が家を見に来ることになりました。
母の性格を知っている私は「充分にきれいなので、絶対に物を片つけようとしてはいけない」と強く言いました。
しかし、灯油のポリタンクを片つけようとして、また脊髄がつぶれたのです。

今回の骨折は深刻でした。
母が衰えたのが分かりました。
起き上がるのに30分もかかるのです。

便意を覚えても、起き上がれない為、汚してしまったこともありました。
そんな時も、母は自分で洗濯をし、シーツを拭こうとしました。

体が不自由になってしまったことを嘆いたり、不満を言ったりは、一切しませんでした。

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