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名将ザックにW杯もお願い! 契約延長“確約”しないと… (夕刊フジ) [ 2011年1月31日17時00分 ] http://news.www.infoseek.co.jp/sports/football/story/31fujizak20110131001/ サッカーのアジア杯で2大会ぶり単独最多4度目の頂点に立ち、王座を奪還したザックジャパン。日本は各大陸王者などで争うW杯プレ大会、2013年のコンフェデレーションズ杯(ブラジル)の出場権も獲得した。しかし、日本サッカー協会とザッケローニ監督(57)との契約は12年までの2年間。日本中を歓喜させ、短期間にサッカー人気を復活させたイタリア人指揮官の手腕が日本だけでなく世界で高く評価される中、日本協会は1日も早く14年W杯ブラジル大会までの契約を確約しないと大変なことになる。 アジア杯前回優勝から6年半。「若いから勝てないというわけではない」。若い世代の団結力がもたらした勝利を強調したザッケローニ監督。今大会の最大の目標として「成長」を掲げ、「結果」も出した。招集メンバーがそろったのは大会開幕3日前という急造チームをアジアの頂点に導いたのは、間違いなくザッケローニ監督の手腕によるところが大きい。 2006年W杯ドイツ大会ではチームワークの乱れが1次リーグ敗退の要因となったといわれるが、選手同士の確執や歴代日本代表が経験してきた監督vs主力選手の対立がこのチームにはなかった。大会MVPの本田圭は「選手に自信を与えてくれる。1つ1つの言葉が熱く、新鮮で興味深い」と敬意を示す。 実は本田圭は左足首捻挫で欠場した第3戦のサウジアラビア戦の試合中、「オレを出してください」とザッケローニ監督に直訴し続けていたという。しかし、「かなり強硬にザッケローニに訴えたそうですが、首をタテに振らなかった」と協会幹部は証言する。 これまでの日本代表なら内紛必至。しかし、その後のザッケローニ監督の本田圭に対するフォローが絶妙だった。「監督が直接、選手に1対1で話しかける、今までの日本代表にはない光景だった」(同)という。 「選手との関係はクリアであるべき。選手を知ることで役割を与えることができる。性格をわかっていないとダメ」というザッケローニ監督の「目配り」と「気配り」が、短期間で代表チームをひとつにしたのだ。 (以下、略) 民放ニタッ…若返った日本代表“優良コンテンツ”に格上げ (夕刊フジ) [ 2011年1月31日17時00分 ] http://news.www.infoseek.co.jp/topics/sports/n_soccer_nippon2__20110201_41/story/31fujizak20110131023/ 今大会の招集メンバーの平均年齢は24・7歳。30代が7人もいた昨年のW杯時より約3歳若返った。ザッケローニ監督はアジア杯予備登録50人の選手の中から、「まずは若手」という条件で選択し、30代は遠藤(G大阪)ただ一人となった。 オーストラリアとの決勝戦で決勝ゴールを決めた25歳の李忠成(広島)も、スタッフの中では「平山(東京)やG大阪のFW平井という声もあった」が、ザッケローニ監督は李に固執したという。また22歳の大型DF吉田(VVVフェンロ)の招集にもこだわった。 選手の招集、起用が采配がピタリと当たったザッケローニ監督。すべて裏付けに基づいたものだった。監督はじめチームスタッフは週1回のミーティングを行うが、ある協会幹部は、その内容についてこう明かす。「とにかく長い。午前10時頃から始めて夜になることもある。選手一人一人の特徴をスタッフ全員から意見を求め、故障の部位や性格までじっくり見極めて選んでいる。これが采配が当たるひとつの要因だと思う」。 (以下、略) ザッケローニ監督の評価を一変させた選手操縦法 (ゲンダイネット) (日刊ゲンダイ2011年1月27日掲載) [ 2011年1月28日17時00分 ] http://news.www.infoseek.co.jp/topics/sports/backnumber/n_alberto_zaccheroni__20110129_16/story/28gendainet000136100/ (中略) それにしても、日本の快進撃は「予想外の出来事」といっていい。というのも、ロクな準備も出来ないまま、大会に臨むことになったからだ。 「昨年末は天皇杯が佳境に入り、大阪直前合宿の初日、12月28日に集まったメンバーは登録23人中たったの10人だった。しかも悪天候で練習中止。2日目も途中で打ち切り。選手のコンディションもバラバラで体調不良を訴えたMF松井、ケガのDF槙野と主力組が戦線離脱。主要大会前の準備が、これほどボロボロだったことはない」(サッカー記者) それがフタを開けてみると尻上がりに調子を上げている。ザッケローニは南アW杯でサポートメンバーに甘んじたMF香川(21)や出場機会のなかった内田(22)、代表歴4試合に過ぎないDF吉田(22)ら若手を主軸組に抜擢したが、これがドンピシャにはまった。 「ザッケローニの志向する“前に、前に”の攻撃サッカーが、現代表メンバーと絶妙にマッチしている」とドイツサッカー協会公認S級コーチ・鈴木良平氏がこう続ける。 「前任の岡田監督は専守防衛主義でボールを保持しても横パス、バックパスばかり。そんな消極的なサッカーから一転、ザッケローニは攻撃サッカーを目指し、チームに活力を与えてくれた」 ●能力、適性を見抜くだけではなく 選手の適性を見抜く眼力、選手をヤル気にさせる手腕――。こういった部分で前任の岡田監督、ドイツW杯のジーコ監督を「完全に凌駕(りょうが)している」(マスコミ関係者)というのがサッカー関係者に共通する見立て。 「カタール戦に代表初先発したDF伊野波は、もともとCBとストッパーが本職だが、カタール入り後にザッケローニから『SBとしても使う』と言われ、実際にカタール戦では右SBとしてプレー。試合終了間際には決勝ゴールを決めた。そういえば、カタールでチンタラ練習していたMF柏木を呼んで注意したことがあったが、一方的に叱責するだけではなく、気持ちを入れ替えて練習に励んだ柏木をサウジ戦のトップ下に起用。ちゃんとフォローしている。“頑張れば試合に出られる”と前向きなムードを植え付けたことも、決勝進出の原動力のひとつとなった」(前出の関係者) 選手に経験を積ませるために積極的に試合に出していく。ヨルダン戦でFW李やMF藤本を交代出場させ、シリア戦にMF細貝、サウジ戦にMF本田拓、カタール戦にDF永田を送り出した。出番のないのは「追加招集されたDF森脇と第3GK権田の2人」だけ。 これまでの代表指揮官には見られなかった「ザック流」なのである。 この日になって25日の韓国戦で右足を負傷したMF香川が診断の結果、小指骨折が判明。29日の決勝は欠場が決まった。27日、ドイツに向かう。調子が上がってきただけに痛いが、代役候補は藤本、柏木の両MFだ。選手起用に冴えを見せる日本初のイタリア人監督ザッケローニが、どんな手を打つか見ものだ。 ザッケローニ監督、意外な素顔 派手を嫌い武士道に傾倒 (夕刊フジ) [ 2011年1月26日17時00分 ] http://news.www.infoseek.co.jp/topics/sports/backnumber/n_alberto_zaccheroni__20110126_15/story/26fujizak20110126002/ 第25代サッカー日本代表監督、ザッケローニ氏。日本代表にとって初のイタリア人指揮官だ。日本協会・小倉純二会長(72)によれば「すべてにおいてマジメな男です。それにオシムさんと同じくらい実に興味深いサッカー論をもっている」と話す。また協会関係者、スタッフは「ともかく陽気で明るいというイタリア人のイメージでは全くありません」と口をそろえる。 ともかく派手なことは嫌う。象徴的な“事件”があった。昨年の11月、日本で人気沸騰のEXILE(エグザイル)が、サッカー日本代表のユニホームスポンサーでもあるアディダスジャパンとアスリート契約をした記者会見があった。当初は同じく同社とパーソナル契約をしたザッケローニ監督と合同記者会見を開く計画もあったのだが「そういうことなら遠慮したい」とザッケローニ監督が固辞。エグザイルの単独会見となった。 また多くのイタリア企業からザッケローニ監督へのさまざまなオファーがあったのだが「十分すぎるほどのことを日本協会にしてもらっている。すべてお断りしてほしい」とCMなどのオファーも一切拒否している。 生まれはイタリア・ロマーニャ州。住まいは東中部の人口2万5000人の小さなリゾート地であるチェゼナティコにある。フルヴィア夫人と息子ルカ氏の3人家族で「奥さんは日本への単身赴任に大賛成したんだ。だってあなたがいなくなれば部屋が広くなるからと笑っていた」とザッケローニ監督。息子のルカ氏はこの地で「MARE」というレストランを経営している。 ザッケローニ監督はプロサッカー選手を目指していたが、17歳で肺炎にかかり断念。体調は回復したものの、サッカーから離れ、保険の外交員や徴兵制で空軍にも1年ほど入隊していた。 監督業の幅を広げるために車でスペインのバルセロナに赴き、当時指揮をしていたクライフ氏に「攻撃の方法を教わった」という武勇伝も。多くのイタリア人指揮官が、同国伝統の超守備的戦術「カテナチオ」を敷くが、ザッケローニ監督は攻撃重視の3−4−3のシステムを用いるのが特徴だ。 日本サッカー協会とは相思相愛の間柄ではなかった。ポスト岡田の候補の3番手だった。原博実技術委員長が第1、第2候補にフラれたことでザッケローニ監督に直接電話でオファー。そこで本人は「すぐにOKを出した」という。 今、一番興味があるのは日本人と日本文化。「これほどまでよく働くとは思わなかった。選手も全員チームのために動く。イタリアでは考えられないからね」と話す。 またイタリア時代には画家のゴッホに傾倒。日本で行われていた展覧会にも出かけたが今はゴッホよりも「武士道を勉強したい」という。一番の好物はすしだ。「刺し身も大丈夫。和食の方が、断然に私の口にあう。刺し身はイタリアでも食べていた」と笑う。 また昨年末の協会幹部との忘年会では「掘りごたつに入ってみたい。それがある店を探してほしい」と協会スタッフにリクエストして驚かせていた。(夕刊フジ編集委員・久保武司) ■アルベルト・ザッケローニ 1953年4月1日、イタリア生まれ、57歳。地元メルドラで、サイドバックの選手としてプレーしたが、肺炎のため、17歳で引退。家業のペンションで働き、保険代理店を経営しながら、サッカーのコーチとして腕を磨く。30歳で下部リーグのチェゼナティコの監督に就任。その後は、ウディネーゼをはじめ、ACミラン、インテル、ユヴェントスなどセリエAの強豪クラブを指揮する。ACミランでは1998−99年シーズンにリーグ優勝し、年間最優秀監督に輝く。家族は夫人と1男。
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ザッケローニ監督関連の引用記事ですが、本人と関係の無いゴシップ部分は省略しました。イタリアではウディネーゼの監督としてチームを躍進させたのが一番記憶に残っています。
知っている人は知っているといった話で恐縮ですが、当時のドイツ代表でヘディングが異様に強いビアホフ(ハイボールを入れさえすればゴールといったイメージ)、若かりし頃にヴェルディ川崎に在籍していたアモローゾらが活躍して、リーグ3位になって、UEFA出場権を獲得しました。その後、ビッククラブの監督として渡り歩きました。
2000年頃からは当時就職したというのもあって、サッカーを見なくなったので、フォローしていませんでしたが、監督業を続けていたんですね。(当たり前か!?)
何だか嬉しくなる話題ですね!
2011/2/1(火) 午後 0:16 [ hajmo_rakija ]