基地の街の365日

日々の暮らしを綴っています。

簑島

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故郷を訪ねて2

10月20日(月)10時 快晴

■箕島橋商店街は健在だ
魚、野菜、惣菜・・・庶民の台所として昔から名高い。
中洲の店も買出しに来るようだ。
小学校の帰り、川沿いを歩いてから商店街に入る。
舗装はしてなかったな・・・
雰囲気は変わっていないね・・・うれしいね。
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■惣菜屋さん
樽仕込の惣菜、漬物、いかにもおいしそうだ、
店先の、がめにつまんでみたい。
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■唐揚げ屋さん
学校帰りに5円でつまみ食いしてたな・・・
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■昔と変わらないかどや食堂
 
商店街と箕島往還との交差点、
角にあるのがかどや食堂。
 
ここのうどんが懐かしい、
それ以上に、あずきとみるくのアイスキャンデーを
店の入り口横の窓辺で作っている。
格子状の枠にキャンデーが・・・1本五円だったな。
凄くうまかった。
 
現在も作っているらしい。
一番人気のお店です。
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斜め向かいに散髪屋があって、
テレビがあった。
窓から、力道山とブラッシーの試合をみてたっけ・・・
一般家庭にはテレビがなかった昭和の時代です。

故郷を訪ねて1

10月20日(月)10時 快晴

ホテルを出て、
少年時代を過ごした町を歩いてみた。
故郷を離れて、
じっくりと歩いたことがなかった。

小学校から高校まで過ごした町、
その思いでは尽きることはない。

■住んでた長屋は道路下
 
新幹線開通とともに、博多の街が大きく変わった。
駅が南に700m移動したお陰で、
住んでた人間まで移動することになった。


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■長屋の裏にはいる路地
 学校から帰ると、この路地から長屋へ
 住吉神社の子供みこしも練り歩いた路地だった。
 紙芝居のおじさんも自転車で・・・
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■長屋の表通り
 橋げたから、空き地まで5件長屋が続いていた。
 こちら側が玄関だったけど・・・
 この通りで、餅つきもしたんだっけ、
 おきゅうと売りも来てたよな。
 涙が出てくるような風景だ。
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■往還そばの博多織の工場も消えていた。
 工場は閉鎖して、マンションと、スーパーに
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10月19日(日)12時 快晴

小学校と中学校の学年同窓会にはじめて参加した。
中学卒業以来48年ぶりの再会です。

育った長屋が、20歳ころに新幹線開通とともに、
再開発の餌食になって、他の街に強制転居になり、
その後、小中の仲間達、故郷の街とは疎遠になってしまった。

■同窓生も恩師も見分けがつかなくなっている、
 年齢は隠せない。
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■小学校4年時代
 このなかに出席者がいる、
 アルバム持参が功を奏し、盛り上がる。
 セピア色の思い出、面影が沢山詰まっている。
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■小学校の修学旅行のアルバムを眺めながら
 みんなが貧しかった戦後の子供時代を、
 アルバムを眺めて感慨にふける、
 53年前の子供たちの表情には貧しさのかけらもない。
 やんちゃな少年時代、元気いっぱいです。
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■二次会でも会話がつきない。
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 このような会合に出席できることに、感謝しなければいけないな、
 元気である証拠です。
 また、来年の再会を約束して別れました。

 

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