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2,011年7月18日(月) 11時30分から14時30分 曇り
16日の続きで、西蓮寺前を通過し、左石宿のバス停までバスに乗り、
左石宿から続きを始めました。
左石バス停留所近辺は、県境界の山を越えて、伊万里に向かう道路と、
西に緩やかにカーブしながら、相浦地区に向かう道路の交差点にあって、
市街地から北になる副都心的な役割の地域です。
右の写真は、国道の裏筋に当る街道です。
街道の面影を残すものは少ないが、左石宿の標識の裏手の民家が、明治初期の面影を残しています。
左石宿は江戸時代の宿場町ではなく、明治以降の街道の休みどころだったらしい。
裏筋の街道は、相浦川の川筋に沿って、西に向かいます。
川筋を5分ほど歩けば、「旧瀬戸越免字下大谷」の標識に出会います。左側は、弓張岳山塊が相浦川に落ち込んでいて、急峻な藪です。
更に、2分も歩くと、街道と分かれていた平戸に向かう国道に合流します。
国道沿いに5分ほど歩けば、また、弓張り山系の山肌を縫うように街道を歩く事になります。
丁度、お茶屋の広告看板の手前から山筋に入ります。
「旧吉岡免字柿原」です。
国道を離れて20mもすると街道への狭い入り口があり、街道らしい雰囲気気が漂ってるところです。
相浦川の反対側は、国見岳から延びる尾根の斜面に広がる棚田です。
街道らしい雰囲気は直ぐになくなり、住宅団地の中を歩く事になります。
国道沿いから離れて5分ほど歩くと標識が見つかります。「旧朝ノ気免字徳万田」です。
更に住宅団地を5分程行くと、歯の病院前の団地道路と合流します。
病院前の団地道路を歩き続けます。
病院の傍に、大きな香川の釜揚げうどん屋さんがありました、食べたくなりましたが、行列が出来ていたので、止めて団地の中を歩き続けます。
住宅団地の中を更に5分程度、「旧朝ノ気免上ノ原」の標識があります、
団地道路の前方,
車の先に階段があって、袋小路のようになっています。
この階段を昇り、右に歩いていきます。
階段を昇ったところで、皆瀬の住宅が対岸に見えたので、気分転換に相浦川対岸を写しました。
階段を登り右に, 緩やかなスロープ状の道を30m行くと国道から上がってくる道と合流します、
合流したところで、左に団地の中を歩き続けます。緩やかな登りになっています、
標識は「旧吉岡免字一息坂」です。
登り切った所で、前方が開け、相浦の円錐形の愛宕山がみえはじめました。ここで団地は途切れて、
水田もある視界が開けた土地になります。傍に「旧吉岡免字上ノ原」の標識です。
階段を昇ったところから10分ほどです。
前方が開け、水田の向こうは、対岸の丘陵です。
さらに、のどかな丘陵を5分ほどで、「吉岡免夜打川」の標識、「吉岡一里塚跡」の石碑と続きます。
後ろを振り返ると、右の住宅の前に標識があります。
一里塚は本物で無いのが寂しいですね、歴史遺産の大切さが、後になってわかります。
上ノ原から5分で一里塚、左手は弓張岳山塊の急峻なスロープ、
小規模な棚田もありました。
沿道には地元の人々が維持管理をきちんとされているのでしょう、「犬堂観音」なる祠があり、人助けをしたと伝えられる犬を祀っています、
左斜面上部に商業高校の施設が見え、更に、夜打川の標識と校舎間の斜面でトレーニングする生徒たちです。
11時30分から歩き始めて、1時間半、13時を過ぎました、国道に出会うところで、
今日は終わりにし、近くのコンビニでおにぎりとカンビールを購入、
清流を眺めながら昼食としました、昼食後、直ぐにやってきたバスに乗り、15時に帰宅です。 |
旧平戸街道
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2011年7月16日(土) 11時から14時 曇り
6月14日の「平戸街道:八反間寺の下から北へ 」の続きです。
市庁舎付近から松浦鉄道の山の田駅付近まで前回歩いています、
山の田駅手前の踏切を渡り、国道に出会ってから、今回始まります。
国道を渡って直ぐ、裏筋に続く三差路に、標識があります。
交差点です。車の先に踏切があります。
旧横尾免字宮田の標識です。
国道の裏筋は弓張岳の斜面の傾斜地が迫り、
国道から100m程の松浦鉄道沿いは、烏帽子岳山麓にあたり、
水源地の森が鉄道の傍まで迫っています。
■裏筋の傾斜地 ■水源地の森
■春日神社
■旧瀬戸越免字下大谷の標識
国道に出ると、ひたすら国道の左側歩道を歩きます、
右に西海学園高校をみて、最高地点の峠まで緩やかな登りを歩きます。
峠に着きました、境木です。消防署の傍に標識があり、傍に、明治初期に海軍が作った水圧調整の建築物が、
残されています。
春日神社の標識には、西蓮寺入り口まで国道沿いを歩けになっていました、
峠から緩やかに下って、入り口まで歩きます。
神社から歩いても30分程度でしょうか、国道に沿って、寺の山門下に出ます、急な階段が境内まで延びています。
山門下から50mも行けば、左石宿に行く道路があって、その曲がり角に、
標識がありました。標識の上は、境内と眼鏡岩に上る参道です。
標識拡大できます。
眼鏡岩と寺には、行ったことがなかったので、この参道を上りながら、
眼鏡岩の丘まで登りました。国道の傍とは思えないほど、竹林、紫陽花、桜、もみじが沢山あって、
近場の撮影ポイントを発見したという感じです。
今年の12月には、紅葉を、春には桜を、そして6月には紫陽花を観にやってきます。
案内説明拡大できます。
弓張岳の山稜が眼鏡岩あたりから、急激に高度を下げ、相浦と呼ばれる地区に山裾が落ちていきます。
数万年前、丘の上にあるこの岩は、海にあって、海の侵食により、二つの空洞が形成されたようです。
左目、右目です。銀杏もあって、秋にもう一度訪れたいものです。
眼鏡岩の周辺を歩いて、本堂から山門を下りました。
標識のところから、国道を離れ、少し静かな歩きになります。
100mも行くと、駕籠かきの標識があり、さらに、100mもいくと、
相浦川にでて、街道道路標識がありました。
この2箇所の標識、左石宿の文字が真ん中に表示があり、
矢印の先の地名も左石宿になっていて、
混乱しますが、駕籠かき標識あたりが左石宿だったのだろうと、
勝手な解釈をして、今日の街道歩きを終りました。
駕籠かき標識拡大できます。
今回は国道沿いの単調な歩きで、街道歩きとしては面白みがなかったが、
新しい撮影ポイントを発見できてよかった、
次回は、相浦川沿いの歩きから始まるので、清流を眺めながらの街道歩きが期待できそうです。
暑い日中、家の中でごろごろしてるよりも、汗を滴らせながらも、街道歩きをしてたほうが、
後の爽快感が違います。まあ、アルコールが若干ふえる嫌いはありますけど・・・、
眼鏡岩の丘から見た大野方面、国見岳からの斜面に住宅が広がっています。
来週、一度は歩いてみます。
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2011年6月14日(火) 曇り 10時30分から14時
市庁舎から平戸街道を北へ、
一度この区間は歩いたが、写真で記録をしていなかった、
もう一度あるいた、ついでに、この区間の終点から、ホタルが舞う川筋が続くので、
事前調査の意味で、街道を離れて更に川筋を上流に辿った。
■市庁舎対面の水道局裏手から街道の南北がはじまる、
北へ歩き始め、直ぐに八幡神社の鳥居が現れます。
■鳥居を過ぎて、水道局から1ブロックで、ほぼ平行して走る国道に出るよう指示のある案内があります。
旧地名は「折橋免松ノ間」です。
■国道に出て、また直ぐに案内があります。旧地名は「折橋免鼻グリノ」です。
北方向の前方にガソリンスタンドがあり三差路になっていて、国道の裏手の道に入ります。
歩道橋を渡れと指示がありますが、歩道橋は消えていて、交番の前の道をいくことになっていますが、
交番はトイレに化けています。
■直ぐまた国道と合流します。案内板は信号機の傍の植木に隠れるようにあります、
旧地名は「折橋免川原田」です
国道の右に渡り、北へ向かいます。
■教会の前を過ぎれば、直ぐに三差路、国道を離れ、前方のバイク屋さんの角の路地を右に入ります。
■前方に松浦鉄道のガードが見えます。ガードをくぐります。丁度、平戸方面に向かう1両がやってきました。
(松浦鉄道拡大できます)
■ガードをくぐり、松浦鉄道に沿うように北へ、500mほど行くと、
俵町1里塚の案内があります。案内の傍に、下の松浦鉄道の線路に下る細い道がありました、
そこで、12時台の上下線の松浦鉄道の車両を撮影しました。撮り鉄の記事は、別途です。
街道に戻り、500mほど行くと、踏切を渡り国道に出る場所にやってきます、
松浦鉄道の「山の田駅」の手前の踏切です。
■踏み切りを渡り、佐世保川の上流を渡ると直ぐに国道、
国道を渡り、国道を離れる路地に街道は続きます。今日はここまで・・・
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2011年6月8日(水) 13時30分 曇り
峰の坂の急坂を上り詰め、
湾を望める烏帽子岳の山腹にそって、
街道は続きます。
住宅が密集する狭い生活道路を、
緩やかに上り下りしながら、
時折見せる海の眺めと、
紫陽花を楽しみながら、
長崎平戸ルートの国道に出会う藤原までの
歩きです。
■城壁のような石垣が続く、峰の坂、
高度を100mほど上げて、石段がつづきます。
意外と上りは短く、緩やかになったころ、右側の民家の入り口に、「峰の坂」の石碑が立っていました、
まだ新しいものです。
坂の上りが緩やかになると、眺望が開け、湾が望めます。
市街地のあたりは、昔は海で、
葦原の湿地帯と聞きます。
山が海と接するあたりは、湿地帯で、葦原の向こうに美しい海が見えたことでしょう。
■坂を上り詰めると、山腹を走る一般道と出会います。
右に一般道を歩きます。旧地名は「福石免松ケ本」。
300m程一般道を歩けば、5差路の交差点です。
■旧地名は「福石免馬宿」。馬の乗り換え地点だったらしい。
スーパの右側の生活道路を行きます。
直ぐ右手に、樹齢700年の木が歴史を感じさせます、
山祇神社(ヤマズミ)です、この神社だけが、街道の存在を感じさせます。
神社横をのんびりと緩やかに下りながら、
200mも行けば、
また、眺望が開けた場所にやってきました。
■旧地名は「福石免茶屋の原」、茶屋があって、旅の疲れを癒すため、海を眺めながら、一服した場所。
侵入禁止マークの細い生活道路を、歩いていきます。
両サイドは、住宅の密集地、
時折、民家に紫陽花が見受けられます。
■細い生活道路を200mも行くと、
「駕籠立て場」。
民家の駐車場の入り口に、
遠慮がちに石碑がありました。
藩主の休憩場所だったらしい。
暫く行くと、小学校の入り口に出会い、
そこから、急な坂道となって、
下りきれば、一般道路にであいます。
■旧地名は「福石免藤原」です。道路の反対側に渡ります。
渡ったところから、下ってきた街道を眺めました。
一般道路を50mも下れば、細い水路があって、
その際の路地を、簡易郵便局まで歩きます。
路地は,止まれの表示のところで一般道に、
「木風簡易郵便局」です。
一般道路を渡れば、三差路になっていて、
そこに「藤原一里塚跡」への案内板があります。
■細い坂道側を、緩やかに上っていくと、300mほどで、
坂の頂点、
「藤原一里塚跡」の石碑と案内板が建っています。
生活道路との交差点になっていて、
右に折れて緩やかに下っていきます。
街道は、やがて、平戸長崎間の国道に出会います。
そこは、切通しの陸橋になっています。
陸橋を渡って、街道は、直ぐ左に細い道を下っています。
山を切り崩して、国道を作ったのでしょう。
陸橋から、平戸方向、長崎方向の国道を撮りました。
平戸方向側に、フェンス沿いに降りて、バスに乗りました。
約2時間ほどの散歩、次回は市庁舎から北に向かいます。
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2011年6月6日(月)11時30分 晴れ
郡代を後にして、更に長崎方向に向かう
国道に平行していた街道は、
丘陵の上り下りを繰り返し、
烏帽子岳中腹に登り詰める峰の坂に至ります。
国道に接する教会の裏手にでます。
教会の裏手付近から、丘陵上部に
街道は高度をあげます。
石段に行き当たり、石段の入り口に
小崎坂の案内が壁に打ち込まれています。
写真は歩いてきた方向です。
石段は登らずに、街道は海岸方向から離れるように、山手方向に90度左折し、
名前の通りに、坂の登りになります。
両サイドは住宅が密集する傾斜地です
神社のお社が見えてきます。
街道は右に90度神社方向に曲がり、
50mも歩けば、案内があります。
案内を眺めると、その方向に下りていくような感じのルート案内になっていますが、
直進し、左に駐車場をみて、本殿の裏を通り抜けて坂を下ります。
前方に高層マンションが見えます。
坂を下り、下の桜の森を突きぬけ、
高層マンションの入り口に向かいます。
本ルートを進むならば、左ガードレールを乗り越え、桜の森の「名切公園」
に降りて、マンションに向かうことになります。
歩けないルートではありません。
信号を渡れば、マンションは目の前です。
一般道は、医師会体育館前を走っているのですが、
街道は、マンション入り口横の階段を昇り、
体育館裏の敷地内の通路かと思うような
路地を歩きます。
案内の地名は、「櫨山(ハジヤマ)」です。
前方に、体育館裏入り口の案内板が見えます、
金網があって、入り口があり、
体育館うらに入ります。
裏道を100mも歩けば、病院前の一般道にでます。
この案内板のルート部分は、はげていて、わかりません。
右に折れ、50mも行けばマンションまえからの一般道と
一般道を、左に折れて、
検察庁、地裁の建物を左に見ながら、下っていけば、
松浦鉄道のガード下にでます。
ホテル、
文化体育館を右に見て、
バス通りまで直進します。
バス通りまで直進する案内ですが、
次の案内が見当たりません。
峰の坂を探し当て、
それから、この交差点まで逆戻りしました。
ひとつ前の案内で、ガソリンスタンドと
表示されていたものが、工事中で、
案内が消えたのかもしれません。
バス通りに出たところで、左前方に白い家が見えますね、そこから路地があります。
そこが街道の続きです 。
街道というより、住宅密集地の傾斜地の生活路地です。
地蔵があって、街道らしさも少しは。
さらに、50mほど歩けば、
やっと従来型の案内板がありました。
さらに、50m昇れば、
烏帽子岳中腹くらいまでの、
300段の「平戸街道峰の坂」本番の上りが始まります。
両サイドは住宅です。
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