八甲田の熊のブログ

不定期極まりないブログですがヨロシクです!

三頭木 連理の枝 窓木

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    私が代表を務める東北巨木調査研究会では神が宿る木として伐ってはいけないとされてきた三頭木(幹が三つ又に分かれた木等)の調査研究を続けております。
今回ブロ友のyamaさんから素晴らしい情報が入りました。
現在、はっきりと神が宿る木「三頭木」として残されている木の確認は新潟県及び群馬県以北ですが今回の情報で一気に近畿まで入り込みました。
下はyamaさんの記事です解説版を拡大して見て頂きたいと思います。
京都・城陽市「青谷梅林」
NHK 放映を見て早速行ってきました。

途上に猿丸神社に寄り、ガン封じを祈願。

丘陵の一角に佇む「山の神」。
イメージ 5
イメージ 6

下をクリックするとyamaさんの記事全文を見れます。

yamaさんの記事を見て同じように神様の木として3本がまつられその中の1本が三頭木である長野県戸隠神社の三本杉を思いだしました..
下の記事は「巨樹、巨木巡礼」さんのブログからお借りしました戸隠神社の三本杉です


http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/7a/a44dddae05b47efeb7959af2c18b2ab1.jpg
戸隠神社」、名前だけは良く耳にする神社ですが、京都に住む僕にとっては、どうもイマイチ馴染みの薄い神社です。
<戸隠中社正面辺り>
この神社の中社に三本杉と呼ばれる杉の巨木があると言うので訪ねてみた。
正面大鳥居奥、石段上に大きく聳える杉の木が見える・・・・、あれが3本杉かと近づいてみる
三本の巨幹が天を突き刺すように伸び、巨幹が根元では合体して見事な巨体となっている。
どう見てもこれは合木、元は三本だったものが合着したのだろう・・・、目通り約8m、樹高37m、なかなかの迫力で信仰篤そう、次から次へと観光客が近づき、その幹を撫で回していく。
なるほど三本の合着杉だから三本杉かと??納得・・・。
しかし傍らの案内板を見て苦笑・・・、なんじゃこりゃ・・・・・。
確かに鳥居を挟む様に二本の巨杉は目についていたが・・・
こちら鳥居に向かって左手、決して恵まれないアスファルト道路の一角に聳え立つ
根元から大きく立ち上がった洞を合成樹脂で補修されているが樹盛は衰えることなく元気に見える。
目通り9.7m、樹高42mと三本のうちでは一番高い。
三本目は鳥居に向かって右手、土産物屋脇の築山に聳える。
案内板では目通り16mと物凄い事に成っていますが・・・・、これはどう見てもおかしく、どこをどう測ったものやら???
それでも目通りは、ほぼ10mも有ろうか??、こちら目だった傷みも見られず、すこぶる元気そう・・・・。
ちなみにこの「三本杉」にまつわる伝説はリンクしておきます。

 

下をクリックして下さい記事全文が見れます。




現在、確認されている三頭木は東北に多く青森県、特に十和田市で多数発見されております。

以前テレビで放映された三頭木の日本一のブナ「森の神」です画像をクリックして下さい。

下をクリックすると林野庁の「森の神」の紹介が見れます。

ブナの巨木「森の神」 - 林野庁/ホーム



.
下の画像をクリックすると保護柵設置前の森の神が見れます。

森の神でヴァイオリン演奏 国内最大級のブナの巨木−森の神

下の2つをクリックすると森の神との初めての対面が見れます


 
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 2008年10月先人たちが神様の木として伐らずに残してくれた日本一のブナ「森の神」を護ろうと保護柵設置作業に集まってくれた有志の皆さんです。
この時点では東北巨木調査研究会は、まだ設立され′ていませんでした。
写真提供 三八上北森林管理署

今回も最後までご覧いただき感謝です!
神が宿る木「三頭木」の研究者を紹介します
 村上泰賢 さん群馬県の東善寺の住職です。
写真は2014年、群馬県高崎市で開催された「全国巨木フオーラム」の交流会場で地元スタッフとして地酒を参加者に薦める村上さん。
イメージ 2


  東 善 寺    幕末開明の人・小栗上野介の寺                     
                                             小栗上野介の寺
 http://tozenzi.cside.com/kamon-tatunami-1c.jpg http://tozenzi.cside.com/teraname3.gifhttp://tozenzi.cside.com/topart6.gif
群馬県高崎市倉渕町権田169(地図)   〒370-3401  ℡027−378−2230
http://tozenzi.cside.com/bullet024.gif曹洞宗(そうとうしゅう)  http://tozenzi.cside.com/bullet024.gifTohzenji = Soto Zen Temple  http://tozenzi.cside.com/bullet024.gif住職 21世 村上泰賢 Taiken Murakami  
http://tozenzi.cside.com/bullet024.gif寺紋は小栗家の家紋と同じ「丸に立浪」  http://tozenzi.cside.com/bullet024.gifHP開設:1999年6月
  http://tozenzi.cside.com/bullet024.gif最終更新:2016/1/10

  
いま、境内に咲く花
あなたは
<a href=http://wds.f-counter.com/>counter</a> http://www.f-counter.jp/i/10/1181888232/ 番目
のご参拝です。

日日是好日
きょうも一日よい日です!
明日もよい日にしよう
努力して―


ヒット賞
上のカウンター数字で
 181818
をヒットした方はご連絡下さい。
プレゼントを差し上げます。



メール:sharmila@theia.ocn.ne.jp <FONT color="#000000">JavaScriptが無効になっているためメールが送信できません。</FONT>
過去のヒット記録



http://tozenzi.cside.com/live/licam_.jpg
東善寺ライブカメラ
5分ごとに更新

http://tozenzi.cside.com/CIMG5230.jpg
枝垂れ梅

石垣上のシダレ梅がもう咲きました
寺の境内の白梅も、岩窟観音の紅梅も、
どんどん咲いています。
間違いなく異常暖冬、異常気象
「風雨順調」と
お正月の御祈祷で唱え祈願します。
雨も風も、暑さも寒さも
順調に来ないと、
いろいろ混乱します。

http://tozenzi.cside.com/a_blt001.gif目次
http://tozenzi.cside.com/button11-saisinjoho.gifhttp://tozenzi.cside.com/button211-oguri.gifhttp://tozenzi.cside.com/button3111-touzenji.gifhttp://tozenzi.cside.com/button4-news.gif
http://tozenzi.cside.com/button88.gif




日本時間
Japan Time


村上 泰賢 で検索すると、次のように出てきます。


小栗上野介−忘れられた悲劇の幕臣 (平凡社新書): 村上 泰賢
www.amazon.co.jp > 本 > 新書 > 平凡社新書 - キャッシュ
Amazon.co.jp: 小栗上野介−忘れられた悲劇の幕臣 (平凡社新書): 村上 泰賢: 本.
価格:842円 (2016年1月9日現在)
www.amazon.co.jp > 本 > 歴史・地理 > 日本史 > 明治維新 - キャッシュ
内容(「BOOK」データベースより). 「武士の一分」を貫いた男の劇的な生涯。 著者略歴 ( 「BOOK著者紹介情報」より). 村上/泰賢 1941年群馬県生まれ。駒沢大学文学部卒業。 元高校教諭。東善寺住職。小栗上野介顕彰会理事(本データはこの書籍が刊行された ...
tozenzi.cside.com/book.htm - キャッシュ
原作:横田早紀江 脚本:大野トシ江・神野文子 朗読:神野文子・村上泰賢 作曲:折井 清純 企画・構成・指揮:両角文則 司会:降旗 ... 村上泰賢 編著, 小栗忠順の従者として 渡米し、世界一周をした権田村名主佐藤藤七の日記「渡海日記」と、そのときのメモ帳「諸 用 ...
tora1985823.blog105.fc2.com/blog-entry-759.html
徳川埋蔵金を埋めた人らしいけど小栗上野介−忘れられた悲劇の幕臣 (平凡社新書)( 2010/12/16)村上 泰賢商品詳細を見る幕府の旗本の立場から日本の近代化に貢献し なががら、罪無くして死んだ小栗上野介の生涯著者は小栗上野介の ...
www.nejinews.co.jp > HOME > ニュース > ねじ・締結ニュース - キャッシュ
ねじ業界紙ファスニングジャーナルニュース:講師の村上泰賢氏 米国からねじを 持ち帰り、その後の日本近代化の礎を築いた幕臣・小栗上野介忠順公についての講演 会「小栗上野介の日本改...

先日、村上さんから調査活動報告を頂きました。
素晴らしい活動内容です皆さんにもぜひ見て頂きたいと思います。



御神木三叉の木はシヴァ神の鉾である…関西から北海道まで、三叉の木を御神木として伐らないのはなぜか

群馬の鉾信仰は不動尊信仰…群馬県の西御荷鉾山に奉納された三又の鉾  
三叉の鉾の国・宮崎の旅…九州各地の鉾の姿も集めて

 長島の山まつりはシヴァ神の祭り:鹿児島県長島の「山まつり」はご神体が鉾と真っ黒い神様づくり

下の写真は村上さんから美味しい地酒をごちそうになっていると司会者から三頭木の話を聞かせてほしいと要請があり真っ赤な顔で・・・・・・・

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下をクリックするとフォーラムの様子が見れます。






今回も最後までご覧いただき感謝です。




5月19日から東北巨木調査研究会の山本光一事務局長が執筆を担当し青森県の地元紙,東奥日報夕刊(毎週火曜日)に県内の巨木をシリーズで紹介する「あおもり神秘の巨木」がスタートしました。
今回はシリーズ8回目(7月14日掲載)県南の階上町にある神が宿るとされる三頭木であることから伐られずに残され日本一となった中屋敷家のヤマボウシ(別名、角五郎のヤマガ)を紹介しております。


別名の「角五郎のヤマガ」は地名がツノゴロウ、ヤマボウシはこちらではヤマガとも呼ばれます。
環境省のデータベースには幹回り3メートル以上のヤマボウシの巨木はこの木だけです。
この木は幹が三つ又に分かれた木(三頭木)には神が宿っているから伐ってはいけないとされていることからこの木だけを残し周り全てがスギ林に変えられています。



昭和60年に階上町が発行した「ふるさとの木と景勝」の中のヤマボウシの写真の根元には今は無い祠(ほこら)の屋根が見えます。

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2014年6月 所有者・役場・新聞記者も参加しての調査風景です。


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当会(東北巨木調査研究会)の樹木医によると周囲のスギが成長しヤマボウシに太陽光が届かないことが健康に影響しているとの診断でした
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次の日の新聞

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記事です

日々の調査を通じて先人たちが大切にしてきた神や自然を畏れ敬い感謝し大切にする精神を私たち現代人も引き継いでいく必要性があるのではと感じます。

三頭木に関してはこちらをクリックして下さい

今回も最後までご覧いただき有難うございます



3月9日(月)から岩手県に出張しておりました。
訪問された方々から記事の中の写真が見れないとの指摘をスマホで受けており帰宅し修正しました。
PCの知識不足からいつもご迷惑をおかけしております。ゴメンナサイ!



今回は神が宿る木とされ伐ってはいけないと言われてきた「三頭木」(三つ又に分かれた木)と同じく伐ってはいけないと言われてきた連理木である「窓木」と縁結びの木として大切にされてきた「連理の枝」について紹介します。

連理木 - Wikipedia

   
連理木(れんりぼく、れんりぎ)とは、2本の樹木の枝、あるいは1本の樹木の一旦分かれた枝が癒着結合したもの。自然界においては少なからず見られるが、一つの枝が他の枝と連なって理(木目)が通じた様が吉兆とされ、「縁結び」「夫婦和合」などの象徴として信仰の対象ともなっている。なお、違う品種同士で連理となる場合もある。



窓木とは?世界宗教用語。 幹が途中で二本に分かれ,上で再び合体して窓があいたよう になっている木。山の神や天狗の座所として伐採を嫌った。 >>『三省堂 大辞林』の表記 ・記号についての ... まど ぎ [0] 【窓木】. 幹が途中で二本に分かれ,上で再び合体して  ...

まど‐ぎ【窓木】

幹が途中で二つに分かれ、上の方で再び一つになり、窓のようになっている木。山の神がすむ木として、伐採などが忌まれる。


下の写真は「十和田湖畔の窓木」です。
十和田神社参道入り口にあります。 3月8日(日)撮影


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こちらは昨年秋撮影。
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 私たち東北巨木調査研究会では一本の木の内で連理になっているものを窓木と呼び二本の木で連理になったものを連理の枝と呼んでいます。

「比翼の鳥」と「連理の枝」の由来

文・子羽

 【大紀元日本6月24日】「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」。これは、中国唐代の詩人白居易(=白楽天、772−846年)の長編叙事詩「長恨歌」の中の有名な一節で、安碌山の乱が起きて都落ちすることになった玄宗皇帝が最愛の楊貴妃に語ったと詠われているものである。

「比翼の鳥」(※1)は、漢代の類語・語釈辞典『爾雅(じが)』にすでに現れる。一眼一翼(一説には、雄が左眼左翼で、雌が右眼右翼)の伝説上の鳥で、地上ではそれぞれに歩くが、空を飛ぶ時はペアになって助け合わなければならない。このことから、後の人は仲のいい夫婦を「比翼の鳥」に譬えるようになったと言われる。

一方、「連理の枝」(※2)は、東晋(317−420年)に著された志怪小説集『捜神記』のある説話に由来する。戦国時代、宋の国の大臣・韓凭(かんひょう)と夫人の何氏は仲睦まじい夫婦であった。ところが、酒色に溺れ非道であった宋の国王・康王は、何氏の美貌が気に入り、韓凭を監禁してしまった。

何氏は密かに夫に手紙を書き、「雨が降り続き、川の水かさが深くなっています。出かける時は気をつけてください」と記した。ところが、この手紙は康王の手中に落ち、夫の元には届かなかった。実は、これは何氏の絶命詩で、「出かける時は気をつけてください」(原文:日出当心)は、自ら命を絶つ覚悟を表していたのである。果たして、何氏は、康王に付き添って出かけた際に高台から飛び降りて自殺した。一方、夫の韓凭も間もなく愛する妻のために命を絶った。

康王は激怒し、この二人を同じお墓には入れず、わざとすぐそばに別々に埋葬した。お互いがすぐそばにいるにもかかわらず、いつまでも一緒になれない辛さを味わわせるためであった。ところが、なんと数日後には二つのお墓から木が生え、枝と葉が抱き合うように絡み合い、根もつながってからみついた。そして、その木の上ではつがいの鳥が何とも物悲しい声でさえずりあっていたのである。これが「連理の枝」の由来である。

(※1)「比翼」とは「翼を並べて飛ぶ」こと。 
(※2)「理」は木目のことで、「連理」とは、近くに生えた二本の木が合わさって合体し、木肌や木目が連なること
 

「比翼の鳥」と「連理の枝」の由来 - (大紀元) - 大紀元日本



下の2枚の写真は青森県平川市の愛宕神社の「連理の枝のケヤキ」です。
ここには三頭木のケヤキもあり驚かされました。












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下の新聞記事は発見当時地元の方々や市役所の方たちに集まっていただき勉強会を開いた時のものです。





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全国の有名な連理木の中から数本紹介します。

   日本経済新聞
「訪れたい神秘的な巨樹」ランキングで「日本第2位」となった      巨樹(縁結びのカツラ)北海道乙部町
   
 
 

 

 
 平成24年8月18日付け日本経済新聞(NIKKEIプラス1)の「何でもランキング「訪れたい神秘的な巨樹で、乙部町内に生育している巨樹(縁結びのカツラ)が、見事「縄文杉(鹿児島県屋久島町)」続いて「日本で第2位」となりました。
 
この巨樹の特徴は、2本のカツラの木が枝で繋がり一体となっており「連理(れんり)の木」と呼ばれています。写真上部を御覧ください。枝がつながっているのが確認でき
ます。
  平成12年には林野庁の「森の巨人たち百選」に指定され、平成17年には"重歓木(じゅうかんぼく)"という中国の湖南省張家界市にある連理の木と「友好姉妹樹」の締結をしています。
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栃の木さん:函館市

  1. 悲恋伝説
    キリシタンの和人幸助とアイヌの娘チヤサニとの恋の果て、 結ばれないと知った二人が栃の木の下でトリカブトで心中したという。 (近くにあった沼へ入水、という説や、二人で逃げようとしたが捕らえられ、斬り殺された箇所で赤い鈴蘭が咲くようになった説もある。)
    それから2本の木の枝と枝が結びつき、1本になった。 この伝説から縁結びの木とされ、信仰されるようになった。
  2. 相原季胤の宝物
    相原季胤(すえたね)がアイヌに追われて大沼へ入水するとき、宝物を船形の箱に収め、 両端に猫と鶏を乗せて埋め、その猫と鶏の目から木の芽が出たもの。
  3. 木霊
    日露戦争の時、木霊が戦場に行き、木が血を流したという。木が血を流すたびに戦死者が出たのだと噂された。 出征した兵士の身代わりになる霊木として、千人針を持って祈祷してもらう人もいた。
  4. 乳の神
    乳の神ともされ、乳の出ない婦人が米や供物を捧げて神官に祈祷してもらい、その米と実と葉を粥にして食べると乳が出るという。
  5. 白蛇
    白蛇(龍神)が住む祠として祭られたこともあったという。願の叶う人は、この栃の木の空洞をのぞいてみると、白蛇が見えるという言い伝えもある。

レポートと解説

この木は樹齢800年といわれている大木で、白木神社の御神木として祀られています。木そのものの詳細なデータはこちらのページをご覧ください。かつてこの木の近くにあった沼は深く、そこへ「オサンゴ」を投げて願い事をしていたようです。
明治30年ごろから参拝者が多くなったそうですが、その後少なくなりこの沼は埋められてしまったそうです。

湯の川地区一帯では現在のような町並みができる以前、春になると鈴蘭が咲き乱れ、土地の人々に「リリー」と呼ばれて親しまれていました。
当時の絵葉書に咲いている様子が残されているほか、「鈴蘭丘町」の地名の元にもなっています。
鈴蘭が赤く咲くか否かですが、土に含まれる鉱物によって咲くこともあるようです。

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 京都府立植物園の連理の枝
 植物園中央辺りの半木(なからぎ)の森に「連理の枝」がある。「連理の枝」と は、二本の樹の枝が成長するに連 れ、寄り添いながら絡み合い、まる で一本の樹のようになっていく様を表したもの。尚、数年前に参拝した奈良県・室生寺近くの室生龍穴神社の境内には「連理の杉」、当日午後参拝した下鴨神社 境内には「
連理の賢木」がある。「連理の枝」などと称するものは全国至る所にある。数年前、演歌歌手の瀬川瑛子が「連理の枝」を唄い大ヒットした。

 
               下をクリックして下さい
            H21.3京都府立植物園に遊ぶ




         志賀神社のクスノキ(福岡県粕屋町)

乙仲原東区に所在する志賀神社境内にご神木として大枝を広げています。
樹齢は約600年とされ、高さは約23メートルあります。
1本のクスノキの幹が分かれ、ナノミの木と合体した非常にめずらしい木で、別名「連理木」(れんりぎ)とも呼ばれます。
【昭和59年4月6日、町指定】粕屋町立歴史資料館の紹介文をお借りしました。





       
 城山八幡宮のアベマキの連理木(愛知県名古屋市千種区城山町)
城山の森一帯には織田信秀が築いた末森城があった。父信秀の後を継いだ信行が兄信長に滅ぼされ、この城もわずか10年程で廃城になつた。
この城址に昭和11年に建てられたのが城山八幡宮である。初詣や夏の茅の輪くぐり、秋の七五三参りなどの参詣者で賑わう。本殿裏手には市内最大のアベマキの古木の連理木(一本の木が途中で二つに分かれた後再び一本にくっついている木)縁起がよいとされる。
 

                下をクリックして下さい
               
             フォトギャラリ- - TOK2.com    

                    

               




                         韓国映画の「連理の枝」





                       下をクリックすると動画が見れます。

     


     最後までご覧いただき有難うございました!







   

 


私が代表を務める東北巨木調査研究会では 三頭木(三つ又に分かれた木)には神が宿るの調査研究を全国の皆さんのご協力を得ながら続けております。
三頭木に神が宿るのルーツを調べておりますが神道・仏教・修験にヒンズー教からではの新説も出ました、それに加え三つ又に別れた木は伐採時、木の重心の見極めが難しいことから事故が多かったため切らせないための戒めの説が複雑に絡み合って難航しております。
三頭木の情報と併せて皆さんのご意見をお聞かせいただければと思います。


一本の木の幹が三本に分かれている迫力ある三頭木です。

天空の松  所在地 秋田県大館市大滝温泉

下をクリックしてください
天空の松


これから下の木は一本ずつ伐れば伐り倒すのに危険はないと思われる三頭木です。
このように全国に幹が途中から分かれたものだけでなく根元から分かれた木や三本が並んで立っているものも見受けられます。
三という数字にこだわっているようにも思われます。
私どもの会の盛田顧問(97歳)が「一は二を生み二は三を生み三は万物を生む」と話していましたが言葉同様に奥が深いように思われます。
下をクリックしてください

 (静岡県駿東郡小山町)更新:2010年9月(2)
(ようさわはちまんぐう)巨樹と花のページ・トップ  都道府県別リスト  樹種別リスト

http://www.tree-flower.jp/22/yosawa_sugi_385/yosawa_hachiman_sugi_1.jpg
現地説明板では、根回り/10.3m、幹周/(甲)3.40m (乙)5.00m (丙)3.50m、樹高/約30m、推定樹齢/約400年。
下をクリックしてください
 
 
 



 


「三本カラマツ」尾瀬大江湿原


 針葉樹といえばスギやヒノキのように常緑ですが、カラマツは国内では唯一落葉する針葉樹です。

カラマツは落葉前になると葉が黄色に変わり、秋空のひときわ鮮やかな青空の中で黄金色に輝いて見えます。
日本各地のカラマツは植林されたものが多くありますが、尾瀬のカラマツの多くは天然のものです。
直径が1m以上にもなる大木もあり、幹にできた大きな洞はツキノワグマが冬眠に利用することもあります。

http://www.oze-fnd.or.jp/main/oze_info/oze_info4/oze_info4.files/sanbonnkaramatu.jpg

■10月中旬の大江湿原三本カラマツ。冬間近のモノトーンの湿原でひときわ映える


 大江湿原にある「三本カラマツ」は、小高い丘に3本のカラマツが寄り添うように立っている尾瀬沼畔のシンボル的な存在ですが、この三本カラマツの生えている丘にはある伝説が残されています。

「宇治川の戦い」で平家に敗れた高倉宮以仁王(たかくらのみやもちひとおう)が越後へ逃げのびる途中、尾瀬沼に立ち寄りました。
そこでの滞在中に尾瀬中納言藤原頼実が病死してしまい、その亡骸を埋葬したのが「尾瀬塚」、つまり現在の三本カラマツの丘であるといわれています。

また、尾瀬大納言藤原頼国の弓の練習場であるとの伝説もあり、「尾瀬様の的場」と呼ばれる事があります。
                 下をクリックしてください
 

http://www.tree-flower.jp/26/daihizan/daihizan_title.gif (京都市左京区)更新:2007年12月(1)
(だいひざんのさんぼんすぎ)巨樹と花のページ・トップ  都道府県別リスト  樹種別リスト

http://www.tree-flower.jp/26/daihizan/daihizan_sanbonsugi_1.jpg
峰定寺(ぶじょうじ)からなだらかな登りの林道を約20分ほど歩くと峰定寺の神木でもある
「大悲山の三本杉」に到着します。林道はここで終点です。
http://www.tree-flower.jp/26/daihizan/daihizan_sanbonsugi_2.jpg
林野庁の「森の巨人たち100選」サイトによると、幹周/13.60m、樹高/35m、樹齢/1200年。
http://www.tree-flower.jp/26/daihizan/daihizan_sanbonsugi_3.jpghttp://www.tree-flower.jp/26/daihizan/daihizan_sanbonsugi_4.jpg
http://www.tree-flower.jp/26/daihizan/daihizan_sanbonsugi_5.jpg

 ●三本杉ですがなかなか三本に見える撮影
ポイントがありません。左の写真ではよく
分かりますが。
名称 : 大悲山の三本杉
所在地 : 京都市左京区花脊原地町 大悲山国有林○地図リンク提供:マピオン
撮影日 : 2007/4/28http://www.tree-flower.jp/26/daihizan/daihizan_sugi_map.png
指定 : 森の巨人たち百選 (林野庁)
アクセス:京阪電車・出町柳から「広河原」行き(京都バス:1日4〜5往復)に乗り、「大悲山口」(1時間40分かかる)で下車し、徒歩約20分で峰定寺に、さらに林道を徒歩20分歩きます。
前回紹介した「峰定寺のコウヤマキ」から徒歩20分ほどで林野庁が2000年に選定した「森の巨人たち百選」に選ばれた「大悲山の三本杉」に到着します。峰定寺からは先は車は入れませんので、徒歩になります。途中で林道と三本杉への道が分かれていますが、標識がありますので間違えることはないでしょう。
「大悲山の三本杉」は、幹周約6mの3本のスギが合体したすばらしい大杉です。この大杉は峰定寺の神木にもなっていて、受付でもらった峰定寺のパンフレットの表紙を飾っていました。別名「峰定寺の三本杉」、「花脊の三本杉」とも言われています。環境省の巨樹巨木林データベースでは、幹周が何と17.79mとなっています。
(HP管理者)

下をクリックしてください

 
 
 
 
 
 
 
http://www.hitozato-kyoboku.com/logo_2/miyagawa-sanbonsugi.gif岐阜県飛騨市宮川町大無雁(おおむかりhttp://www.hitozato-kyoboku.com/logo/site-symbol.gif
 
http://www.hitozato-kyoboku.com/picture_2/miyagawa-sanbonsugi_1.jpg

http://www.hitozato-kyoboku.com/picture_2/miyagawa-sanbonsugi_2.jpg
名称 若宮八幡神社の三本杉
(わかみやはちまんじんじゃのさんぼんすぎ)
名称の典拠 なし (私が勝手に命名)(注1)
樹種 スギ
樹高 46m(注2)
目通り幹囲 11.9m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 岐阜県飛騨市宮川町大無雁(おおむかり)字岩野(注3)
〃 3次メッシュコード 5437−30−59
〃 緯度・経度 北緯36度17分47秒
東経137度07分04秒
岐阜県指定天然記念物(1977年6月24日指定)
撮影年月日 2003年7月28日

注1)岐阜県教育委員会が設置した標柱(設置年月不詳)には単に「三本スギ」とあった。また岐阜県文化財図録では「若宮八幡神社三本スギ」としている。多分、このどちらかが正式名称なのだろう
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 東海版」による
注3)平成16年(2004)2月1日に、それまでの古川町・河合村・宮川村・神岡町が合併して、飛騨市となった。合併前の行政区は吉城郡宮川村





高山市を流れてきた宮川と、穂高岳の西麓に発する高原川が、岐阜・富山県境で合流して神通川となる。富山から見れば宮川に沿って遡る地域だから宮川村である。
宮川に沿って国道360号を上って行くと、知らぬ間に471号に変わっている。宮川は大字落合のあたりで天生峠(あもうとうげ)の方から流れてきた小鳥川と合流し、直角に折れ曲がったのだ。ほかにも稲越川などいくつもの川がこの谷の狭い場所で交差している。川霧が立ちこめることも多かったのだろうか。無雁(むかり)の地名は靄ることと関係があるともいわれているようだ。
若宮八幡は、谷から一段上がったところにある。小さな神社だが、境内には3つの岐阜県指定天然記念物の巨木が立っている。
三本杉は地上2m弱で三本に分かれている。融合木のように見える。樹勢が良い。3つの天然記念物のなかでは最も若いのではなかろうか。
 
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若宮八幡神社の三本杉(三本スギ)








弘文天皇御陵候補地・自害峯の三本杉

岐阜県不破郡関ケ原町
 
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多久八幡神社の三本杉
 
佐賀県多久多久町1758-5(平成23年11月2日). 東経130度5分35.67秒、北緯33 度15分17.32
 
 
 
http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/saga/takusi/hachiman_taku/NP905915.JPG
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 新宮神社の三本杉
 所在地, 愛媛県松山市福見川 新宮神社
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滑川国有林の三本杉
 
 
  所在地 山口県佐波郡徳地町柚木滑川国有林
http://www.kyoboku.com/47/yamaguchi/31.jpg
 
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  155、日光の世界遺産;二社一寺 「二荒山神社・瀧尾神社の三本杉」  



http://img.guide.travel.co.jp/article/30/20130406152808/1F3F8D66BC114FFEB4082AEAFE0D18EF_L.jpg
 


http://art14.photozou.jp/pub/216/242216/photo/22328297.jpg



http://art13.photozou.jp/pub/216/242216/photo/22328307.jpg
滝尾三本杉鳥居  三本杉の前に立つ女峰山の遥拝鳥居

隣接して三本杉という御神木もあり、こちらも鳥居つきの玉垣に囲まれていて、神聖な地であることが判る。 弘法大師が修行していた頃、田心姫神が立ち現れた場所といわれている。 

この三本杉の間を通してご神体の女峰山を拝むのが慣わしとされている。

現在の杉は2代目。倒れた親木はそのままにしておく慣わしで、今でも、下の樹がそのまま横たわっている。

案内板によると、『 弘法大師が、この山で修行をした時に田心姫命が現れた場所と伝えられる。

初代の杉は1699、1747、1749年と相次いで倒れ、現在の木は2代目である。倒れた親木は、そのままにしておく習わしで、今も横たわっています。

この神木の霊験を示す話があり、寛文7年(1667)鶏頭院山舜の下僕が、この神木を小さいと馬鹿にして、神罰を被ったという』と記されている。 
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香取神宮 三本杉 千葉県香取市

練習艦「かとりの錨(いかり)」
海上自衛隊練習艦「かとり」は、昭和45年(1970)建造され、平成10年(1998)7月、除籍になるまでの28年間、毎年、海上自衛隊の幹部候補生を乗せ、世界の海で航海訓練を行い、各国を歴訪して友好と親善を深め、多くの幹部自衛官を輩出したとして、役目を終えた錨が、命名の由緒の深い、この香取神宮に奉献された。

もう一つ、この並びにある「三本杉」だが、これには、後冷泉天皇の頃、源頼義(八幡太郎義家の父)が奥州の安倍頼時を追討した時(前九年の役・1051年〜)の逸話が残る。

実は逸話は二つあって、どちらもこの時に源頼義が参拝し、祈念した所、霊験があったという物。

一つは、頼義の軍勢は微小であったので、下総国に来て、ここで祈念した所、霊鳥があらわれ北方に飛び、軍馬の音が遥かに聞こえて来たので、杉に人を登らせて見させた所、相州と武州の味方が雲霞のごとくやって来るのが見え、勢力を増す事が出来た。
そこでその杉に「斥候(ものみ)」と名付けたという物だが、これは残念ながら明治6年(1873)大風で転倒、朽ちてしまった。

もう一つが、今も残る上の写真、「三本杉」である。
これはやはり源頼義が、「天下太平・社頭繁栄・子孫長久の三つの願成就せば、此の杉自ら三岐に別れん」と祈願したところ、一株の杉が三枝に別れたので、以来「三本杉」と呼ぶようになった、という伝承である。

今見ると、三本のうち真ん中が途中になってて、小さい一本が途中から出ているような(^_^;)?
これは「天下太平・社頭繁栄・子孫長久」のどれに当たるのか……源氏が途中で途絶えて、別系から宗家が出ている、みたいな事なのかな?(笑)
何しろ凄く大きい杉だった(^^ゞ
 

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福井県勝山市

宝の小冊子/自然編 2/歴史の章

http://kofukugaku.pref.fukui.lg.jp/kofukugaku/data/archive/Nature2_40-1.jpg

http://kofukugaku.pref.fukui.lg.jp/kofukugaku/data/archive/179_2.jpg

http://kofukugaku.pref.fukui.lg.jp/kofukugaku/data/archive/179_3.jpg





むかしから伝わる三本杉

勝山市中心部より5kmほど南東へ進んだ平泉寺集落を過ぎると、1920年(大正9)に創設された平泉寺小学校があります。この学校では、杉はシンボルとなっており、児童たちは「杉の子」と呼ばれています。現在の校章は、1984年(昭和59)より使われている杉の葉をデザインしたものですが、以前は「三本杉」が用いられていました。
三本杉の由来は、中世に一大勢力を誇っていた平泉寺白山神社の神紋であることで、名称に平泉寺を使うことも平泉寺村にある学校だからということで使用が許可されたとのことです。また「神紋」には、子の杉紋のことを「(前略)神を請来するために昔は板をたたいて祈りを捧げた。しかしその板を杉で作るのは杉の木が依代として適していたからであろう。(中略)白山と白山神社とは一体の関係にあり、三本杉はご神体すなわち白山(御前峰、大汝峰、別山)のシンボルである云々。
と記されています。その白山神社では、例えば「開祖泰澄大師が神と向かい合った御手洗池前にお手植えされた神木は途中から3木に分かれている」など、3という数に関する物事を多く見つけることができます。
神木となっている杉など伝承されているものは、背景に物語が語り継がれ、信仰を集めており、これからも注目され続けていくことでしょう。










最後までご覧いただき有難うございました。
多数の方々から情報を寄せていただきました、これからもよろしくお願いいたします。


 




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