はこだて外国人居留地研究会

外国人居留地マップ「中国編」が完成しました。

函館外国人居留地

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本日は、2月1日発行予定の『函館と外国人居留地〜街並・文化編』のほぼ最終確認の編集会議が
「街づくりセンター」会議室でありました。
         
         
 
                  大正12年創建の丸井今井呉服店函館支店として建てられた建物
 
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今回は初めて小冊子風の仕上げになります。 テーマは『街並・文化編』であります。
 
 
北洋漁業研究家の故會田金吾は、手書の史料集「箱館開港期に於ける築島と居留外国人」の
冒頭で『特色ある街ー函館の生成過程には、大きく3つ挙げられると思う。 即ち①蝦夷島の政庁〜
幕府箱館奉行が置かれたこと、②箱館開港、③北洋漁業の進展などであろう』と述べていおります。
 
 
本編集では、開港から大正期までの西洋文化の受容と日本文化の歴史を街並の変遷と共に見ながら、現在の函館の『生きている歴史遺産』の可能性を探りたいとの想いを持って、編集メンバーで
まとめております。
 
 
 
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     幕末・開港当時の函館は、約17カ国の領事館があり、函館山裾野は世界中の国々の国旗
   なびいておりました。  (箱館戦争の図 / 市立函館博物館所蔵)
 
 
 
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はこだて居留地研究会 『函館と外国人居留地〜街並・文化編』もう少しお待ちください。
 
 
2013年2月1日、発行予定・・・(^。^)y-.。o○
 
 
 
 
 
 
             当会への入会希望者は、随時受け付けております。
               皆様の研究会のご参加を心よりお待ちしております。
                             
                
                 
                                                
 
 
                                                          (文責:はこだて外国人居留地研究会 幹事 遠藤浩司)
                                                           連絡先:函館元町ホテル     遠藤浩司(幹事)
                                                            電話番号 0138-24-1555    函館市大町4-6
                                                         個人ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/hiroloadcup
                                                    ホテル/HP http://www.hakodate-motomachihotel.com/
 
 
 
 
 
 
このブログ記事は、居留地研究会とは、まったく関係のない私的なものです・・・ 
 
 
『箱館奉行』を訪ねて・・・東京墓参めぐりは、竹内保徳・堀利煕・村垣淡路守範正と・・・
この度の東京出張で4人目『 栗本 鋤雲 ついての墓参レポート報告したいと思います。
 
栗本 鋤雲の箱館奉行就任は1867年6月と記録にありますが、同月の6月にフランスに兼務の外国奉行として派遣され帰国が1868年5月となり、すでに明治の時代になり、箱館奉行としての箱館現地での勤務はなかったと思います。
しかし『 栗本 鋤雲 箱館においての活躍は、箱館奉行頭取としての1858年5月〜1863年10月、江戸に帰任するまでの期間であります。                                                              
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栗本鋤雲は江戸猿楽町に幕医師 喜多村塊園の三男として,文政5年(1822年)3月に生まれました。 嘉永元年(1848年)に幕府奥詰医師栗本氏を継ぎ六世瑞見を名乗り後に医師の禁令に触れ安政5年
(1858年)に蝦夷地在任を命じられ箱館に奉行頭取として赴任しました。
 
文久3年(1863年)10月までの5年間,栗本の生涯では37歳から42歳まで働き盛りを箱館の為に、盟友、同時期に箱館に赴任していたフランス・カトリック宣教師メルメ・カションの協力を得て、箱館病院の設立、「七重薬園」を開設し薬草の栽培、久根別川の浚渫をし運輸の利便を図り、養蚕紡績事業などの殖産興業推進、山林開拓、当時の七重村屯田兵の土着に尽力を尽くしたりと様々な多くの事業を行ないました。
 
また、この箱館での、メルメ・カションとの交流が、後の勘定奉行小栗忠順が中心になって動いた「横須賀造船所」建設など、後の日本の近代化に大きく影響し、バルチック艦隊をやぶり日ロ戦争勝利、アジアの小国が欧米列強と、幕末から短期間で肩を並べる事ができる近代国家なる要因の一つに繋がったのです。
         
     過去の小栗公 関連記事 http://blogs.yahoo.co.jp/hiroloadcup/23490621.html
 
 
 
 
さてさて、そんな箱館の為につくした『 栗本 鋤雲 』の墓参は、そのうちにと思いながら中々できませんでしたが、今回の東京出張でなんとか足を運ぶ事ができました。
 
丸の内線、東大塚を下車し春日通りを徒歩10分程度で『善心寺』に到着しました。
境内に入り本堂正面を左に折れ奥へ進みました。
 
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            石階段を、降りて右に進むと、『 栗本 鋤雲 』の墓碑にたどり着きました。
            やっと〜出会えたという気持ちになり、しばらくこの場所での時間を楽しみました。
 
 
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             善心寺境内・周辺の、紅葉を楽しみながら、墓参を終えました。
    
   
 
 
         鋤雲は後に思ったでしょうね・・・ 
    尊王攘夷派が戊辰戦争で勝利を得て、明治政府になり大久保利通、木戸孝允らは
    まったく逆の幕府路線の富国強兵など、幕府側のマニュフェストを実行し西洋文化を
        取りいれた政策を進めるのですから、完全なマニュフェスト違反ですよね・・・(^^♪ 
   
 
        薩長・朝廷など幕府内からも圧力に屈しながら、日本為に尽くした数少なかった開明派
   (川路、岩瀬、小栗、水野、永井など・・・)の幕臣たち、箱館の歴代奉行たちもそんな少数派           の優秀な幕臣でありました。
 
 
 
 
           
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                      過去の歴代 箱館奉行墓参レポート
     
      竹内下野守保徳      http://blogs.yahoo.co.jp/hiroloadcup/29259468.html
      堀利煕編           http://blogs.yahoo.co.jp/hiroloadcup/29266478.html
      村垣淡路守範正編     http://blogs.yahoo.co.jp/hiroloadcup/29277986.html 
 
 
                番外編・ 函館ゆかりの人 『ぶらり墓参レポート』 
              http://blogs.yahoo.co.jp/hiroloadcup/28876541.html
 
                
                
 当会への入会希望者は、随時受け付けております。
 皆様の研究会のご参加を心よりお待ちしております。
 
                             
                
                 
   (文責:はこだて外国人居留地研究会 幹事 遠藤浩司)
  連絡先:函館元町ホテル    遠藤浩司(幹事)
電話番号 0138-24-1555    函館市大町4-6
  個人ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/hiroloadcup
      ホテル/HP http://www.hakodate-motomachihotel.com/
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昨年暮れから作業を進めている「函館外国人居留地研究会」 ドイツ編マップ編集作業, いよいよ完成になります。  私は商売柄,土曜日の午後の編集会議は観光シーズン中の出席は厳しく,今のオフシーズンだからこその会の出席になります。
 
          
      
      マチセン会議室(地域交流まちづくりセンター内)にて,真面目に皆さまやっております。
      ちょっとした解釈の違いで,ほんの数行の文章に30分も時間がかかる事も・・・
 
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「函館外国人居留地研究会」 ドイツ編マップ 発行にあたり,これまでロシア,アメリカ,イギリス,中国,フランスの各国編を発行してきました。
それ以外の欧米諸国の人々も幕末の箱館に渡来し,貿易を始めとして様々な活躍をみせました。
中でも目立つのはドイツ商人の活動でありました。 幕末段階ではドイツという統一国家は存在せず,
箱館に領事館を設置したのは,のちのドイツ統一の中心となったプロイセンでありました。 他にも
デンマーク領事やポルトガル領事のように商人が就任する場合も多く, 多様な居留民社会でありました。今回は他に榎本武揚とオランダの関係, 運上所や遊廓など,箱館と外国人に関するあまり知られていない事実も紹介しております。
 
発行は2月18日になり皆さまには19日以降マチセン(函館地域交流まちづくりセンター内)デスクで配布予定しております・・・お楽しみに (^。^)y-.。o○
          
            
      毎週,編集会議を重ねていたお馴染みの地域交流センターマチセン
 
 
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研究会は、当会への入会希望者を随時受け付けております。現在は、上記の通り居留地マップの「ドイツ編」の編集作業をほぼ終えて、今月18日に完成いたします。 今後はこれまで編集したマップをブックレットにまとめていく計画もあります。また、函館にあった外国人居留地の実態を追及する研究会の開催も計画しております。参加を希望されるかたは、ご連絡ください。
     
                
                
           皆様のご参加を心よりお待ちしております。
                                 
                
                         (文責:はこだて外国人居留地研究会 幹事 遠藤浩司)
                         連絡先:函館元町ホテル   遠藤浩司(幹事)
                         電話番号 0138-24-1555   函館市大町4-6
                         個人ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/hiroloadcup
                         ホテル/HP http://www.hakodate-motomachihotel.com/
 
私が所属している「函館外国人居留地研究会」では現在「外国人居留地マップドイツ編」を作成発行する予定で定期的に編集会議を行って進めております。
昨年が日普修好通商条約(現ドイツ)の締結150年目の年で今年は151年目になりましたが,発行まで楽しみにしていただければと思います。
     
         
 
「函館外国人居留地研究会」の会とは別に・・・私の個人的な地元話題の箱館奉行堀利煕が命をかけて進めた日普修好通商条約についてのお話を少しだけしたいと思います。
 
間違い等があればコメントでご指摘ください・・・(^^♪
 
 
         
        
        題  『箱館奉行 堀利煕』 命を賭した仕事・・・
 
来週の124日で151年目を迎える日普修好通商条約(現ドイツ)の締結直前に無念の死に至った。 箱館奉行としても任地にあって視察を怠らず、現地人に種痘を施したり大活躍した堀利煕(1818年〜1860) 当時,箱館・外国奉行兼務の堀利煕は日普修好通商条約(プロイセン・現ドイツ)締結直前の1861124日に切腹し生涯を閉じました。 
  
       ペリー艦隊来箱時の絵図・(亜墨利加船松前箱館湊江入津之図)
        資料提供 函館中央図書館
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堀利煕が箱館に奉行として配属(1854)される前年,丁度 ペリー艦隊の浦
(1853)来航と同じ頃には、長崎ではロシアの東洋艦隊司令長官プチャーチンが入港また蝦夷の北にある樺太の久春古丹(後の大泊)ではロシア艦1隻が現れ、ロシア兵が上陸し駐屯地をつくりました。幕府はそこで当時,幕府目付の堀利煕勘定吟味役の村垣範正を巡見使に任命し、ロシアの南下政策の脅威に直面する蝦夷地を松前藩から公収すべきか否かを検討させました。松前藩も樺太の西岸周辺まで支配権を及ぼし、清国も南樺太が日本領であることを事実上認識しておりました。
プチャーチンが樺太の地での国境画定を希望し、幕府は堀利煕らを樺太までさらに出張させましたが ロシアは欧州でのクリミア戦争に追われ、久春古丹の守備隊を撤退させ、プチャーチンの樺太行きも取りやめになりました。
そんな,世界規模でざわざわした時代背景の中で,函館にはペリーが日米 和親条約締結後18544月に入航し3カ月後の7月に堀利煕が箱館に奉行とし配属いたしました。 前月の6月に配属になった竹内保徳,一歩後れの同月に配属になった
村垣範正と奉行3人体制で,開港にともなう諸外国との外交、海岸防備、箱館を中心にした蝦夷地の統治,開港場となった箱館に置かれた各国の領事館、箱館奉行所は外国との重要な窓口となり箱館奉行がスタートいたしました。
        
          同僚の箱館奉行兼外国奉行の村垣範正
         (堀利煕の写真がない為 村垣さんで・・・)資料提供 函館中央図書館
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話は堀利煕と日普修好通商条約に戻ります。  
堀が函館に配属になった6年後1860年プロイセン(現ドイツ)特命全権大使
オイレンブルク伯爵が日本に到着しました。プロイセン(現ドイツ)の目的は
日本との修好条約の締結にありました。幕府側の老中首座の安藤信正は箱舘奉行で外交経験もある堀利煕を連絡役につけました。堀はプロイセン側の随行員にマックス・フォン・ブラントがいる事を知りました。ブラントはプロイセンの名将で『三兵器戦術基礎論』という軍事戦略論の著者ハインリッヒ・フォン・ブラント将軍の息子であると知り堀とオイレンブルク伯爵たちはこの事で親密な関係を築いていきました。
老中首座安藤は、公武合体派であり孝明天皇の妹和宮14代将軍徳川家茂
に降嫁することを希望してが幕府がこれ以上外国と国交を持てば一度破談になった縁談をやっと修復したばかりの安藤としてはプロイセンとの条約など有り得ない事でありました。しかし開国派の堀はプロイセンの進んだ軍制などに着目していたので、条約締結に積極的でありました。
オイレンブルク伯爵は、プロイセンと、日本の徳川家は極めて似ていると力説し徳川将軍家が日本の300藩を束ねているように、わがプロイセンはホーエンツォレルン家を頂いて北ドイツ同盟に君臨しており徳川家が天領を持っているようにホーエンツォレルン家も遠い土地に飛び地を持ち徳川幕府と日本、プロイセンとドイツの関係は似ていると・・・、アメリカやロシアとは異なる極めて親密な関係になるだろうと・・・。堀はこの言葉に感銘を受けると同時に蘭学に頼り切っている状況を打破し、ドイツ語やロシア語を学ばなければならないと思いました。
そのような堀の思いを老中首座の安藤信正は理解をする事ができたようです。 
桜田門外の変・井伊大老暗殺直後、困難な時期に若くして老中首座に就任していた安藤は無能ではありませんが、安藤は堀の提出した条約文草案を見て驚愕する。
プロイセンとの条約はプロイセン王国のみ相手にするはずだが、その草案にはプロイセン、北ドイツ連邦諸州、ハンザ同盟のハンブルク、ブレーメン、リューベック、メクレンブルク公国まで列挙しておりました。
プロイセン王国は、北ドイツ同盟・ドイツ関税同盟の頂点に立つ国であり、そこと条約を結ぶと言うことは合計36ヵ国と国交を結ぶ事になります。
そのことを安藤は知らなかったので、即座に堀を江戸城に呼びつけ詰問しました。双方は言い争いとなり、結局政策論争にまで発展してしまった。
112日、外国奉行堀歳煕は切腹してしまいました。その命を堵した抗議により安藤は初めて堀の言っていたことが理解出来たらしいのです。堀の死後は箱舘奉行の堀とずっ〜と同僚であった箱館〜外国奉行兼務の村垣範正を後任に据えて12月に日普修好通商条約は締結する事ができました。
しかし条約文からはプロイセン王国のみ書かれていて北ドイツ同盟やハンザ同盟の都市国家の名前は削除されておりました。
堀が命を賭して95%まで進めた日普修好通商条約を同僚の村垣が締結させたのはせめてもの供養になったようであると思います。   
       
         
           享年43歳 幕臣・堀利煕の人生でありました。

 
 
口メモ
利煕は幕末の外交官一族であり,従兄弟の『岩瀬 忠震』は,列強とタフな折衝に尽力し、水野忠徳、小栗忠順と共に「幕末三俊」と顕彰され日米通商修好条約を締結させた。 又日米和親条約を締結させた『林復斎』は母方のおじであります
              
         
 
 
研究会は、当会への入会希望者を随時受け付けております。今後は、居留地マップの「ドイツ編」の編集を予定、これまで編集したマップをブックレットにまとめていく計画もあります。また、函館にあった外国人居留地の実態を追及する研究会の開催も計画しております。参加を希望されるかたは、ご連絡ください。
     
                
                
         皆様のご参加を心よりお待ちしております。
 
 
 
                                 
                 (文責:はこだて外国人居留地研究会 幹事 遠藤浩司)
                    連絡先:函館元町ホテル   遠藤浩司(幹事)
                    電話番号 0138-24-1555   函館市大町4-6
 
                                    
                   
この度, 私共(はこだて外国人居留地研究会)が取り組んでいる函館外国人居留地マップが今春発行した「フランス編」に続き当月に 「キリスト教編」が完成 いたしました。 
 
編集にあたり,  我が国の鎖国から西洋世界への日本の開国は医師E.ベルツにより危険の伴う「死の跳躍」にたとえられた。 安政4年(1857)下田と長崎におけるアメリカ・オランダ・ロシアとの条約交渉で, 幕府は長崎・箱館と貿易開港に際し外国人の信教の自由と家族の同行を初めて認め, 踏み絵を廃止する一方で「切支丹禁制」を強化させた。
 
安政4年からローマ正教の司祭が, 続いてカトリック宣教師が箱館に向かう。 明治7年(1874)にメソジストと英国聖公会の宣教師が箱館に渡来。 長崎・横浜・神戸に上陸したアメリカの新教会派の布教により, 日本人プロテスタントが北海道を目指し渡海。 キリスト教は女子教育, 医療, 一夫一婦制の提唱など多大な影響を与える。 日本の近代は西洋というキリスト教文明に対する驚きと反発から, 受容そして憧れの歴史でもあった。
 
本編は揺籃期の箱館のキリスト教各派の歴史を, 開国期の諸条約と明治憲法をたて軸に街並みの変遷を見ながら読み解きます。
 
 
 
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函館外国人居留地マップ 「キリスト教編」 をぜひほしいとの方は, 「函館市地域交流まちづくりセンター」で
配布のお願いをしております。   ぜひ足を運んでください〜(^。^)y-.。o○ (0138-22-9700)
 
 
 
研究会では、当会への入会希望者を随時受け付けております。今後は、居留地マップの「ドイツ編」の編集を予定、これまで編集したマップをブックレットにまとめていく計画もあります。また、函館にあった外国人居留地の実態を追及する研究会の開催も計画しております。参加を希望されるかたは、ご連絡ください。
     
                
                連絡先:函館元町ホテル   遠藤浩司(幹事)
                電話番号 0138-24-1555   函館市大町4-6
 
        皆様のご参加を心よりお待ちしております。
  
 
 
                                 (文責:はこだて外国人居留地研究会 幹事 遠藤浩司)
 

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