サブやんの何でもジャーナル 山梨・北杜・白州・武川観光ガイド

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北杜市散歩路

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北杜市人物伝 須玉町 津金馨(かおる)
(生1887:10:19〜歿1965:3:20)(明治30年〜昭和40年)
(資料『中央線 1971 7号』三人の北巨摩人「生き甲斐」とは何であったか 保坂忠信著 一部加筆)

身辺に感じられる三人の北巨摩人の先達を思い浮べながら、明治、大正と牛きてきた三人の足跡の中に、編集の方からいいつけられた「生き甲斐」を探ってみることにした。
北巨摩人という言葉があるかどうか知らないが、北巨摩の人の特質を私は抽象することが出来るように感じる。それは峡南の人々から感じた一種の物柔かさ、峡東で感じる剛気不周が甲州人の特色を示すアクセントであるなら、北巨摩の人々は、千古の人問経験を蓄積した地殻のような皮膚の厚さを感じる、どっしりとした重さを感じる。私が身近の人(仕事の上からも、精神的にも)として取り上げようとしている三人の方はその馨咳(せいがい)には接してはいないが併しその書き残した言葉と業績に、この北巨摩人を感じる。三人は教育者=文化人であった。
北巨摩が郷土に生涯をかける教師、公務員の産地であるといわれるが、これは学問を愛する大衆の多いことを意味する。
韮崎市、北巨摩郡が中学から高校への進学率で県下において最高地域の一つであることはこれを示している。

津金馨(かおる)
須玉町大津金で生れ、高根町安都那高等小学校をへて山梨県立第一中学校、金沢第四高等学校、東京帝大英文学科を明治四十四年に卒業、直に土浦中学校に奉職したが一年でやめ、大正二年から昭和二十年で退職故郷に帰る迄、実業之日本社に勤め、神学博土ジエイ・アー、ミラーの「日々之基督」(大正元年、732ページ、内外出版協会発行)同じ著者の「青年の問題」(296ページ)の訳書がある。
ペンネームは、澗村・(「自分の家が谷間のような処にあるから)」といった。これらの書は「日本の基督信徒及び末だ基督教を信ぜざる人力の需要に適したる基督教文学の著作及弘布にあり。
日本にある基督教ミツシヨンの同盟を代表せるが故に公同的精神を以て立てるものなり。」とこの協会も著者が必ずしもキリスト教の信者でないことを断っている。澗村が望んだものは、人生に如何に生きるべきかの解決にあった。故郷に帰って、農耕と読書の生活に入り、自費パンフレット「山林生活」(昭和29年10月から35年10月迄、十三集続き眼疾のためやめた。)を出した。例えば、その一冊の「自然の真と自由」では「リバティー」と「フリドダム」の違いについて論じ、パトリック・ヘンリイが自由を与えよ、然らずんば、死を与えよ。といったのは、外部から与えられる自由で、つまり、リバティーであった。私が望んでいるのは、真の自由、フリーダムである。心の修錬によって、白分の心の中に、自由の天国を建設することに外ならない。悟りの境地、雲水を友とし、自然に帰する自由、西行法師やイギリスの詩人ワーズワースが求めた自由、蚤をいたわった一茶、虱(しらみ)にまで愛情を注いだ良寛和尚、豪華な邸宅を藩主から貰ったその日に勿然と姿を消した元禄の名書家北島雪山、「春風や碁盤の上の置き手紙」の名吟を残し一所不住の生活を送った俳人丼月、みな真の自由を求めた人々で、ピケやすわりこみのデモ戦術で外部からもぎとってくる自由と全然異質のものである。だいたいこのように論じている。
澗村の求めた究極の生き方であった。この「無題進呈」の質素な冊子の中で、政治、経済、文芸に広い視野と深い洞察をもって、軽妙遵勁な筆を駆使したのである。正に、名コメンティター(時事評論家)、でありエセイスト(随筆家)であった。山梨のジヤーナリズムにこの齢は老いたけれども、円熟して、無慾で精偉な文人を迎えたいものであった。澗村を私が知ったのは、古本屋で畏友猪股松太郎氏が彼の「英和対訳欧米近代文豪美文抄」(阻治四十五年、実業之日本社発行)を探し出してきてくれたからである。ゴルキー、トルストイ、ドーデ、チ工―ホフ、ドストイェフスキィ、ツルゲネーフ、メーテルリンク.ビョルンソン、イプセン、ソラ、フローベル、ハーデイー・ワィルド等々と大陸及びイギリス文学の粋が百花繚乱と咲き乱れているのは単なる英文解釈書でなくて、英語文学鑑賞の入門書といってよい。彼の文学趣味の巾の広さも示しているばかりでなく、英文の読み方の確かさも示した優れた書であると思う。
そればかりでな<文語、口語、修辞法、美文体の乱立していた明治末期に彼は既に次のような口語体でオスカー・ワイルドの
「深遠から」(ド・プロフアンデイス)を訳しているのは特に注目に価する。「かのゴドチエーが言ったように、私はじ来常に
『世界は吾が為に現存するものだ』と考える者の一人であった。
けれども私は一個の自覚を持っている。花の美しい葉だけでも満足出来ないことはないかも知れぬ。けれどもこれら美しいものの奥に何らの聖霊(たましい)が隠れている、と私は自覚しているのである。」(仮名遣いは私が直す)彼は既に現代文を確
立していたのである。彫心艦骨の文体を生んだのである。翻訳と文章道への精進と、自然への帰一、優れた文人がもつ生き甲斐を、青年時代は市井において、退隠しては故郷の自然に求めたのである。
主客去って灰皿煙り春炬燵
花葛の藪下に水湧いており(山林雑詠十二より)


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