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山口素堂&松尾芭蕉消息

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<芭蕉伝記いろいろ>(「松尾芭蕉」昭和36年刊・阿部喜三男氏著)
 
芭蕉伝書といわれる『芭蕉翁二十五条』・『桐一葉』『幻住庵俳諧有也無也関(うやむやのせき)』などの、俳論書あるいは作法書も信じられない。
『翁反故』は二百二十余通を含む「偽書簡集」。芭蕉の書簡で信用できるものは今のところ百五十通ほどであるが、あやしいものの数は、「翁反故」も含めて、その三倍強ほども管見に入っている。
発句についても頴原退蔵校註.山崎喜好増補『芭蕉旬集』(『日本古典全書』)で見ると、存疑句が五三九、誤伝句が二〇四句もある。その他、詠草・画賛・短冊の類にもあやしいものがおびただしくある。まったく油断はできないが、そうしたものの中にも考慮すべきものがないでもない。こうした資料をかきわけながら、なるべく正確な芭蕉伝を書きたいと思う。
<芭蕉、偉人伝説>(「松尾芭蕉」昭和36年刊・阿部喜三男氏著)
 
芭蕉に限ったことではないが、偉人の伝記にはその賛仰・顕彰の気持から生ず余計な詮索や付会、伝説・異説がつきまとう。
たとえば、僧文暁編著『俳講芭蕉談』『芭蕉翁反故文』(一名、花屋日記)『次郎兵衛物語』『凡兆日記』などはいずれも有名だが、虚構的作品。
<芭蕉の生まれと周辺>
 
<生まれた年>(「松尾芭蕉」昭和36年刊・阿部喜三男氏著)
 
芭蕉の生まれた年は、その没年の元禄七年(五十一歳説・1694)から逆算して、正保元年(1644)とされる。
ただし、門人の筆頭其角は五十二歳とし(自筆年譜)、他に五十三歳とする説もあるが、同じく門人の路通(「芭蕉翁誕生記」)や許六(「風俗文選」)・土芳(「蕉翁全伝」)らが五十一歳とし、芭蕉自身が書いたものの中にもこれがよいと思われるものがあるので、享年は五十一歳と推定されるのである。
正保元年は寛永二十一年が十二月に改元された年であるから、寛永二十一年生まれとすべきだという説もあるが、生まれた月日については推測できる資料はない。
ちなみに、この年は第百十代後光明天皇、三代将軍徳川家光の時代であるが、俳壇では中心人物松永貞徳が七十四歳になっていて、その俳論書「天水抄」の稿を書きあげた年である。
 

元禄元年(1688)『芭蕉書簡』素堂46才

 芭蕉…
 和柳御坊様夏花集豚筆跋は御迎侯へ共、名前次第之跡書直し可申と存候へ共、其儘と有之いずれにも近日書添へ可仕候まま、まずまず御まち可被下侯。
 一、素堂主に別書申上候まま是もきぬせつ下さて、書写之事被仰越候へば、ちかき内□□又々□□此通に御座侯。
   朝顔は酒盛知らぬさかり哉      はせを

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