サブやんの何でもジャーナル 山梨・北杜・白州・武川観光ガイド

甲斐駒ケ岳のふもと白州町と武川町の観光を中心に山梨・北杜の観光案内をします

白州散歩路

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 次のページ ]

交通の整備と明治天皇御巡幸

文明開花、殖産興業を目指す政府のもとで意欲的であった藤村県令は、道路整備にも積極的であった。着任して一年を経た明治七年(一八七四)一月の告示で「四方ノ声息通ジ難ク、民情随テ固廼ニ安ソジ物産工業為ニ興ラス」(山梨県政百年史)と述べ、四囲を山岳に囲まれた本県の実態から、殖産興業を推進するためにも道路整備が急務であることを指摘している。以来、甲州街道をはじめ旧街道の修築が急速に進められた。
当時の道路整備は、曲折や高低差の修正、架橋など本格的なもので明治十二年(一八七九)までに、諸道の修築延長が百二十里に達したと伝えられている(県政百年史)整備に要した膨大な経費は、学校建築などと同様に大部分が区、戸長はじめ村の有力者や篤志家の寄付によったというから、当時の諾改革は民問の協力なしには推進し得たかったといえよう。
交通制度もまた新政のもとで改革整備が行なわれた。本県では明治五年(一八七二)、県が大蔵省に提出した会杜創建の稟議にはじまる。これによると各駅(甲州街道の各宿駅のうち、本県内に十八駅)に陸運会社を設立し、相対賃銭で人馬継立業務を行なうというものである。
稼ぎを行なうものはすべて入社し、その鑑札をもたたければ営業できないことになった。陸運会杜はその後の改正を経て、明治八年(一八七五)には全国規模の内国通運会社と連合し、鉄道開通まで主要な運輸機関としての役割を果したのである。
本町の台ヶ原、教来石両宿もこのようにして交通集落としての機能を保ち、近世以上に繁盛した。
おりから地域住民あげて新時代の到来を自覚するようなできごとがおこった。明治十三年(一八八0)、明治天皇の山梨、三重、京都三府県のご巡幸である。ご巡幸は伏見官をはじめ太政大臣三条実美、参議伊藤博文、内務郷松方正義ら供奉する文武百官四百余人を随え、六月十六日皇居を出発したのである。
本県ではすでに四月十三日、県下から各郡長に内達され、二十六日には聖旨を県民に布達、三十日には沿道各町村において心得べきことを各役場へ布達していた。甲州街道を進まれた行列は、甲府に二日滞在後、六月二十二日、午後一時五分、円野御小休所を出発、午後二時十五分、菅原行在所(北原延世宅)にご到着、一泊された。すでに現つ神として尊崇されていた主上をはじめ、新政府の要人多数を迎えて、台ヶ原宿はもちろん沿道各地では近世における大名行列以上に混雑を極めたと思われる。
御泊行在所は菅原村北原延世、御馬車舎は古屋喜代造、御厩は北原延世囲内、御立退所は菅原村蓮照寺、御小休所は教来石駅河西九郎須宅と定められ、五月十八目、近衛局御先発陸軍会計軍吏副横幕直好から次のような指令があった。
○菅原行在所
北巨摩郡台ヶ原駅北原延世
北原延世は酒造業を営み、家宅広く行在所に可なるを以て笹子峠と同じく、五月七日、行在所に内定し、左の箇所の修繕を指令す。
○御泊行在所
一、御浴室並御厨取設ノ事
一、御馬車屋並御馬繋取設ノ事
一、表裏へ内メリノ事
一、門並玄関へ轟張折釘打ノ事
一、馬繋場奥入二付宿並建札ノ事
一、在来便所へ障子〆切ノ事
〆六件
此営繕費金七百六拾五円余、外に私費修繕したるもの、表裏門戸修繕費金百参拾四円余也
御立退所同村蓮照寺
供奉官員以下膚従老の宿割は、駅内及び隣村の民家舎北原慶造外三十余戸に割当する。宿割左の如し。

第一号甲     大臣護衛警官  北原慶造
第一号乙     伏見宮     台原台祥
第三号      参議護衛官   原光太郎
第四号      内閣書記官以下 宮川庚平
第五号      内務書記官以下 原田佐左衛門
第六号      駅逓官員    北原民平
第七号甲     警視以下    清水勘四郎
第七号乙     護衛長     石井半十郎
第八号      大蔵書記官以下 大輪関三郎
第九号      陸軍中将    山田勘兵衛
第十号      陸軍佐尉官   古屋荘平
第十一号甲    騎兵下土以下  山本庄吉
第十一号乙    騎兵下土以下  島口杢兵衛
第十二号     宮内卿     北原篤
第十三号     宮内少輔    北原篤
第十四号     宮内書記官以下 宮川仁左衛門
第十五号     式部助以下   原弘
第十六号甲    待従      古屋茂一
第十六号乙    待従      古屋照時
第十七号     待医以下    小松浜平
第十八号     内膳課     入戸野六平
第十九号     調度課     台原益之
第二十号     内匠課     島口元右衛門
第二十一号    内廷課     北原庄太郎
第二十二号    宮内属     細田信茂
第二十二号ノ内  輿丁      細田董顕
第二十二号ノ内  輿丁      細田治郎吉
第二十三号甲   輿丁      菊原是副
第二十三号乙   御厩課     細田伝
第二十四号甲   宮内属以下   伏見伝八郎
第二十四号乙   宮内弥雇・馬丁 鈴木員村
第二十四号乙ノ内 馬丁      鈴木清兵衛
第二十四号乙ノ内 馬丁      伏見孫右衛門
号外一号     文学御用掛   山田伝左衛門
号外二号     印刷局     大森直竜

○御小休所
御小休所も亦、行在所と同時に内定する。北都留郡田尻駅、犬目駅、花咲駅、初狩駅、東八代郡駒飼駅、東山梨郡日川村、東八代郡石和駅、中巨摩郡竜王村、北巨摩郡円野村、教来石駅の十箇所なり。指定したる家主の氏名及び修繕筒所左の如し。
・北巨摩郡教来石駅河西九郎須
御小休所
一湯殿床下並入口戸締ノ事
一玄関薄縁敷設ノ事
一玄関西ノ方二畳ノ間東ノ方唐紙ヲ障子二替ル事
一門前へ幕串並折釘打ノ事
〆四件


・御休泊所共二御膳水井へ雨除蓋新調井建札取設ノ事
但上屋根有之分ハ不及其義二見込
右の件々現場検査の上御照会および候処相違無之候也
明治十三年五月七目
宮内省十五等出仕中村保福

なお御厩部から次のような指示があった。
仮厩五十三頭建取設ノ事、
北巨摩郡台ヶ原駅山本庄吉、島口多左衛門、島口文左衛門、島口佐次右衛門、鈴木清兵衛、伏見伝八郎、島口嘉吉、山本覚、古屋庄平、古屋茂一
右山本庄吉外九人ハ第十号十一号旅館最寄農家ニテ在来ノ厩ヲ以テ使用ノ積ニ付、別ニ仮建厩ヲ要セザル事
また御膳水については水質極めて精良たるものを選び、四月八日、沿道各郡長に通牒して、予め良水と認むる井水、湧水、流水の場所を調査せしめ、数回水質の分析試験を行ない、宮内省内膳課に報告して次のように採用された。
一、円井御小休伊藤徳右衛門持井戸
一、台ヶ原御泊北原延世持井戸
一、教来石御小休字細入沢湧水
すべて行在所には御厨、御浴室を新設し、御昼行在所及び御小休所には御厨のみを新設した。御浴室は梁間六尺、桁問弐間半、御厩は梁間四尺、桁間九尺、御小休所の御廊は六尺四方羽目板屋根大板葺で、その図面まで示されている。行在所北原延世宅における玉座をはじめ宿泊状況は図面の通りで、北原家の家族は隠宅に移った。また山梨県病院では、台ヶ原駅と下教来石駅に病院出張所を仮設した。
翌二十三日午前七時、行在所を出発。御出門直前に山梨県令藤村紫朗に謁を賜う。七時四十五分教来石駅御小休所(河西九郎須宅)にて休憩。
八時三分ご出発、駅北の端場坂下において早乙女が十四、五人ずつ二組に分れ馬八節を唄いながら田植をしているさまを御通覧たされて長野に向われた。このとき菅原行在所において鳳来村の中山平右衛門、菅原村の小沢らえ、にそれぞれ孝子、節婦として金一封を賜わり賞している。
また各行在所、御小休所等にては、民問より十二、三歳から十六、七歳までの男子にして品行方正容貌端麗なるものを選び給仕として採用した。菅原行在所にては北原忠、北原滝蔵、教来石御小休所にては灰原義一郎、三井幸作、海野義徳がその栄に浴した。

交通の整備と明治天皇御巡幸
 
文明開花、殖産興業を目指す政府のもとで意欲的であった藤村県令は、道路整備にも積極的であった。着任して一年を経た明治七年(一八七四)一月の告示で「四方ノ声息通ジ難ク、民情随テ固廼ニ安ソジ物産工業為ニ興ラス」(山梨県政百年史)と述べ、四囲を山岳に囲まれた本県の実態から、殖産興業を推進するためにも道路整備が急務であることを指摘している。以来、甲州街道をはじめ旧街道の修築が急速に進められた。
当時の道路整備は、曲折や高低差の修正、架橋など本格的なもので明治十二年(一八七九)までに、諸道の修築延長が百二十里に達したと伝えられている(県政百年史)整備に要した膨大な経費は、学校建築などと同様に大部分が区、戸長はじめ村の有力者や篤志家の寄付によったというから、当時の諾改革は民問の協力なしには推進し得たかったといえよう。
交通制度もまた新政のもとで改革整備が行なわれた。本県では明治五年(一八七二)、県が大蔵省に提出した会杜創建の稟議にはじまる。これによると各駅(甲州街道の各宿駅のうち、本県内に十八駅)に陸運会社を設立し、相対賃銭で人馬継立業務を行なうというものである。
稼ぎを行なうものはすべて入社し、その鑑札をもたたければ営業できないことになった。陸運会杜はその後の改正を経て、明治八年(一八七五)には全国規模の内国通運会社と連合し、鉄道開通まで主要な運輸機関としての役割を果したのである。
本町の台ヶ原、教来石両宿もこのようにして交通集落としての機能を保ち、近世以上に繁盛した。
おりから地域住民あげて新時代の到来を自覚するようなできごとがおこった。明治十三年(一八八0)、明治天皇の山梨、三重、京都三府県のご巡幸である。ご巡幸は伏見官をはじめ太政大臣三条実美、参議伊藤博文、内務郷松方正義ら供奉する文武百官四百余人を随え、六月十六日皇居を出発したのである。
本県ではすでに四月十三日、県下から各郡長に内達され、二十六日には聖旨を県民に布達、三十日には沿道各町村において心得べきことを各役場へ布達していた。甲州街道を進まれた行列は、甲府に二日滞在後、六月二十二日、午後一時五分、円野御小休所を出発、午後二時十五分、菅原行在所(北原延世宅)にご到着、一泊された。すでに現つ神として尊崇されていた主上をはじめ、新政府の要人多数を迎えて、台ヶ原宿はもちろん沿道各地では近世における大名行列以上に混雑を極めたと思われる。
御泊行在所は菅原村北原延世、御馬車舎は古屋喜代造、御厩は北原延世囲内、御立退所は菅原村蓮照寺、御小休所は教来石駅河西九郎須宅と定められ、五月十八目、近衛局御先発陸軍会計軍吏副横幕直好から次のような指令があった。
○菅原行在所
北巨摩郡台ヶ原駅北原延世
北原延世は酒造業を営み、家宅広く行在所に可なるを以て笹子峠と同じく、五月七日、行在所に内定し、左の箇所の修繕を指令す。
○御泊行在所
一、御浴室並御厨取設ノ事
一、御馬車屋並御馬繋取設ノ事
一、表裏へ内メリノ事
一、門並玄関へ轟張折釘打ノ事
一、馬繋場奥入二付宿並建札ノ事
一、在来便所へ障子〆切ノ事
〆六件
此営繕費金七百六拾五円余、外に私費修繕したるもの、表裏門戸修繕費金百参拾四円余也
御立退所同村蓮照寺
供奉官員以下膚従老の宿割は、駅内及び隣村の民家舎北原慶造外三十余戸に割当する。宿割左の如し。
 
第一号甲     大臣護衛警官  北原慶造
第一号乙     伏見宮     台原台祥
第三号      参議護衛官   原光太郎
第四号      内閣書記官以下 宮川庚平
第五号      内務書記官以下 原田佐左衛門
第六号      駅逓官員    北原民平
第七号甲     警視以下    清水勘四郎
第七号乙     護衛長     石井半十郎
第八号      大蔵書記官以下 大輪関三郎
第九号      陸軍中将    山田勘兵衛
第十号      陸軍佐尉官   古屋荘平
第十一号甲    騎兵下土以下  山本庄吉
第十一号乙    騎兵下土以下  島口杢兵衛
第十二号     宮内卿     北原篤
第十三号     宮内少輔    北原篤
第十四号     宮内書記官以下 宮川仁左衛門
第十五号     式部助以下   原弘
第十六号甲    待従      古屋茂一
第十六号乙    待従      古屋照時
第十七号     待医以下    小松浜平
第十八号     内膳課     入戸野六平
第十九号     調度課     台原益之
第二十号     内匠課     島口元右衛門
第二十一号    内廷課     北原庄太郎
第二十二号    宮内属     細田信茂
第二十二号ノ内  輿丁      細田董顕
第二十二号ノ内  輿丁      細田治郎吉
第二十三号甲   輿丁      菊原是副
第二十三号乙   御厩課     細田伝
第二十四号甲   宮内属以下   伏見伝八郎
第二十四号乙   宮内弥雇・馬丁 鈴木員村
第二十四号乙ノ内 馬丁      鈴木清兵衛
第二十四号乙ノ内 馬丁      伏見孫右衛門
号外一号     文学御用掛   山田伝左衛門
号外二号     印刷局     大森直竜
 
○御小休所
御小休所も亦、行在所と同時に内定する。北都留郡田尻駅、犬目駅、花咲駅、初狩駅、東八代郡駒飼駅、東山梨郡日川村、東八代郡石和駅、中巨摩郡竜王村、北巨摩郡円野村、教来石駅の十箇所なり。指定したる家主の氏名及び修繕筒所左の如し。
・北巨摩郡教来石駅河西九郎須
御小休所
一湯殿床下並入口戸締ノ事
一玄関薄縁敷設ノ事
一玄関西ノ方二畳ノ間東ノ方唐紙ヲ障子二替ル事
一門前へ幕串並折釘打ノ事
〆四件
 
・御休泊所共二御膳水井へ雨除蓋新調井建札取設ノ事
但上屋根有之分ハ不及其義二見込
右の件々現場検査の上御照会および候処相違無之候也
明治十三年五月七目
宮内省十五等出仕中村保福
 
なお御厩部から次のような指示があった。
仮厩五十三頭建取設ノ事、
北巨摩郡台ヶ原駅山本庄吉、島口多左衛門、島口文左衛門、島口佐次右衛門、鈴木清兵衛、伏見伝八郎、島口嘉吉、山本覚、古屋庄平、古屋茂一
右山本庄吉外九人ハ第十号十一号旅館最寄農家ニテ在来ノ厩ヲ以テ使用ノ積ニ付、別ニ仮建厩ヲ要セザル事
また御膳水については水質極めて精良たるものを選び、四月八日、沿道各郡長に通牒して、予め良水と認むる井水、湧水、流水の場所を調査せしめ、数回水質の分析試験を行ない、宮内省内膳課に報告して次のように採用された。
一、円井御小休伊藤徳右衛門持井戸
一、台ヶ原御泊北原延世持井戸
一、教来石御小休字細入沢湧水
すべて行在所には御厨、御浴室を新設し、御昼行在所及び御小休所には御厨のみを新設した。御浴室は梁間六尺、桁問弐間半、御厩は梁間四尺、桁間九尺、御小休所の御廊は六尺四方羽目板屋根大板葺で、その図面まで示されている。行在所北原延世宅における玉座をはじめ宿泊状況は図面の通りで、北原家の家族は隠宅に移った。また山梨県病院では、台ヶ原駅と下教来石駅に病院出張所を仮設した。
翌二十三日午前七時、行在所を出発。御出門直前に山梨県令藤村紫朗に謁を賜う。七時四十五分教来石駅御小休所(河西九郎須宅)にて休憩。
八時三分ご出発、駅北の端場坂下において早乙女が十四、五人ずつ二組に分れ馬八節を唄いながら田植をしているさまを御通覧たされて長野に向われた。このとき菅原行在所において鳳来村の中山平右衛門、菅原村の小沢らえ、にそれぞれ孝子、節婦として金一封を賜わり賞している。
また各行在所、御小休所等にては、民問より十二、三歳から十六、七歳までの男子にして品行方正容貌端麗なるものを選び給仕として採用した。菅原行在所にては北原忠、北原滝蔵、教来石御小休所にては灰原義一郎、三井幸作、海野義徳がその栄に浴した。
はくしゅうまち・白州町<白州町>
(昭和59年 「角川日本地名大辞典」による)
 
〔成立〕
昭和30(1955)71,鳳来・菅原の2か村と、駒城村の横手・大坊地区,長坂町の一部が分離合併して成立
〔面積〕
137,56km呈〔世帯〕1,264
〔人口〕
4,391
〔町の木〕
アカマツ
町役場〕現在は北杜市白州町支所
408-03山梨県北巨摩郡白州町白須32番地
〔町名の由来〕
町域を流れる大小河川から流出した白砂が形成した白州にちなむ。
〔立地〕
南アルプス東麓の町県の北西端に位置し,甲府の北西約30kmにあたる。東は釜無川を境に小淵沢町・長坂町,南は大武川を境に武川村・中巨摩郡芦安村,西および北は長野県諏訪郡富士見町・上伊那郡長谷村に接する。西は南アルプス北端、東は八ケ岳の山麓の浸食崖七里岩で区切られ標高600700mに耕地・集落が展開している。町の東端を釜無川が南流し,釜無川の支流の南アルプスに源を発する流川・濁川,尾白川などの中小河川が東西に流れ扇状地を形成している。
主産業は農業であるが,町域の約90%が山林で占められている。過疎化現象が進行する中で農業振興や企業誘致のほか,南アルプス国立公園,県立南アルプス巨摩自然公園の一部に属していることから観光開発も進められている。釜無川と並行して国道20号白州町が通る。
〔沿革〕
釜無川右岸台地の遺跡釜無川右岸の標高600700mを中心とした段丘および緩やかな傾斜の台地上に多くの遺跡が残されている。台ケ原の中台遺跡,白須の大久保遺跡や竹宇一帯,鳥原地区などは,縄文前期から中期にかけての大規模な遺跡としてよく知られている。また,下教来石地域の板橋遺跡からは、かつて住居の炉が発見されたと伝えられている。古墳は、鳥原の柏木に円墳があったと記録されている(昭和54年山梨県遺跡地名表),現在は消滅してしまった。奈良・平安期の土器が,竹宇・鳥原・台ケ原の根古屋、および陣ケ原などから採集されている。これに対して,釜無川左岸地域は、急峻な地形のため遺跡は少ないが花水地区の押野からは縄文中・後期の土器や石器,平安期の土師器・須恵器が採集されている。
〔古代・中世〕
真衣野牧古代律令制下における当町域は,巨麻郡に属し,牧の原(武川村)付近から当町にかけては真衣郷に比定される。当郷は平安期御牧の1つ真衣野牧として,甲斐国における重要な馬産地であった。この牧は,八ケ岳山麓に比定されている柏前牧と合わせて,30疋の駒を出すことが定められている(延喜式)
〔白須の松原〕
鎌倉期の史料は乏しく詳細は不明であるが,当町内を鎌倉往還が通り,武川衆の祖一条源八時信が次男貞信を白須に封じたといわれている。白須から北西に釜無川沿いに続く白須の松原は、南北朝期に定良親王がここを通って「仮初の行かひちとは聞しかといさやしらすのまつ人もなし」(李花集/群書14)と詠んだことで有名である。
また教来石は,中世教来石郷とよばれた。戦国期,教来石は馬場美濃守信房の領地となった。白須にその館批と、信房が永禄年間(155870)に移した若宮八幡社がある。また,鳥原には文禄3(1594)に再建された石尊神社がある。集落の東の畑の中に「殿畑」とよばれる屋敷跡があるほか,武川村との境にあたる中山にも中山砦がある。さらに花水地区の裏山には東を大深沢によって浸食された城山があり,天正10(1582)の花水坂の合戦の舞台となった。中世創建の寺院としては逸見清泰の開基と伝える清泰寺(曹洞宗)をはじめ、弘安元年(1278)創立の教慶寺(曹洞宗),弘長年間(126164)創立という来福寺(臨済宗)がある。
〔近世〕
江戸期の村々天正17(1589)の関東総検地に際し,甲斐国の検地は伊奈忠次が行い、慶長年間(15961615)には大久保長安を検地奉行とする慶長検地が行われた。当町域の江戸期の村々は、巨摩郡武川筋に属し,「天保郷帳」には上教来石・鳥原・大瑚11・下教来石・自須・台ケ原・横手・大坊新田(横手村枝郷)・片颪の9か村が見える。
江戸初期の支配は上教来石・鳥原・大武川の3か村が轟府領,下教来石から横手の4か村が旗本馬場氏知行,片颪村が同曲淵氏知行,中期には甲府藩頷、後期には幕府領となっている。
甲州街道の宿場町当町内を甲州街道が通過し,台ケ原,教来石が宿場として栄え,現在でも往時をしのばせる家並み、屋号が残る。台ケ原宿は韮崎,上蔦木に伝送したまた教来石宿は慶長年間の甲州街道設置時には見られないが、後になって台ケ原と蔦木の中間に置かれた。化政期における馬数は台ケ原で50,教来石で39頭を数えている(国志)
なお茶壷道中は台ケ原の田中明神拝殿で一宿した。山口には信州口の関門として番卒が常駐した山口番所が置かれた。天保7(1836)の甲州天保騒動(郡内騒動)では,巨摩郡の村々を打ちこわし北上した一撲勢が,下教来石で1軒,白須で4,台ケ原で3軒を打ちこわし,出兵してきた諏訪藩兵によって教来石付近で鎮圧された。(筆註----これは記載違い、実際は須玉付近)江戸期の寺社としては,13寺・17社を数える。「甲山紀行」「素堂家集」を著した俳人山口素堂は教来石の出身で,20歳頃江戸に出て,松尾芭蕉や戸田茂睡とも親交があった。当町役場内には「目には青葉山ほととぎす初がつを」の句碑がたつ。
〔近現代〕
行政区画の変遷当町域の村々は,明治元年甲府県,甲斐府,2年甲府県の管轄を経て同4年山梨県下となる。
7年駒城村(大坊新田・横手の2か村とほか1か村),
8年鳳来村(上教来石・下教来石・鳥原・大武州の吐か村)・菅原村(白須・台ケ原の2か村)・清春村(片颪村とほか2か村)が成立,
11年北巨摩郡に所属した。
22年市制町村制施行の際清春村の」部(現小淵沢町)を分離し,鳳来村・菅原村・駒城村・清春村はそれぞれ1村で存続した。
昭和30年清春村が長坂町の一部となり(1),
同年7月鳳来村・菅原村および駒城村横手・大坊,長坂町片颪が合併して白州町となる。
過疎化と農業振興明治5年学制にともない菅原学校・教来石学校(のちに鳳来と改称),11年には駒城学校が設立され,その後,各小学校を経て,昭和52年鳳来・菅原・駒城の3小学校を統合し白州小学校となった。昭和22年新しい学校制度にともない菅原村外二力村組合立白州中学校が設置され,30年町立となり,54年新校舎が完成している。
また明治30,県内に相次いで銀行が設立され,当町域にも台ケ原に菅原銀行が設立されたが,昭和5年峡北銀行を経て同12年廃止された。
当町の生産基盤は農業であり,耕地の割合は水田58,42%となっており,生産は稲作が首位を占め,次いで果樹(ブドウ,モモ),畜産(肉牛)などのほか養蚕その他となっている。昭和342度の台風災害を契機として、翌356,677人をピークに人口は減少の一途をたどり,若年層の流出を中心に過疎化の進行が著しい。同39年農業改善事業が開始されたが,45年過疎地域の指定を受け、過疎対策事業を推進している。農業振興をめざし,農地の流動化を図る土地銀行,大型農業機械のリース,共同使用を行う機械銀行,さらに堆肥銀行などのユニークな試みもみられる。なお,下教来石・前沢・白須・中山には,平均3,4戸で組織されたミニ農場があり,肉牛飼料・コンニ
ャク・ハウス花卉などの栽培が行われている。
 
2009/9/20(日) 午前 9:54
... 傾斜の台地上に多くの遺跡が残されている。台ケ原の中台遺跡,白須の大久保遺跡や竹宇一帯,鳥原地区などは,縄文前期から中期にかけての大規模な遺跡としてよく知られている。また,下教来石地域の板橋遺跡からは、かつて住居の炉が発見されたと伝えられている。 ...

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事