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中央線鉄道唱歌 大和田竹起作
(『中央線』第8号 1972 一部加筆)
汽笛一声わが汽車は早や離れたり飯田町
牛込市ケ谷堀の端四谷出ずれば信濃町
千駄ケ谷代々木新宿申仙道は前雇行き
南品川東海道北は赤羽根奥羽線
大久保つつじの花盛り柏木中野に兵営を
見るや荻窪吉祥寺塔を過れば国分寺
立川こえて多摩川や日野に豊田に八王子
織物業で名も高く横浜線の起点なり
浅川行けば小仏ぞ境沢をば早や渡り
与瀬上野原鳥沢や谷間に懸けしは猿橋か
甲斐絹の産地で知られたる郡内地方はこの辺サ
山の申なる大月に水力電気の事業あり
初鹿野塩山向岳寺温泉ききめいと多く
差出の磯の日下部や螢で名高い石和町
次は甲府の城の跡山岳四面に重畳し
甲州一の大都会山梨県庁ここにあり
竜王韮崎日野春は八ケ岳をば右に見て
小淵沢より富士見台海抜三千百余尺
青柳茅野に上諏訪や左に諏訪湖冬ならば
吾もスケート試みん右は温泉諏訪神社
下諏訪岡谷は製糸業煙突繁きは国の富
天竜川は此処に出で遠州灘に注ぎ入る
岡谷辰野を通りすぎ伊那谷渡りて塩尻は
紗たる平野にステーシヨン篠の井線の分岐点
(以上で中央東線終り西線は略す)
ここは名に負う笹子嶺トンネル一万五千尺
かちで越えしはととせ前居ながら通る気楽さよ
待ちに待ちたる中央の鉄路はここに全通し
国運ますます隆盛に栄ゆる御代こそ目出たけれ
終点名古屋でオワリ(尾張)をなごやかに結んでいます。
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天災 人災(台風災害と復旧工事など)
菊島信清氏著(『中央線』第8号 1972 一部加筆)
台風、集中豪雨、地すべり、高汐、地震、津波、雪害などの災害はどうしても避けることができない日本の宿命だろうか。
昭和三三年九月二六日関東、東海を襲った狩野川台風は土石流による被害が大きかった。水害発生の数年前から赤木博士(全国治水砂防協会常務理事、四六年度文化勲章受賞者)などにより、砂防の必要性が強調されていたが、実現するにいたらなかった。
また狩野川の洪水量を計算し、川幅を20メートルにしなければ駄目だと昭和20年頃から叫ばれていたが、沼津市の町中を流れているため地元の反対で、その対策がたてられなかった。そこでやむなく八キロメートルの狩野川放水路を二本こしらえることにしたが、これも土地の補償問題でゆきづまり、工事は少しも進まず、33年切大氷害ではじめて住民の眼がさめたということである。
翌34年9月26日死者5千人を出した伊勢湾台風でも、その二週間前に「愛知県下の高汐対策を急げ」という警告が、名古屋管区行政監察局から出されていたが、何の反応も無かった。海部郡弥富町鍋田部落が一瞬にして海面下に没したのは、地下水のくみあげによる地盤沈下に加えて、防潮堤の裏側にコンクリートが使ってなかった為に堤防がこわれて、海水がどっと押し入ったためであった。
同じ年の8月14日、われわれは永久に忘れることの出来ない七号台風による大水害を被ったのであるが、祖母石は旧桐沢橋(現在の桐沢橋より200メートルばかり上流にあった)の上流堤防(河白堤)が切れて濁流にのまれ、韮崎町は武田橋附近の堤防が切れてあの水禍に遭った。どちらも橋を架けるために川をしぼった所である。桐沢橋も武田橋も旧橋の長さは現在のものの三分の一位であった。当時としては財政面からいっても。技術面からしても長大橋の架設は無理であり、そのしわよせが川へ来たのである。
昭和20年年12月19日韮崎町議会は韮崎土木出張所建設省富士川工事事務所などに対し、武田橋下から船山橋迄の堤防工事を早急実現しないかぎり、工事中の神山地内武田橋上の堤防工事を中止して欲しいと陳情した。このような経緯があったが、神山側の堤防は竣功した。そして34年の七号台風の際その非合法性を暴露したのである。
七号台風の直後、祖母石も韮崎町も次の出水にそなえて仮堤防の築設をいそいだ。仮堤防といっても実態はブルで土砂を盛り上げ、その表法面に鉄線蛇籠を這わせた程度のものである。自衛隊は麻袋に砂をつめて積み上げたが、祖母石の仮堤防は盛立てた土砂の表法面にネコザ(長36メートル、巾1,8メートルの厚手のムシロ)を張り、そして鉄線蛇籠で法覆した。このネコザは七号台風で水につかったものなど各戸から供出してもらったものである。
9月26日真夜中、一五号台風(伊勢湾台風)がたけり狂う中を、私は消防団幹部と避難していた寺の境内を抜け出し、この仮堤防の命運を見きわめようと河原へいそいだ。横なぐりの雨、今にものり越えんとする怒涛の中で頑張り抜いている堤防を見た時の感慨は今も忘れることは出来ない。
9月28日の山日には、奇跡的に助かる祖母石、一ツ谷"とあるが、これは奇跡でもなんでもない、ネコザのお蔭だと私は思っている。
一方韮崎町の仮堤防はムシロで盛土をカバーしなかったために、水位が上がるとともに盛土はくずれ去って蛇籠は転倒し、再び水魔におそわれたのである。
10月25日の山日には、全建設労組の結論として、県の治水計画がその場当りだと非難し、韮崎町の堤防が二度も切れたのは工法の不備でなく、武田橋際(対岸神山町)の県道の取付道路が釜無川につき出しており、釜無川の本流がこれにぶつかりその反射作用で本流が韮崎の堤防を襲ったためだと揚言しているが、私にはそのまま受けとることは出来ない。
以上二、三の例で、治山治水対策や水防体制の是非が、被害を最小限にくい止めたり、逆に大きくしていることがわかる。人災だといわれる所以もここにある。
34年の大水害までの災害復旧のあり方は原形復旧であった。もとの位置へもとの形のものをつくることである。もっとも原形といっても、それはもとの機能を意味するので、場合によっては、位置や形を変えねばならぬこともあった。34年の水害があまりに大きかったので、原形にこだわってばかりいられず、可成り大胆な改良復旧が採択されるようになり、爾後復旧工事は大いに飛躍した。
昭和36年7月25日の山梨時事に、鰍沢町の望月正敏さんは"台風期に思う'と題して次のように訴えている。
また台風シーズンがやってきた。ことしは4,5個が上陸または接近すると聞く。ところでわたしの町、鰍沢町にある鹿島橋は昭和28年4月29日架橋してから、8カ年間にすでに5回流失した。その都度多額の国費を使って復旧し、四回目の架橋も昨年3月よりやく復旧したと思ったら、わずか1年3カ月の寿命で、このあいだの6号台風でまた流れてしまった。この橋が復旧するまでには半年、1年とかかり、保育園や小中学校生、通勤者は渡舟を利用している。この5回にわたる復旧費を計算すると、なんと3千3、4百万円に達し、この額をもって永久橋をかければ、おづり〃がくるくらいの立派な橋ができると思う。わたしがこの地に生まれてすでに70余年、明治30年・40年の大洪水をはじめとして、繰り返される水害にいつも思うのだが、どうしてその場しのぎの工事をするのであろうか。一時の多額の国費をおしんで、結局は損をしているとは、なんと情ないことであろう。
災害復旧について原形復旧か改良復旧かの問題があるが、災害をうけたものがあらかた国の力で原形以上に復旧できるのなら、災害太りの結果となり、だれもが災害を歓迎することになる。オンボロ校舎や古い木橋などをかかえ、財政事情で改修出来ずにいる地方自治体も数多いのに、災害をうけたものだけがどんどん新しいものに替えていけるのなら、災害様々ではなかろうか。
改良復旧の行き過ぎは、公共物尊重の気風を失わせる結果になりかねないという考え方もあるので、仲々望月さんのいわれるようにばかりいかないようだ。
昔は大震災や大風水害を天災と呼んで恐れていた。それは天から下された罰であって、対策のないものだった。科学や技術の進歩した今日でも、人力でいかんともすることの出来ない災害は天災である。人間の努力で防げるのを放っておいて起きるのが人災で、この中には政治の欠陥に起因する政災がある。
しかし天災と人災にはいりまじっている部分があって厳密に区別出来ない。そして天災を大きくするか小さくするかは人間社会の対応のしかたによる。世間一般で人災といわれているものを拾ってみるといろいろあるが、中でも予算が少ないため充分なことが出来なかった場合と、技術の貧困による構造上の欠陥のために招来する災害が一番多いのではなかろうか。
技術の貧困も煎じつめれば金が無いからということになるかも知れないが。
昭和10年9月21日から26日まで降り続いた雨で塩川と荒川が大あれに荒れ、笛吹川に架かる桃林橋が流失した。工事予算が少くて橋脚の根入が充分でなかったとか、橋脚が岩盤に達しなかったとか取沙汰されたが、工費不足による人災というべきだろう。
今年7月五5、静岡県大崩海岸の生埋め事件も人災だとして洞門の設計管理にあたった県の技監ら六人が書類送検されたのも耳あたらしい。四〇年夏山陰、中国地方を襲った豪雨の際起きた鳥根県江川の中国電力浜原ダム浮き戸流失事件は人災を天災に転嫁したとして、地元と中国電力との間で数年も争いが続いた。
大正12年9月1日の関東大震災の被害は1府8県に及び、50万の家が焼けたりつぶれたりした。死傷と行方不明をあわせると25万にものぽったが、このうち地震で押しつぶされたのは、たった2千人だった。天災より人災の方がずっとおそろしい。つい先日行われたエムチトカ島核爆発で日本に地震津波の被害は無かったが、昭和35年5月24日のチリ地震津波によって東北地方の太平洋岸は大被害を受けた。
以上書いた人災はまだ情状酌量の余地があるが、台風来に便来して公共物をこわすという、まことにハッキリした人災もある。かって北陸某県で大雨の際、この機会にとばかり寄ってたかって村道の橋の橋げたを切り、わざと橋を流してしまった事件は裁判沙汰になった。又昭和28年山形県では雪害をあてこんで、町村橋梁がダイナマイトで爆破され、災害査定も立派に通って、見事な橋に架けかえられた。28年頃はこうした風潮が全国的にあり、山梨県でも南巨摩にあった。
(四六・一一・一二)
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