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白州町の食生活 昭和52年 葬式
葬式のときにも、オコワ(お強)を食べた。しかし、これは、アズキを入れないで炊いたものである。また、御飯はたくさん炊くのであるが、 「六人一升」といつて、人数に対しそれくらいの割で米を炊いておけば、オヒツ(お櫃)の底をかじらないで済むといつた。料理には、厚揚げを煮つけたものを出した。また、鰻頭をこしらえてもらって出した。
死亡直後、オブクといつて、生米を粉にし、それを熱湯でこね、ちぎって直径二センチぐらいに丸め、ゆでるか、ふかすかした団子をこしらえた。引き物は、砂糖四キログラムとか、風呂敷・敷布・蒲団カバーなどであった。
野辺送りから帰ってきたら、夕食を出すが、これをノガエリの膳という。この用意は、組の人が手伝う。それが終わると、ゴクロウブルマイといって、食事をお手伝いの人に出した。
大武川では、葬式のときは、豆腐と油揚げとコンニャクを特に使うという。和尚さんには、しらあえと天ぷらなどを出す。葬式の朝、ぼつぼつ隣り組の人が手伝いに来てくれる。女の人は、葬式の買い出しには行けないことになっているので、男の人たちに行ってもらう。女の人たちは、その間に皿の用意をする。また、食事の用意は、御飯係、オシル係、お給仕係、和尚さんの接対係などの当番が決められて、紙に書きはり出されるので、それに従って仕事が行われた。
昼のあいだに、お焼香に来てぐれる人たちへの御飯の用意をはじめる。黒豆を入れて炊いたオコワ(今は白い御飯)・油揚げと豆腐とネギのオシル・コンニャクのしらあえ・蒸しイヵの二杯酢。酢ダコ・馬肉とコンニャクの煮物・巻きすしなどが作られた。特に、肉や魚を使わないということはなかつた。料理が出されるのは、現在は長い御膳で、各々が自分で取って食べてもらうが、以前は、各人に御膳が出された。そのため、「高膳」と「オカサ」(御飯とオシルとおかず、オヒラの四つの碗が重なつている)を使った。
野辺送りの棺が家から出た後、すぐそこで和尚さんが、「七日のお経」を読んでくれるが、その前に和尚さんに、「七日の御膳」が出されないと、お経が読めないという。七日の御膳は、御飯と汁と三つ盛がのっているものである。
夜は、近親者だけで、「精進落とし」を行った。刺身・コイなど、生の魚を必ず使った。

白州町の食生活 昭和52年 晴れの食 結婚式

◇ 結婚式
結婚式の客が席に着くと、まずオチャが出される。それから、式の始まる前になるとオチッキというオスイモンが出る。これは、細いソウメンが一口ぐらい入っている吸い物で、「おちついて式が始められるように」とか、「嫁家におちつくように」とかの意味があるという。
婚礼に出される料理の膳を、会席膳と呼ぶ。
これに出されるものは、クチトリ・スズリブタ・サラモリ・オタイビキ・オヒラ・オスイモン・トリザカナがある。
◇ クチトリ
きんとん。ようかん。ミカン・ハスの煮物・コイなどが、箱に入れられているものである。
◇ スズリブタ
魚(サバ)。紅自のカマボコ・ハマグリなど、三品ほどが、籠に入れられており、家に持ちかえるという。また、その品は、家々により異なるという。
◇ サラモリ
魚・昆布・ハス・スルメ・リンゴ(ミカン)。たてずし(かんびょうやニンジンを芯にしたノリ巻で、 一本を半分に切り、それをまたななめに切って立てたもの)・カン詰・チクワ・ナルト巻きなど、五品が箱に入っているものである。ぉみやげに、家に持ち帰ったという。
◇ オタイビキ
尾頭付きのマス(ますます繁盛を祈り)、あるいは、記念品となるものを出した。
◇ オヒラ
ニンジン・ゴボウ・シミ豆腐・昆布・イモの五品を醤油のうす味で煮つけたもの。碗によそって出した。
◇ オスイモン
これは、花嫁がお色直しをするごとに違ったオスイモンが出された。三回お色直しをすれば三回、五回お色直しをすれば五回、オスイモンが出された。鶏肉を使ったトリズイモンや、カマボコ・貝。キノコなどのオスイモンであった。
◇ トリザカナ
佃煮・田作り・豆(末広になる)・ゴボウの煮物・コンニャクと肉の煮つけ。キンピラ・ホウレン草のおひたしなどが、大きな皿に一品ずつのせられ出されるものである。それは、上座から両協へ、そして下座へと回されていく。その間に、自分の食べる分だけ取っていくのである。トリザカナは、五品〜七品ぐらいが出された。五品〜七品のトリザカナは、 下度に出されるのではなく、かん酒が出されると一品のトリザカナ、次のかん酒が出されると次のトリザカナというふうに出された。そのため、式の前に何献ぐらいのかん酒を出すか、 一応決めておいたという。
終わりに、アズキの入ったオコワやソバが出される。引き出物には、鶴亀や松竹梅のラクガン・魚(マス)あるいは、蒲団縞一反などが出された。
◇ 結婚式の料理で使つてはいけないものに、豆腐があった。これは、「くずれる」「白ばっくれる」とかいわれて、使わなかつた。
結婚式の料理を作るのは、大きな家ではリョゥリバンをたのむこともあつたが、普通は、近所の女たちや親戚が集まって料理した。
大武川では、越後から来て富士見町に住みついた、ちゃちゃという人に、料理の献立を一切任せた。その際、親戚の娘二人や、近所の人が配膳をしたといぅ。
結婚式のあと、または次の日に、夫婦は餅を撒く。一般に「オチツキ餅」といわれ、夫婦がおちついて平和に暮らすようにと願ってつくものであつた。ついた餅は、親戚や近所の人に配った。

白州町の食生活 昭和52年 肉

特に冬の間は猟をしたので、「冬はネギさえよせておけばいい」といわれていた。獣肉とネギを煮たのである。
◇ウサギ
クビッチヨ・ウサギオイでとつた。鉄砲でとったウサギは片足を吊し、のどを切って血を抜き、ひっぱって皮をはがす。
ウサギの肉を油揚げなどと甘からく煮つけて、御飯とませる料理をウサギ御飯・ウサギメシという。また、肉をダイコンの葉や豆腐・ネギといっしょに味暗味にして煮たり、 スキヤキ風にしたりして食べた。ナカモノ(内臓)は食べられないところを除いて煮て食べた。
煮た骨はかじったり、金ヅチでたたいて粉にし、酒を入れてまるめ、味噌汁に入れて食べたりした。  
ウサギは冬の御馳走だった。
◇ 馬
以前は各戸で馬を飼っていたので、馬を食べることが多かつたという。富士見町に肉屋があり、諏訪方面から馬肉を売りに来ることもあつた。馬肉のことをオタンポという。
◇ 猫
鳥の肉のように柔らかくおいしいので、ニャンコドリといわれ、よく食べたという。クビッチョでとつた。煮ると、アワがたくさんでるという。
◇ 他に犬・イノシシ・クマなどの肉を煮て食べることがあつた。「赤犬食べれば冷えに効く」といわれている。イノシンは焼き鍋にする。肉は最高だという。
◇ 鳥
スズメはそのまま棒にさして、イロリの熱い灰の中に入れたり、ぬれた新聞紙にくるんで蒸し焼きにしたりして、醤油をつけて食べた。キジ・ヤマドリ・ハトなどの肉はネギと煮こんで食べた。「ハト三羽でキジ一羽」といわれるほどに、キジは大きく、食どころが多かったという。
◇ ハチ
ジスガリというハチの子を炒って食べた。また、油でいため、甘からく煮て御飯に混ぜて食べるのをハチノコメシという。

白州町の食生活 昭和52年 魚

静岡などから売りにくる塩漬けの物と、諏訪湖から売りにくる生魚類と、近くの川で採る物とに分かれる。サケ・マス・サンマなどは静岡や諏訪方面から売りに来た。
サンマは塩漬けの箱ごと買い、二・三戸で分けたという。
サケ・マスはカス漬けにすることもあつた。
他にイワシ・チリメンジヤコ・シラウオなどを売りに来た。
諏訪湖のコイ・マス・シジミなどを売りに来ることもあつた。
◇ 秋刀魚ご飯
サンマは、サンマ御飯にすることもあつた。作り方は、サンマのワタをとっておき、ナペに入れた米の上にのせて煮る。米五合にサンマは二匹の割で入れる。米が煮立ったときに、醤油を米一升に一合の割で入れ、煮あがったら、頭と骨を抜く。そしてフタをして少しならしておき、よく混ぜてから食べる。秋のコバシアゲのときなどによく作ったという。
また、近くを流れる釜無川・尾白川で、ヤマメ・イワナ・カジカ・ハヤ・ヒブリ・アユ・ドジョウ・ウナギなどが採れる。串にさして焼いて煮たり、天ぷらにしたりして食べた。

白州町の食生活 昭和52年 野菜・根菜

◇ 漬け物や汁の実・煮物などいろいろな副食として用いられる。サトイモは種の保存ができないのであまりつくらないが、イモガラを味噌汁に入れたり、ダイコンと煮たりして食べた。
サツマイモは戦争中頃伝わってきた。他に、ササゲマメ・キナコマメ・大豆などが食べられた。

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