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白州町の食制 主食(昭和52年)麦
昭和三〇年頃までは、米に麦を混ぜたバクメシ(麦飯)が主食であつた。米と麦との割合は各々違うが、米三対麦七、米五対麦五の割合が一番多い。なかには麦が一割程度という豊かな家もあつた。麦はそのままだと固いので、 一度煮てノリを取る。このようにした麦のことをエマシ麦という。エマシ麦は米といっしょにさらにといで炊いた。また、量を多くするために麦メシにカボチヤやサツマイモ・ダイコン・ダイコン葉などの野菜や、アフ・キビなどを入れた。これをカデメシという。 パクメシにダイコンを入れた御飯のことをデエコメシと呼び、よく作られた。さらに、麦だけの飯をサラバクといつた。
また、どんなに豊かな家でも使う米の量を節約し、残った米を売った。
弁当には、麦メシの上に、別に米をのせて炊き、米を持っていった。また、 一家の主人は麦メシでも麦の部分をはじいて米の部分を食べた。老人や子どもにも米の部分を食べさせた。
一般に、麦メシとトロロの組み合わせはおいしいものだといわれている。麦メシの中でも米八に対して麦二の割合が一番おいしかったという。

白州町の食制 農繁期の食事(昭和52年)

農繁期には、三回の食事に二回の間食が加わり、 一日五食になる。
問食は午前一〇時頃と午後四時頃で、
前者をナカイン・オナカイレ・オチャ・コビルと呼び、
後者をヨウザケ・オョウザク・オョウダケ・オチャノミと呼ぶ。
また、朝早くの食事をアサヅクリという。
間食はスタが来ていない場合には、アサハンはオヒルの残りものを食べる。特に腹にたまるように、デンプン質の多いものを取った。
スケ(助っ人)が来ている場合(特に、田植えのとき)には、オヒルとユウハンと二回の間食には御馳走をつくつてふるまった。
オヒルには米飯・味噌汁。漬物・煮物など、ユウハンには酒や刺身・煮こみなど、間食には、アズキ入りのオヤキ(アズキを中に入れて焼く)。米飯のおにぎり。オコワ・餅頭・ボタ餅・団子。オイナリサン・ウスヤキなどを作った。そして、オコワなどを重箱に入れ、「うちのオオタを食べて下さい」と、となり近所に配った。食事の支度には、同じ組の女衆が二〜三人、 一日中手伝った。

白州町の食制 朝飯・昼飯・夕飯(昭和52年)
◇ アサハン・朝飯(アサメシ)
オヤキ・麦メシ・漬け物・煮物・前夜の残りのホウトウ
◇ オヒル(ヒルメシ)
朝の残りの麦メシ・オヤキ
◇ ユウハン(ヨウメン・夕メシ)
夜は、麺類(ホウトウ。長手のウドン・ヒヤムギなど)
一日三回が一般的である。

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