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NPO白州町観光協会地域資料 白州町の気象災害 水害の歴史(古代〜江戸時代まで)
◇日本武尊(やまとちたける)入国の折、底地一帯湖水となった。この時玉を埋めて退水を祈ったとあるが、これが水害記録の最初である。
◇養老年間(718年ころ)
僧行基が旅の途次、洪水になやむ住民を救うため富士川を開いて治水に努めたと伝えられる。
◇天長2年(825年)
御勅使川の氾濫により釜無川は流路を変え、甲府盆地は大湖水となり、「水没せる人命田畑算なし」とある。このあと武田信玄在世までの60年〜70年間にも天災地変が格別多かったようである。
◇天文9〜11年(1540〜1542年)
大洪水、とくに11年寅年釜無川大洪水となり、秋8月より冬11月まで甲州一円泥砂の海と化し去る。
「沃野も一木の青葉をとどめず、人畜の被害算うに堪えず。信玄見て以て邦家の大事之に過ぐるなしとし、これより一大土工を起さんとす。」
このようにして万代不朽の竜王信玄堤は16年の歳月をかけ、弘治3年(1557年)完成した。
これより記録されているものとして
◇元亀元年 (1570年)、
◇天正2年 (1574年)、
◇天正11年(1583年)、
◇慶長6年 (1601年)、
◇承応3年 (1654年)、
◇元禄2年 (1689年)、
◇正徳3年 (1713年)、
◇正徳5年 (1715年)、
◇享保5年 (1720年)、
◇享保13年(1728年)。
この年は日本自然災害年表にも諸国大風雨洪水とあるように白州町にも相当な被害があったと思われるが資料がない。
◇延享4年(1748年) 白州町台ケ原
川除内目論見書上帳(台ケ原村)
尾白川通石積8ケ所、延長88間、
腹付10ケ所、延長254間、
枠5ケ所四九組、
堀川1ケ所長10間、
往還築立一ケ所、長五間、
釜無川通石積腹付1ケ所30間
右の通大破ニ付村中立合内目論見仕候、
延享4年卯12月、台ケ原村(帳箱)
◇延享五年(1748年)白州町鳥原
延享五年辰六月、御注進書之事、家九軒営月五日満水ニ而水押掛ケ候ニ付(鳥原渡辺源輝所蔵)
○宝暦七年(1757年)白州町大坊
当五月満水ニ而御川除ハ不及申上御田地流出仕田畑山崩石砂入ニ罷成道橋押崩シ百姓十方にくれ難儀至極仕候、
宝暦七年七月(大坊新田村道村初夫所蔵)
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