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素堂54才 元禄八年(1695)甲斐に入る 甲斐は妻の故郷『甲山記行」』自著
それの年の秋甲斐の山ぶみをおもひける。
そのゆえは予が母君がいまそかぴしけるころ身延詣の願ありつれど、
道のほどおぼつかなうて、ともなはざりしくやしさのままその志をつがんため、
また亡妻のふるさとなればさすがになつかしくて、
葉月の十日あまりひとつ日、かつしかの草庵を出、
むさしの通を過て
かわくなよわけこし跡はむさしのの月をやどせるそでのしら露
其日は八王子村に宿り、十二日の朝駒木根の宿を過、
小仏峠にて山窓や江戸を見ひらく霧の底上野原に昼休、
これより郡内領橋泊。橋の長さ十六間、両方より組出して、
橋柱なく、水際まで三十三尋、水のふかさも三十三ひろあるよしをまうす
暫止吟 鞍往又帰 渓深苔滑 水音微
雲埋老樹猿橋上 未聴三声沾客衣
勝沼昼休み、此ところあふげば天目山、臥てみれば一里ばかりの間みな葡萄の実なり。
下くぐる心は栗鼠やぶどう棚
伊沢川日上人(日蓮)の一石に一字書つけてながし玉ふも拾ひつくして求るによしなし。
さびたりとも鮎こそまさめただの石
十三日のたそがれに甲斐の府中につく。外舅野田氏をあるじとする。
十五夜
またもみむ秋ももなかの月かげにのきばの富士の夜のひかりを
十三夜三寂興行に
楓葉巻簾入興時 主賓相共促新詩
今宵玉斧休脩月 二八蛾眉猶是宣
晴る夜の江戸よりちかし霧の不二
十九日信玄公の古府中を尋侍りて
古城何虜問栖鴉 秋草傷霜感慨多
力抜山今時不利 惜哉不唱大風歌
城外の夢の山にのぼりて奇石を見出し、草庵へむかへとりて山主人に一詩をおくる
万古高眠老樹起 一朝為我落塵?
石根臆見白雲起 今尚不醒在夢山
二十一日身延へ詣けるに青柳村より舟を放て
竹興破暁城門 紅葉奪名青柳村
十里舟行奔石上 急流如矢射吟魂
はき井の村につきて其夜はふもとの坊にやどりし。
元政上人の老母をともなはれし事をうらやみて
ゆめにだも母そひゆかばいとせめてのぼりしかひの山とおもはめ
一宿延山下 終宵聞妙音
清流通竹鳴 閑月落松陰
暁見姻嵐起 偏忘霜露侵
鐘鳴猶寂箕 好是洗塵心
翌朝山上にのぼりて上人の舎利塔拝て、かひの府より同道の人
上人の舎利やふんして木々の露
北のかたへ四里のぼりて七面へ詣けるに、山上の池不払して一点のちりなし。
此山の神法会の場に美女のかたちにて見え給ふよしかたりけるに
よそほひし山のすがたをうつすなる池のかがみや神のみこころ
下りには一里ばかりの間松明の火にてふもとの坊に帰りぬ。翌日甲斐の府へ帰路の吟、
蔕おちの柿のおときく深山哉
重九の前一日かつしかの草庵に帰りて
旅ごろも馬蹄のちりや菊かさね
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