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白州町の民族 相互扶助〔ユイ〕
『白州の民族』東洋大学民族研究会編 昭和52年度調査報告より
【菅原・鳳来地区】
菅原・鳳来地区では、農繁期の人手が必要なときに労力を交換することをユイと言っている。主に田植えのときにユイを組むが、現在ブドウ栽培仲間でもユイを組むブラク(部落)もある。労力に対して労力で返すが、ユイ返しができない場合政人に金を支払ってユイを組んでもらったり、田の草取りや稲刈りに手伝いに行ったりする。
またユイをまったく組まず、ソウトメ(早乙女)を頼む家やユイを組み他にソウトメを日雇いで頼む家もある。大武川では、富士見町からソウトメ(早乙女)を頼み、また白州町の他地域に早乙女として手伝いに行く。マンガアレ・農休みのときに手伝いに来た人に餅やオコワ(お強)を配った。昭和四元年頃から機械化が進み、また兼業農家のため、ユイも減少しつつあり、行われていがいところも少なくない。
【台ケ原】
台ケ原では、以前近隣一五名くらいで田植え・稲刈りなどのときにユイを組んだ。ユイに手伝いに来た人には夕食をふるまった。コバシアゲのときには、ユイを組んだ人を呼んで餅とかオコワなどをふるまった。
昭和四元年以後機械化が進むにつれてあまり行われなくなった。現在ブドウ組合(約五〇戸)で気の合った者同志でユイを組んでいる。年二回(五月下旬・六月下旬)ブドウの蕊付けにユイを組む。薬掛けか笠掛けのときは日雇いで人を雇っている。
【白須下】
白須下では、気の合った者同志四・五戸でユイを組む。一戸一名が手伝いに行く、間に合わないときは富士見町からソウトメを頼む。田の草取りのときにはユイを組むことがあるが、稲刈りのときはユイは組まない。藤島氏(転出)に米一升を持って行き、手伝いを斡旋してもらうことがあった。小林壽一氏宅ではユイを組まず、近隣の人に金を支払って手伝いに来てもらった。
【白須上】
白頂上では、田植え・田の草取り・稲刈りのときにユイを組んだ。シンルイ(親類)や親しくしている家と組む。「オユイをしてくれや」と言って頼んだ。四・五年くらい前から機械化が進み、ユイを組まなくなった。現在養蚕の手伝いに近隣の人を頼む。三五〇〇円から五〇〇〇円くらい賃金を支払う。
【前沢】
前沢では、近隣の家とユイを組んだ。植原一郎氏宅では、蚕上げのとき山田完治氏宅(仲人・親分)とユイを組んだことがある。
【竹宇】
竹宇では、田植え・稲刈りのとき近隣の家三戸から五戸とユイを組む。またプラク内の田植えの上手な人に全て頼むこともある。
【松原】
松原では、田・畑の手伝いのために金を支払って来てもらう。これをオヤテットという。
【鳥原】
鳥原では、行政の組二組で昭和二七年から三一年頃まで共同で田植えを行っていた。
【下教来石】
下教来石では、気の合った者同士三戸・四戸から七戸くらいでユイを組む。苗まきをしめる頃話し合って「ユイにしてくれねせぇ」と言って頼む。農休みのときには田植えを無償で手伝ってくれた人に餅を配った。またコバシアゲのときに稲刈りに手伝いに来てくれた人にふるまった。
【上教来石】
上教来石では、気の合った者同士四戸から一〇戸ぐらいがユイを組む。親分を中心として組むこともあった。ソウトメとして富士見町から頼むほか、近隣の家に金を支払って頼んだ。古屋栄一氏宅では、ユイを組むほか富士見町からソウトメを二〇名くらい頼んだ。
【山口】
山口では、ソウトメはオソウトメと呼ばれ、以前は娘だけを指したが、現在では手伝う人すべてを指す。名取留三氏宅では、ユイを組む家が決まっている。
【大武川】
大武川では、ユイは田植えのときに組む。プラク全体で都合のよい家五戸から八戸くらいと組む。ユイを組むほかシンルイ(親類)が手伝いに来る。一年くらい前から自分で都合のよい日を決めて頼みに行く。
以前はユイに手伝いに来た人にふるまった。ユイは人足で行い、一人が手伝いに来たら一人が手伝いに行く。ユイ返しのできない場合は稲刈り・養蚕の手伝いに行き、差ができると日数・金で補う。七月三日のマンガアレに手伝いに来た人に併を配る。この日に春頼んだ人に費用を支払う。またソウトメの世話をする人は、名取八重子:甲山正子両氏と決まっている。
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