|
白州町の生活用水の歴史(「白州町誌」) 鳥原集落水道設置趣意書
鳥原集落の人が如何に熱意をもって水道設置に努力したか左に記す「趣意書」でもうかがえる。
○ 鳥原集落水道設置趣意書
西に重なる連山の麓に東西傾斜に位置して、狭隘たれども愛耕せる農地を眺めるとき、往時より稍恵的農山村でありしやの本区であつたとも思惟されるが、国道を離れること九百メートル、古くより道作(みちつくり)と称し、歳々の行事とし来るも、今日尚山道に等しくまた往大神の池水、陣場の溜池、伏之木沢の引用水、或は区内数ケ所に弁水を求めて深さ十数メートル余を掘襲するも、なほ湧水なく一、二その残骸を残すのみ、この間飲用水使用上の注意の声は年を重ねて大きく叫ばれる。
これらの痕跡をみるにつけ、佳年交通不便と環境衛生の不備とに幾多吾等の祖先が苦悩し来りたるかを物語るものである。大東亜戦争(第二次世界大戦)敗戦直後より、文化建設という急速の流れに即応して、吾等の生活の向上文化生活の実現を計らんとするには、先にこれ等積年の難事を解決せねばならない、その機を与へられたのである。
昨年、昭和二十七年度道路改修促進の運動は、その成果をおさめ国道より福昌寺前までを三ケ年計画にて、県ならびに村の助成金とを合せ、年度内の着工とたり第一期工事は遂行された。
衛生不備の根源たる利水については、水道敷設の声となり、歳を重ねて高まるも、文化は農村財政を窮地に追い込みつつあり、財政的至難事として一時かえりみられなかつた。現況より共有林立木の財源に拠るの外、術なきことに思惟するに至る。
たまたま、三ヶ村組合立中学校建設負担金を、先祖の残せる共有林石尊神社裏山・小鷹山一部等立木売却金を以て充当することに、一決せることに便乗して最少限度に本工事費にも一段の協力を希望してやまず、その配分金を得て、漸く吾等多年の宿望に十の曙光を求め得たるも歴史的木年の大凶作に遭遇し、その恐怖感は吾等の初志を挫かんとせしに区民等しく悲壮なる決所をなし、参百五十有余をくだらない利水の便の為また子々孫々の為一挙に本工完遂さすべく選進せるものなり。
想うに先祖の残せる財力は、永遠に光となって消えないでしょう。史上いまだ知らない大凶作は吾々に僅か三、四ヶ月の保有米を与へしのみ。この一大恐慌時に全長弐千有余米の本工事(詳細本工事設計書)五十日間に亘り、使役延人員七百有余人を以て、完遂の域に達せしめたる熱と力の結晶は、文化の遺産となって水の流れとともに永久に尽きないでしょう。<祖堂しるす
|