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白州町の生活用水の歴史(「白州町誌」)河川利用と伝染病

一度伝染病が流行すると、この用水を通じて蔓延したものである。この悩みをたくすため、井戸を堀さくし飲料水の確保につとめたが、どうしても井戸が得られない所もあり、ようやく共同井戸を堀って利用している地区もあった。
○鳥原地域の水利用

一例を鳥原集落にとってみると、一見水は豊富に恵まれている地区に思われるが、集落中央を流れる用水は、飲料水とかんがい用水に使われ、水田に水が使われる時期になるとそれこそ水の分配に大騒ぎとなる。雨が降って用水の水が濁っていても一家の主婦は朝早く起きて飲料水の確保にやっきとたる。
農の最盛期には飲料水にこと欠くときがしばしばあるという現状を考え、当時の渡辺喜久治区長らが先頭にたって、当局に陳情したり、区有林等から財源を確保し、昭和二十九年(1954)十月十日簡易水道の認可申請が行なわれたのが白州町の水道の始めであった。以後各集落は水道の設置に努力したので、各集落にそれぞれ水道がひかれ飲料水は勿論生活改善にも大きた影響を与えた。

白州町の生活用水の歴史(「白州町誌」)水道の変遷
我が国の井戸の歴史は古く、弥生期ごろ圭言われている。そのころから農耕が始まり、かんがい用水を求めるために河川、湖沼から導入したり、土堰堤を築いて貯水するなどの技術が発達し、同時に生活用水を供給する役目を果していた。公共給水のため築造された水道の起源は明らかではたいが、安土桃山時代から江戸時代にかけてであろうと推測されている。
水道がない時代には各河川から水路(堰)をつくり飲料水に利用していた。勿論井戸水・湧水(泉)も利用していた。白州町内各集落では次のような水路(堰)が利用されていた。
大武川 ―まえ川、新泉の水
山口  ―大目沢の水
上教来石―宮沢川
下教来石―加久保沢、流れ川
鳥原  ―濁川(神宮川)、松山沢川
荒田  ―域の沢、松山沢川
松原  ―濁川(神宮川)
前沢  ―田沢川
竹宇  ―田沢川、尾白川
白須上 ―田沢川、濁川(神宮川)、雨ごい堰
白須下 ―雨ごい堰、しょてい(所帯)川、尾白川
台ヶ原 ―尾白川
花水  ―深沢川、釜無川
横手  ―宮沢川、さわがみ沢、横手堰
大坊  ―湯沢、横手堰、新田堰

白州町の民族 相互扶助〔ユイ〕
『白州の民族』東洋大学民族研究会編 昭和52年度調査報告より
【菅原・鳳来地区】
 菅原・鳳来地区では、農繁期の人手が必要なときに労力を交換することをユイと言っている。主に田植えのときにユイを組むが、現在ブドウ栽培仲間でもユイを組むブラク(部落)もある。労力に対して労力で返すが、ユイ返しができない場合政人に金を支払ってユイを組んでもらったり、田の草取りや稲刈りに手伝いに行ったりする。
またユイをまったく組まず、ソウトメ(早乙女)を頼む家やユイを組み他にソウトメを日雇いで頼む家もある。大武川では、富士見町からソウトメ(早乙女)を頼み、また白州町の他地域に早乙女として手伝いに行く。マンガアレ・農休みのときに手伝いに来た人に餅やオコワ(お強)を配った。昭和四元年頃から機械化が進み、また兼業農家のため、ユイも減少しつつあり、行われていがいところも少なくない。
【台ケ原】
台ケ原では、以前近隣一五名くらいで田植え・稲刈りなどのときにユイを組んだ。ユイに手伝いに来た人には夕食をふるまった。コバシアゲのときには、ユイを組んだ人を呼んで餅とかオコワなどをふるまった。
昭和四元年以後機械化が進むにつれてあまり行われなくなった。現在ブドウ組合(約五〇戸)で気の合った者同志でユイを組んでいる。年二回(五月下旬・六月下旬)ブドウの蕊付けにユイを組む。薬掛けか笠掛けのときは日雇いで人を雇っている。
【白須下】
 白須下では、気の合った者同志四・五戸でユイを組む。一戸一名が手伝いに行く、間に合わないときは富士見町からソウトメを頼む。田の草取りのときにはユイを組むことがあるが、稲刈りのときはユイは組まない。藤島氏(転出)に米一升を持って行き、手伝いを斡旋してもらうことがあった。小林壽一氏宅ではユイを組まず、近隣の人に金を支払って手伝いに来てもらった。
【白須上】
 白頂上では、田植え・田の草取り・稲刈りのときにユイを組んだ。シンルイ(親類)や親しくしている家と組む。「オユイをしてくれや」と言って頼んだ。四・五年くらい前から機械化が進み、ユイを組まなくなった。現在養蚕の手伝いに近隣の人を頼む。三五〇〇円から五〇〇〇円くらい賃金を支払う。
【前沢】
 前沢では、近隣の家とユイを組んだ。植原一郎氏宅では、蚕上げのとき山田完治氏宅(仲人・親分)とユイを組んだことがある。
【竹宇】
 竹宇では、田植え・稲刈りのとき近隣の家三戸から五戸とユイを組む。またプラク内の田植えの上手な人に全て頼むこともある。
【松原】
 松原では、田・畑の手伝いのために金を支払って来てもらう。これをオヤテットという。
【鳥原】
 鳥原では、行政の組二組で昭和二七年から三一年頃まで共同で田植えを行っていた。
【下教来石】
 下教来石では、気の合った者同士三戸・四戸から七戸くらいでユイを組む。苗まきをしめる頃話し合って「ユイにしてくれねせぇ」と言って頼む。農休みのときには田植えを無償で手伝ってくれた人に餅を配った。またコバシアゲのときに稲刈りに手伝いに来てくれた人にふるまった。
【上教来石】
 上教来石では、気の合った者同士四戸から一〇戸ぐらいがユイを組む。親分を中心として組むこともあった。ソウトメとして富士見町から頼むほか、近隣の家に金を支払って頼んだ。古屋栄一氏宅では、ユイを組むほか富士見町からソウトメを二〇名くらい頼んだ。
【山口】 
山口では、ソウトメはオソウトメと呼ばれ、以前は娘だけを指したが、現在では手伝う人すべてを指す。名取留三氏宅では、ユイを組む家が決まっている。
【大武川】
 大武川では、ユイは田植えのときに組む。プラク全体で都合のよい家五戸から八戸くらいと組む。ユイを組むほかシンルイ(親類)が手伝いに来る。一年くらい前から自分で都合のよい日を決めて頼みに行く。 
以前はユイに手伝いに来た人にふるまった。ユイは人足で行い、一人が手伝いに来たら一人が手伝いに行く。ユイ返しのできない場合は稲刈り・養蚕の手伝いに行き、差ができると日数・金で補う。七月三日のマンガアレに手伝いに来た人に併を配る。この日に春頼んだ人に費用を支払う。またソウトメの世話をする人は、名取八重子:甲山正子両氏と決まっている。


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