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この場所は須十年にわたりゴミ捨て場となっている。ごみの種類はありとあらゆるものがあり、危険物もある。このゴミの下を流れる雨水は釜無川に流れ込む。 |

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この場所は須十年にわたりゴミ捨て場となっている。ごみの種類はありとあらゆるものがあり、危険物もある。このゴミの下を流れる雨水は釜無川に流れ込む。 |
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2ほんの桜 |
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味噌ナメ地蔵 宮久保 進藤兵衛(『こぶちさわ昔ばなし』部落の部)
昔、宮久保部落の財産家の屋敷内に地蔵尊を柁って信仰していた。ある日、不幸にして火災が起り住宅は全焼したが、’幸に家人には何らの怪我も無かった。翌日焼けあとを片つけていると焼きすすけた地蔵尊の石蔵が堀り出された。不思議に思って屋敷内の桐の内に杞ってある地蔵さんを調べて見るとお姿がない。これは地蔵さんが家人の身代りになって焼きただれたのである。家人も地蔵尊の御慈悲の深さに改めて有難く新たに部落の薬王寺の東隣へ堂宇を建立して柁り、そして味噌を塗って地蔵さんの焼けあとが早く治る様にと心がけて供養してやった。すると部落の人達も地蔵尊の御功徳を信仰するようになり、申し合せて毎月二十四日を期して地蔵堂に集まり米のお団子を供え御真言、「オンカアカアサマエイソワカ」 を二百回奉唱したと言う。
其の後村の子供等を始め老若男女が集まる様になり、行事後供えたお団子を集った人達に投げ与え、月例祭日には益々盛大になり、お地蔵さんに味噌を塗って祈願すれば、やけどばかりでなく、諸病が治ると言い伝えられて、月例祭はもとより普通日にも近郷、近在から参詣する人が多く「厄除味噌ナメ地蔵。」となって有名になった。
ところがこの地蔵堂が火災を起して堂宇は全焼したが、地蔵尊は石像仏であったので焼失する事はなく、止むを得ず堂の再建もせず薬王寺本堂へ仮柁した。寺の東隣に平地四角面の礎石が残っている。これが地蔵堂の跡である。あれ程盛大の祭年であった味噌ナメ地蔵も今は味噌を塗る人もいず、祭もなく春秋二回部落の役員が簡単の祭事を行うのみになった。
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二百年来の伝統行事 上笹尾 進海正道氏著(『こぶちさわ昔ばなし』部落の部)
私の部落には安政七年の昔、建立された秋葉山献燈碑がある。先々代から島屋敷部落民は火災防除祈願のために家々が順番で毎夜欠かさず忘れずに献燈を続けている。
しかも、二百数年の昔より行われて来た、油皿へ灯芯を用いての献燈を昭和五十三年の今日迄その慣行が引つがれて精進しているので勿論今後永久に止める事はない。
秋葉山献燈にこのような油皿灯芯の方法については近来は他には無いもの尚且つ毎夜であることを部落の誇りでもある。
昭和十二年大地震の時意外にも倒伏したのであるが、部落民総出動で立直した。その時電灯を引こんではという意見もあったが、火の用心、防火観念が消滅することになってはいけないと従来通りの油皿灯芯献燈にすることになった。安政七年以来部落では遠江国秋葉神社へ毎年部落民交代で参拝していたが、大東亜戦争となり交通事情、宿泊所等の不便が生じたので代参拝は中止して、その変り毎年正月五日には部落全員一同会合して拝礼の式を行って、昔からの代参当時の思い出になつかしく話し合っている。幸い秋葉神社の御守護で二百年以来私の部落には火災が起きた事なく各人火の用心はしているとはいえ誠に喜ばしい事であり、又誇りともしている。
この無火災の誇りを無くさぬよう今後とも秋葉神社への油皿灯芯献燈を続け常に防火観念は失う事はないであろう。
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