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白州町の民族 風呂

白州町の民族 風呂
『白州の民族』東洋大学民族研究会編 昭和52年度調査報告より

 白須上では、以前風呂を持っている家が少なく、風呂をたてることもなかったので、風呂をたてたときは「今日は風呂をたてたので入りにきて」と言って近隣の人を呼んだ。呼ぶ家は決まっていた。
 竹宇では、以前風呂を持っている家が少なかったので、風呂にもあまり入らなかった。風呂をたてたときは隣近所の人が風呂を借りに来た。

白州町の民族 葬式の手伝い
『白州の民族』東洋大学民族研究会編 昭和52年度調査報告より

 〔葬式の手伝い〕 
【台ケ原】
台ケ原では、葬式の手伝いは組単位で夫婦二名が来る。葬式は昭和四〇年より寺で行っているが、以前は各々家で行っていた。サハイ(差配)は組頭・穴掘り・棺作り・飾り物作りは組の人、棺担ぎは甥か姪、帳場は組の中で読み書きの達者や老人が当る。向三軒両隣りは必ず手伝いに来る。
【白須下】
 白須下では、葬式の手伝いは組単位で行う。女性は式の前日・当日・翌日(半日)と三日間手伝う。サハイは組長、穴掘りは組の若い人が当る。組以外ではシンルイや親しい人が来る。人数的に足りないときは他の組の人を頼む。
【白須上】
 白須上では、葬式の手伝いは組単位で行う、人数的に足りないときは隣かの組に頼む。サハイは組頭、棺担ぎは甥や従兄弟、穴掘りは向三軒両隣やの人に頼む。また客の休息所を向三軒両隣り内に設ける。
【前沢】
 前沢では、葬式の手伝いは組単位で行う。組は二つに分かれていて、五軒組となっている。五軒組は他の人よりたくさん手伝う。穴掘りは五軒組、棺担ぎはシンルイが当る。埴原一郎氏宅では、式の先立ちとして組長・親分・仲人がなる。
【竹宇】
 竹宇では、葬式の手伝いは組単位で行う。以前は三日間、現在は二日間手伝う。穴掘りは組の人、棺担ぎは甥が当る。組の人やシンルイは米二升、近いシンルイは米三升持って行った。
【鳥原】
 鳥原では、葬式の手伝いは組単位で行う。手伝いに行くことをオトリモチという。組頭の家は隣組でも手伝い合う。また他の組はクミソトの関係といい、シンルイが来るくらいである。オクヤミにはブラク全戸が行く。組の人は二日間手伝いに行く。帳場にはツケが数ヶ所設けられて、向三軒両隣りやシンルイは血のつながりが深いほど数多く、浅くなるにつれて数少なく金品を持って行く。これをツケジンギ「付け仁義」という。
【下教来石】
 下教来石では、葬式の手伝いは組単位で行う。サハイは組長が当る。
【上教来石】
 上教来石では、葬式の手伝いはコウチ単位で行う。たとえば中コウチ(行改組四・五組)の五組から葬式が出た場合、穴掘りは隣組四組の人が当る。サハイは組長が当る。普通夫婦二名が手伝いに行く。
【山口】
 山口では、葬式の手伝いは組単位で行う。隣組と近くても、やはり同じ組の人が手伝いに行く。他の組では、本家・分家・シンルイが来る。人数が足りないときは隣組に頼む。サハイは組長、位牌は長男、膳は長男の妻、棺担ぎは死者より年下のシンルイ、穴掘りは組の人に頼む。
【大武川】
 大武川では、葬式の手伝いは組単位で行う。組境の家は隣組からも向三軒両隣りが手伝いに行く。結婚式のときには親分が本家より上座に座るが、葬式のときには、本家が親分より上座に座る。サハイは組長が当る。手伝いに行けないときは洒二升を持って行く。

白州町の民族 結婚式の手伝い
『白州の民族』東洋大学民族研究会編 昭和52年度調査報告より

〔結婚式の手伝い〕
【菅原・鳳来地区】
 菅原・鳳来地区では、結婚式のとき親分・子分関係を結び、仲人とは別に親分をたてる。ブラク・時代によって親分一組たてるか、男親・女親二組たてる。ウチ親といって自分の家が親分格であるときは実の親をたてることもある。
【台ケ原】 
 台ケ原では、結婚式の手伝いは組単位で行う。夫婦二名が手伝い
に行く。
【白須上】
 白須上では、結婚式の座頭は血縁関係の濃い順に上座から座り、披露宴では血縁の薄い者が下座に座る。婿と嫁の両隣には三・三・九度がすむまで仲人が座る。披露宴になると親分が並んで座った。前座は隣組の人が出席し、本膳まで嫁は親分の家で待っている。また他の組は各組から二名のオシウバンが受けもち、下座に座る。
【下教来石】
下教来石では、結婚式の手伝いは組単位で行い、他の組でもシンルイは手伝いに来る。組の人は他の人と差をつけて贈答品を贈る。

白州町の生活用水の歴史(「白州町誌」) 町内水道の歴史

経済的や衛生管理面を考えるとき町移管、町営の水道が妥当として、その運動がみのり
● 菅原地区は昭和三十三年(1968)四月一日より(壊工時)、から町移管となった。
● 大武川、横手、大坊(大坊の一部を除く)は昭和五十年(1975)四月一日から町移管となった。
● 下教来石、鳥原、松原、荒田は昭和五十二年(1977)八月一日から町移管となった。
● 上教来石・山口地区は昭和五十五年(1981)四月一日から町移管となった。

白州町の生活用水の歴史(「白州町誌」) 鳥原集落水道設置趣意書

鳥原集落の人が如何に熱意をもって水道設置に努力したか左に記す「趣意書」でもうかがえる。
○ 鳥原集落水道設置趣意書
西に重なる連山の麓に東西傾斜に位置して、狭隘たれども愛耕せる農地を眺めるとき、往時より稍恵的農山村でありしやの本区であつたとも思惟されるが、国道を離れること九百メートル、古くより道作(みちつくり)と称し、歳々の行事とし来るも、今日尚山道に等しくまた往大神の池水、陣場の溜池、伏之木沢の引用水、或は区内数ケ所に弁水を求めて深さ十数メートル余を掘襲するも、なほ湧水なく一、二その残骸を残すのみ、この間飲用水使用上の注意の声は年を重ねて大きく叫ばれる。
これらの痕跡をみるにつけ、佳年交通不便と環境衛生の不備とに幾多吾等の祖先が苦悩し来りたるかを物語るものである。大東亜戦争(第二次世界大戦)敗戦直後より、文化建設という急速の流れに即応して、吾等の生活の向上文化生活の実現を計らんとするには、先にこれ等積年の難事を解決せねばならない、その機を与へられたのである。
昨年、昭和二十七年度道路改修促進の運動は、その成果をおさめ国道より福昌寺前までを三ケ年計画にて、県ならびに村の助成金とを合せ、年度内の着工とたり第一期工事は遂行された。
衛生不備の根源たる利水については、水道敷設の声となり、歳を重ねて高まるも、文化は農村財政を窮地に追い込みつつあり、財政的至難事として一時かえりみられなかつた。現況より共有林立木の財源に拠るの外、術なきことに思惟するに至る。
たまたま、三ヶ村組合立中学校建設負担金を、先祖の残せる共有林石尊神社裏山・小鷹山一部等立木売却金を以て充当することに、一決せることに便乗して最少限度に本工事費にも一段の協力を希望してやまず、その配分金を得て、漸く吾等多年の宿望に十の曙光を求め得たるも歴史的木年の大凶作に遭遇し、その恐怖感は吾等の初志を挫かんとせしに区民等しく悲壮なる決所をなし、参百五十有余をくだらない利水の便の為また子々孫々の為一挙に本工完遂さすべく選進せるものなり。
想うに先祖の残せる財力は、永遠に光となって消えないでしょう。史上いまだ知らない大凶作は吾々に僅か三、四ヶ月の保有米を与へしのみ。この一大恐慌時に全長弐千有余米の本工事(詳細本工事設計書)五十日間に亘り、使役延人員七百有余人を以て、完遂の域に達せしめたる熱と力の結晶は、文化の遺産となって水の流れとともに永久に尽きないでしょう。<祖堂しるす


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